2011/9/4 朝日新聞福島総局の浪江町レポート

朝日新聞による、浪江町の警戒区域内への線量調査に同行取材した際の同行レポートのこぼれ話。
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朝日新聞福島総局 @asahi_fukushima

浪江へ1)今日の朝刊では、警戒区域内の浪江町に入ったルポを1面から大きく載せました。放射線量調査をする町職員に同行。防護服を着て、第1原発から約6キロまで乗用車で入りました。記事(デジタル→http://t.co/a7FFlIz)以外の話を少し報告します。

2011-09-04 09:24:51
朝日新聞福島総局 @asahi_fukushima

浪江へ2)町内の交差点の信号は、幹線道路の一部以外は消えています。道の両側からは草がせり出すように茂っていて、アスファルトの隙間から雑草が伸びてきています。行き交う車は、ごくたまに巡回のパトカーを見かけるくらい。室内に洗濯物を干した家もありますが、人の気配はありません。

2011-09-04 09:26:18
朝日新聞福島総局 @asahi_fukushima

浪江へ3)第1原発から12キロの苅野小学校。玄関にある学年ごとの下駄箱は、ドミノのように倒れています。校庭には車いす3台が放置され、隣の幼稚園の上がり口には石油ストーブが。あの寒い夜、一時は1500人が集まり、続く原発事故で、ばたばたと次の避難先へと大渋滞の中、逃れました。

2011-09-04 09:29:52
朝日新聞福島総局 @asahi_fukushima

浪江へ4)別の幼稚園を訪ねると、さっきまで子どもたちが遊んでいたかのように、小さな玩具が散らばっていました。3月17日の修了式に向けて紙花で飾った「ご修了おめでとう」の看板が歪んでいます。壁には「いっしょにおどった よさこい たのしかったです」という作文が、たどたどしい文字で。

2011-09-04 09:34:02
朝日新聞福島総局 @asahi_fukushima

浪江へ5)谷あいの集会所では、訪れた中で最も高い52μSv/hの放射線量を地上1mで測定しました。「先週より低いけどね」と職員は言いますが…。放射能は、目に見えず、匂いもせず、体に異変を感じるわけでもなく。線量を知らなければ、まったくのどかな場所。遠くでセミが鳴いていました。

2011-09-04 09:39:17
朝日新聞福島総局 @asahi_fukushima

浪江へ6)道路のあちこちには牛のフンが落ちています。それだけ牛舎から出た牛が町をさまよっている様子。幾世橋小学校は校庭が雑草で覆われ、「牧草地のよう」と話していたら、その時でした。ブランコの前の牛たちと目が合いました。(動画もデジタルに→http://t.co/a7FFlIz

2011-09-04 09:48:18
朝日新聞福島総局 @asahi_fukushima

浪江へ7)JR浪江駅前。通りの店の多くが倒壊しています。居酒屋、生花店、畳店…。3月11日は震度6強。原発事故で手つかずのまま、巨大地震直後の様子をとどめています。浪江小に行くと、ランドセルや小さな荷物がきちんと各机にそろえて残されていました。恐ろしかったでしょうに。

2011-09-04 09:59:24
朝日新聞福島総局 @asahi_fukushima

浪江へ8)集落ごと津波にさらわれた請戸地区。道路には今も船が打ち上げられ、多くの車が泥に沈んでいます。ただ、半年がすぎ、湿地だったはずの一帯は草に覆われ、大量の瓦礫を覆い隠すよう。霧の向こうに第1原発の排気筒がかすかに見えます。しかし逆に、放射線量は1μSv/h未満です。

2011-09-04 10:01:38
朝日新聞福島総局 @asahi_fukushima

浪江へ9)太平洋を見渡す請戸小。2階建ての校舎が津波にのまれました。120人の児童は、かなり離れた丘に逃げ、奇跡的に全員無事。上着をはおる時間もなかったようで、教室の棚には、冬物のジャンパーがいくつも残されていました。黒板には、自衛隊員が残した「未来を信じて日本、請戸」の文字。

2011-09-04 10:09:46
朝日新聞福島総局 @asahi_fukushima

浪江へ10)町を離れ、スクリーニングを受けるために南相馬市に向かいました。20キロの検問から出ると、対向車が来るようになり、商店や事務所には人の姿が。ひと気のない町に何時間もいたせいか、一瞬、戸惑います。人の住む世界の温かさを感じました。=おわり(詳しくは紙面かデジタルで)

2011-09-04 10:16:17