ウィロビーはたいへんな吉田びいきだったねえ

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孫崎 享 @magosaki_ukeru

前原氏:危険。この人の属米はどうしようもない。「ワシントンで講演し、自衛隊の海外派遣で、一緒に活動する他国部隊が攻撃された際に反撃できるよう武器使用基準を緩和すべきだとの見解表明」はっきり言えば、自衛隊が米軍について行って、米軍が攻撃されたら反撃、つまり米軍と一体で軍事行動

2011-09-08 08:40:33
孫崎 享 @magosaki_ukeru

日米関係:.今、日米関係で米国に隷属するしかない姿勢を見ていると、この状況は基本的に占領を通じて、日本の一貫した姿勢でないかと思う。その意味で占領期、日本人がどういう対応をしてきたかを見るのが理解を助けるように思えてきた。今後幾つかを紹介したい。占領期、そして講和条約後も日本の

2011-09-09 07:12:48
孫崎 享 @magosaki_ukeru

日米関係2:指導者だった先ず吉田首相がどの様な姿勢だったか。吉田茂が特に重視した人物にウィロビー(占領軍の情報担当)。ウィロビーは著書で吉田茂との接触を犬丸帝国ホテル社長の談話を引用する形で記述「 ウィロビーはたいへんな吉田びいきだったねえ。帝国ホテルの部屋へ、吉田さんは

2011-09-09 07:13:31
孫崎 享 @magosaki_ukeru

日米関係3:裏庭から忍ぶようにしてやって来たりしたよ。裏階段を登ってくる吉田さんとバッタリということが何度かあったな。あの頃はみんな政治家は米大使館(マッカーサーの宿舎)には行かず、ウィロビーのところで総理大臣になったり、あそこで組閣したりだ。」

2011-09-09 07:13:50
孫崎 享 @magosaki_ukeru

日米関係4:では吉田茂の哲学は。本人の記述。 「 私は戦争が終わって外務大臣に任命されたとき、総理大臣であった鈴木貫太郎氏に会った。 その時鈴木氏は“負けっぷりも、よくないといけない。鯉は俎板の上に 載せられてからは庖丁をあてられても

2011-09-09 07:14:32
孫崎 享 @magosaki_ukeru

日米関係5;びくともしない。あの調子で負けっぷりをよくやってもらい“と言われた。この言葉はその後私が占領軍と交渉するにあたっての私を導く考え方であったかもしれない。」言われた通りにする.それが吉田首相の哲学。これが自民党に引き継がれ、脱自民党計った鳩山首相が潰され吉田哲学に回帰

2011-09-09 07:16:08