回避した

ある艦娘が、戦争中の経験を語る。
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同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

私は駐車場とテントのそばの門から入り、エレベーターに乗って4階まで行き、受付で面会の予約について問答と書類の提出を済ませ、マイクに呼び出されるのを待ち、人に案内されて部屋に入った。彼女は部屋の中で、私を待っていた。 「やあ、いらっしゃい」と彼女は言う。

2022-04-24 00:40:40
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

私たちは互いに近付いて、握手をする。再会を喜び、近況を報告し合った。 そして面会時間が半分くらいになるころ、彼女は一冊の日記を取り出した。彼女は日記を書いていた。床いっぱいに広がる、溺死体の幻覚を理解しようとしていた。

2022-04-24 00:44:32
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

「たくさんいる。本当にたくさん」と彼女は書いた。「濡れているだけの人や、怪我をしている人。性別や年齢はバラバラ。民間人もいるし、兵士もいる」 「そしてみんな、私を見ている」

2022-04-24 00:47:11
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

部屋の中には、擦り切れた本やボードゲームが置いてある。端の方には、物干しざおや洗濯ばさみも。彼女は洗濯ばさみを取りに行きながら、私に日記を渡し、読むように促した。

2022-04-24 00:53:03
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

私は日記を開く。開いたページは溺死体のことが書かれた部分ではなく、その次に書かれた部分。船団を護衛していた時のことだ。

2022-04-24 00:54:31
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

「回避した」というタイトル。 最初の行に書かれているのは「その夜のことを告白したい」という言葉。私はそれを読み始める。私が読んでいる間、彼女はテーブルの上に洗濯ばさみを並べ始める。

2022-04-24 00:55:32
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

「それがいつのことだったかは正確には覚えていないが、その日はだいぶ寒くて、艤装のヒーターを強めに炊いていた」彼女の文章は続く。

2022-04-24 00:56:13
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

…私たちの戦隊は、輸送船団の護衛についていた。本土から基地への航路で、船団は物資だけでなく民間人も運んでいた。基地機能の拡充で、たくさんの民間人も必要になったからだ。護衛は4隻2グループでローテーションを組んでいて、私は第2グループに配置されていた。

2022-04-24 00:56:39
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

午前4時。私は第1グループの艦娘と交代するために持ち場についた。いつもと変わらない申し継ぎを受けて、帰艦する第1グループを見送った。深海棲艦の水上部隊は居ないはずだった。私たちは、たまに現れるはずの潜水艦だけ気にしていれば良い。それでもその夜は、結構厳しい状況だった。

2022-04-24 00:57:11
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

日出にはまだまだ時間があって、新月だったか、月齢の関係だったか、月も出ていない。わずかな星明かりだけが頼りだった。水中聴音機はあったが、雑音が大きすぎて当てにはならなかった。私は暗くてほんの少しの距離までしか見えない海面をにらみ続けて、少しの兆候も見逃すまいとしていた。

2022-04-24 00:57:38
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

そのおかげで、私は右舷側に突然現れた白い筋に気がつくことが出来た。結論から言えば、それは二本の魚雷だった。 でもその時私はそこまで考えてなかった。とにかく恐怖に任せて、一杯舵角で面舵を取った。

2022-04-24 00:58:35
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

私の頭の中にあったのは、恐怖とその前の出撃の記憶だった。魚雷で木っ端みじんに吹き飛んだ僚艦のことだった。ああなりたくなくて、それしか考えていなかった。

2022-04-24 00:59:00
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

でも身体は訓練の通りに動いた。手は勝手に無線で緊急の符丁を打っていたし、脚は取り得る限りの角度で魚雷から離れようとしていた。記憶が信管の作動距離のデータを思い出して、それで避けられそうだと気がついて、ようやく少し考える余裕が出来た。

2022-04-24 00:59:31
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

「雷撃を受けている」と報告したかは覚えていない。通りすぎようとしている魚雷に夢中だった。たぶん大丈夫、きっと大丈夫、大丈夫そう、あと2秒、1秒…そして、魚雷は左舷側を通り過ぎた。 嬉しくて、私は叫んだ。 「回避した!」

2022-04-24 01:00:08
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

…… … 次のページをめくるが、そこには何も書かれていない。 私は洗濯ばさみを並べている彼女を見る。彼女は緑色の洗濯ばさみを2列に並べた。更に青色の洗濯ばさみを4つ手に取り、周りに置く。

2022-04-24 01:00:28
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

彼女にはそれが、輸送船団と護衛艦に見えている。そして彼女は言う。 「ここに」そう言って赤色の洗濯ばさみを1つ手に取り「潜水艦がいたらしい」置いた。 テーブルの上に並べられた洗濯ばさみのうち、3つが一直線に並ぶ。赤、青、緑。

2022-04-24 01:01:37
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

彼女にはその夜の光景がはっきりと見えている。音も聞こえる。彼女が次に話すのは、書かなかった部分の話だ。

2022-04-24 01:02:36
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

突然、輸送船が爆発した。ドン、ドン、という音がして、水柱が2つ立っているのが見えた。 その意味を理解するのに、少し時間がかかった。魚雷が通り過ぎていった方向、位置関係、時間。海図を見て、陣形を見て、深海棲艦の魚雷の性能を思い出して、いくらか計算して、ようやく呑み込めた。

2022-04-24 01:03:33
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

あの輸送船は、私が避けた魚雷にあたったのだ。いや、輸送船めがけて放たれた魚雷の前に、たまたま私が居たのかもしれない。でも避けなければ、そうでなくてももっと詳細な報告をすれば、あの輸送船の乗客は死ななくて済んだのかもしれない。

2022-04-24 01:04:28
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

…… …… … 彼女の観る光景。海面に重油の膜が張られ、それは赤々と燃え始めている。その中に浮かぶたくさんの顔、苦悶の声。彼女の身体は動かない。その時彼女は、潜水艦と戦っているから。誰も助けにはいかない。足を止めれば、自分も同じ目に遭うから。

2022-04-24 01:04:54
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

十回、二十回、映画のように何度も同じ光景を見る。少しも慣れることはない。 「忘れてはいけないのは」そして彼女は言う「私たちは何度も、同じように輸送船を失ったということよ」

2022-04-24 01:05:48
同志雪の人@活動低下 @yuki_8492

色々な形で、輸送船は撃沈された。過失があるときも、ないときもあった。 彼女は今回、戦争中のある一日を語った。 だが彼女の戦争は、あと何百日もある。

2022-04-24 01:06:32