生きるって自分の醜悪をさらけ出すって事と同義だ。そして、さらけ出した分だけ疲弊する。 本当は相手が傷ついたりしているかもしれないけど、それ以上に言った自分が疲れている。こんな自分が憎たらしいであるとか、どうしてあんなことを言ったのだろうとか。
2011-09-15 01:39:01明らかに言わないままだらっと過ごしていた方が、誰のためにも穏やかで正解だったろうに。どうしてこうも、人の気持ちを汲むということができないのだろう。 自分が少しだけ我慢していれば大概のことは嵐にならずに通り過ぎるというのに。移入しすぎるからこういうことになるのだと理解はしている。
2011-09-15 01:41:13相手に、対象に、被写物に、移入すればするほど視野は狭く、深度は深く思い煩うこととなる。そこに愛情だとか友情だとかが乗っかるとその傾向は強くなり、いよいよ訳が分からなくなる。
2011-09-15 01:42:48そういった結びつきの感情がなく冷静であったとしても、自分と違うということを明確に認識していなければ、時間の経過と共に徐々に感情が暴れだす。
2011-09-15 01:44:41自分と違う、なんて当たり前のことだ。誰だって理解している。それでも、時になぜこんなことが分からないんだろうと考えることがある。それは自分と違う、ということを忘れているからに他ならない。そうやって一方的なフラストレーションを溜めて、ついには爆発する。
2011-09-15 01:46:02見方によっては、怒りのスイッチがどこにあるのかよく分からない人、というネガティブな印象を与えてしまう。そうなんだ、この世の中にすんなり話が進んで、共通のビジョンが浮かんで良いことも悪いこともツーカーで共有できる人なんて本当に僅かだ。
2011-09-15 01:47:45問題はそういう共有ができない人と話すときに、どれだけその人に立って話ができるかどうか。そこだけだ。 相手が求めているのは正解でも忠告でもなくて、その人がその人なりの解釈で解決に向かえるように願い、促していくこと。
2011-09-15 01:49:39そこに主張や意見を織り交ぜるとろくなことがない。主張や意見、と言ったものを表明した段階で、その発言には責任と明確な意思が伴う。明確な意思というのは、それだけ衝突の火種になりやすい。
2011-09-15 01:51:11なぜなら、相手がそれを揺るがない意思だと確認した段階で、自分の考えとのギャップが明白になり、そこに行き着くまでの距離もまた分かるからだ。そうなれば後は詰め将棋のように、一手一手、互いの正論をぶつけあうだけでよい。それだけで直ぐに会話の平行線に至る。
2011-09-15 01:52:51その後、解決するには変化することか、変化させることか、諦めることか、逃げることか。いずれにせよ困難な道しか残されていない。決まりきっている。だから主張や意見はそうなることを理解した上で行わないといけない。
2011-09-15 01:53:59もしくは、そうなることが分かっていながら、それでも主張がしたいのか、せずにはいられないのかというフィルタをかけるべきだ。そうでなければ、ひどく犠牲的な人間になるか、傲慢な人間になることでしか、物事の解決がかなわない。
2011-09-15 01:55:30自分の考えが、自分にとって一番大事だというのは恐らくほとんど全ての人間が思っていることだと思う。それでも自分の考えなんてこの程度のものだ、ということも同時に思っていないと、変化させられることを嫌い、変化することを好むどこかの権力者のような人間になることうけあいだ。
2011-09-15 01:57:12許せ、許せ。できるのであれば、どこまでも人を許すしかない。どうしても許せない。そういうところにおいてのみ、衝突を覚悟で、自分の醜さにあきれ返ることも覚悟で主張していくしかない。本気になれば、許せないことなんてあんまりない。
2011-09-15 01:58:20その代わり、許してしまったことによって、対象に興味や魅力がなくなるということはありえる。だが、それは正しい判断だったと言える。僕は人間関係にあまりポジティブな結末が用意されているとは思っていないので。
2011-09-15 01:59:16