サッカーにおける「異文化コミュニケーション」の現実・・・近代教育の限界と社会統合の現実を補助線に語る

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トニーのおっさん @tonynoossan

文化の違いはすり合わせるのではなく『どんなに議論してもそれは変えられない』という要素が文化だと割り切る様に、選手と監督の哲学に齟齬がある場合は割り切るしか出来ない。だから、 『始めから哲学が近い選手を集める』 という方向に向かった訳で、哲学の形成が重要になった。

2022-02-23 09:16:05
トニーのおっさん @tonynoossan

なので、哲学が弱い・適用範囲が狭いというのは改める必要がある。ここから一気に難しい話になる。 近代教育というのは他人の頭の中を気にする事を想定していない。 ・それは間違ってるからやめろ ・それは間違ってるから改めろ ・それは不快である という形でしか考え方への指摘がないのだ。

2022-02-23 09:19:27
トニーのおっさん @tonynoossan

つまり、先生や先輩や師匠がどんなに口を酸っぱく親身に教えても、哲学ではなく考えた結果、表面化した行動を修正するという形しかで修正が行えないのだ。 そして、これは基本的に意味がない。 人はやかましく言われた事の反対側の立場を取りたがるという性質があるからだ。

2022-02-23 09:21:47
トニーのおっさん @tonynoossan

よって、哲学の修正や考え方の調整は、所属したコミュニティから無意識に取り込んで自身の中で緩やかに変化していくという形が効率的になる。 周囲の大人が模範となれば子供達の考え方も自然と望ましいものになる様に、大切なことは言葉ではなく背中で語るのだ。

2022-02-23 09:24:26
トニーのおっさん @tonynoossan

どうしてもこういう形になってしまうので、育成における哲学の問題は 『実際に指導者がやってみせる』 『説明する』 『聞いて任せる』 『信頼する』 というアプローチになる。 クロップなんか、よくエリオットとか若手を『信頼している』って公言してるよね? あれはパフォーマンスではないんだわ

2022-02-23 09:27:18
トニーのおっさん @tonynoossan

あれはカウンタープレスを基調とした自分の哲学を取り込ませようとしてるんだ。 監督からの信頼に応えたいという気持ちが選手の哲学の修正を促すんだ。 特に若手はピッチ内外での考え方が未熟だから、どの様な人物と出会えるかでキャリアを左右されてしまう。

2022-02-23 09:29:58
トニーのおっさん @tonynoossan

インチキポエマーを信頼するより、実際に自分の哲学で勝って来た指導者と出会って信頼関係が結べると良いよね。 その競技で長くトップレベルで活躍した先達から教えを受けられると良いよね。

2022-02-23 09:33:21