『残光』メモ(1)

小島信夫『残光』(新潮文庫)のメモ。後に追記予定。
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@joe_kuga

小島信夫の『残光』をちまちまと読んでいるが、これ、すごいっちゃすごいけど、もうつまらないレベルでのすごさというか、何つうか、わけ分かんないけど面白い。筋が全然把握できないのは、私が電車に乗っているときに読んでいるからなのだろうか?

2010-05-05 23:43:42
@joe_kuga

正直『残光』読んでても、何言ってんだかわっぱり分からん。これを90歳の老人が書いた老害としての小説として読むのか、別種の言語体験として読むのかは、まあ好みによりけりなのかもしれないし、そもそも私の考えが全然的を外しているのかもしれない。

2010-05-05 23:49:14
@joe_kuga

私は小島信夫は初期の『アメリカン・スクール』から一気に遺作となった『残光』へ飛んでしまったのだが(どちらも新潮文庫)、たぶんその所為で余計に混乱を来している。少なくとも前者は、まだ(あらゆる意味で)「電車の中で読める」作品だった。だが後者は、おそらくそうではなくなったのだろう。

2010-05-05 23:54:30
@joe_kuga

森田さんの仰るように(http://j.mp/afPYy0)、「作者がぼけちゃっている」ような感じさえするほど、「日記における時間性」(http://j.mp/bb97Ay)で述べたような、ある種の日記的な時間を感じる。とはいえ、まだ全部読んでないんだけどさ(駄目じゃん)。

2010-05-06 00:02:19
@joe_kuga

「今や私の四十年ほど前に出した全集六巻が去年まではたった一万円であったのがどうやら二万円に値上がりしたそうであるが、娘も婿もたぶん全く興味がなく、四月二十八日に遂に兵庫県から東京の国立にきたネコが、夜明けに死んだ。」(小島信夫『残光』新潮文庫、P.62)

2010-05-06 00:08:41
@joe_kuga

保坂和志の『小説の自由』(新潮社)に収録されている短編「桜の開花は目前に迫っていた」を思い出す一文。というか影響関係的に、小島信夫→保坂和志なのだろうけれど。

2010-05-06 00:11:12
@joe_kuga

先の引用文と保坂の短編の相違は、私が思うに、作為を感じるかどうかだと思う。『アメリカン・スクール』(新潮文庫)の解説で保坂は「私は(…)小島作品の文の組成を知るために、小島信夫のような文で頭に浮かぶ情景を何度も書いてみた」(387頁)とあるが、そこに差異が出てるんだろう。(続)

2010-05-06 00:22:09
@joe_kuga

(続き)「桜の開花は目前に迫っていた」は大分前に読んだのだが、それでも当時、すごく違和感を感じた。読みながら常に違和を感じ続けていた。だが『残光』は違って、ごくごく自然に挿入されているから、注意してないと気付かない。私も文意が掴めないなあと思って、読み直してようやく発見できた。

2010-05-06 00:24:18
@joe_kuga

3歩進んで2.5歩下がるようにして読んでいる。もちろん小島信夫の『残光』を。またしてもすげえ箇所があった。P.72のL.14。

2010-05-06 00:46:00
@joe_kuga

『残光』、一章を読んだ。言葉の底が抜けすぎていて、でもロラン・バルトの講演を説明する下りにあって、ようやく落ち着けたところで、それまで体験していた言語が恐ろしく私のよく知るものではないことを、逆に思い知らされた。これを読めて、本当によかった。ちまちまとこれからも読んでいこう。

2010-05-06 01:04:57