東方昭和伝 第二十四章「爾後国民政府ヲ対手トセズ」【後編】関連ツイートまとめ
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東方昭和伝 第二十四章「爾後国民政府ヲ対手トセズ」後編:日中国交断絶 (31:12) #nicovideo #sm15563807 http://t.co/0bQz3prV
2011-09-19 23:08:50第二回政府大本営連絡会議のBGMは、プロコフィエフのバレエ音楽「ロメオとジュリエット」作品64より「ジュリエットの墓の前のロメオ」。久々のクラシックBGMになるでしょうか。
2011-09-19 23:14:12この12月14日のやりとりで興味深いのは、最初に和平条件を釣り上げるべきだと主張しているのは外相の広田なんですよね。さらに第二次上海事変では慎重論を唱えた賀屋興宣蔵相や、この後和平交渉の打ち切りに反対する多田駿参謀次長も条件のつり上げには賛成しているという点です。
2011-09-19 23:15:24ただ、賀屋蔵相や多田参謀次長のその発言の内容については資料がありませんでした。多田参謀次長がどのような異論を唱えたのかは非常に気になるところなのですが…
2011-09-19 23:15:51今回賀屋静葉は台詞無しでしたが、ここで賀屋静葉の台詞を作るとしたら、「あの~…財政が結構危ないから、賠償金も欲しいな…」という感じになるでしょうかね。
2011-09-19 23:16:57当初案(昭和12年11月5日に中国に伝達)はこちら→ ①外蒙古と同じ国際的地位を持つ内蒙古自治政府の樹立 ②華北非武装地帯の設定(華北の全行政権は南京政府が持ち、以後日本は華北にいかなる自治政府を設立することも控える)
2011-09-19 23:23:24③上海非武装地帯の拡大 ④排日政策の廃止 ⑤共同防共 ⑥日本製品への関税率低減 ⑦中国における外国人の権利尊重 でした。
2011-09-19 23:24:32これが最終的にはこうなります。 新和平条件4ヵ条(昭和12年12月26日公式に伝達) ①容共抗日満政策の放棄と防共政策に協力 ②所要地域の非武装地帯化と当該地域における特殊機構の設定 ③日満支三国間の密接な経済協定の締結 ④所要の賠償
2011-09-19 23:26:0511ヵ条の細目条件(昭和13年1月1日非公式に伝達) ①満州国の正式承認 ②排日排満政策の放棄 ③北支・内蒙の非武装地帯化 ④北支に支那主権(eleven注:「南京政府」と明示していない)の下で広範な権限を有する適当な機構を設定、経済協力に努める ⑤内蒙に防共自治政府設立
2011-09-19 23:26:58⑥防共政策の確立 ⑦華中占拠区域の非武装地帯化 ⑧資源開発等に関する日満支三国協定 ⑨賠償 ⑩内蒙・華北・華中の一定地域に保障のための日本軍の一定期間駐留 ⑪休戦は協定成立後に行う
2011-09-19 23:27:19第一回御前会議開催(「支那事変処理根本方針」決定)のBGMは、Gigantic Formula Original Soundtrack Vol. 2より「眩惑」
2011-09-19 23:28:24元々昭和天皇は、トラウトマン工作が進んでいる最中の11月10日に、湯浅内大臣に対して、和平交渉の基本方針を決定するため御前会議を開催すべきであり、近衛首相に相談したいと語っていました。
2011-09-19 23:31:36しかし、湯浅から意見を求められた西園寺は、「枢密院に臨席するような形式ならよいが、陛下が決議に参加し、陛下が何か決定を下すような親裁形式をとることには絶対に反対だ」と答えます。
2011-09-19 23:31:54西園寺が御前会議で親裁形式を取ることに反対なのは、一言で言えば「君権に瑕がつく」という理由で、天皇が発言すれば、特定の政治勢力の政治的地位を高めることになるし、天皇が意思決定に参画した場合にその決定事項がもし守られなければ天皇の権威の低下に繋がると危惧したためでしょう。
2011-09-19 23:32:25御前会議を翌日に控えた1月10日に、西園寺は再び意見を求められますが、西園寺は、発言してもよいが「御勅裁」や「御親裁」は避けるよう回答し、親裁形式には最後まで反村しました。
2011-09-19 23:32:50湯浅内大臣は、この西園寺の考えを天皇に伝え、さらに近衛首相からも、「ただ黙って御親臨の程度で願ひたい」との要請もあって、御前会議は発言のない臨席形式とすることが決定されます。
2011-09-19 23:33:06このため、御前会議において昭和天皇の発言はなく、政府案はそのまま承認されました。以降御前会議では天皇は発言しないというのが暗黙の了解事項となりますが、これを昭和天皇が破るのは、日米戦争直前のことになります。
2011-09-19 23:33:25さて、南京陥落の翌日に、北支那方面軍は早々と中華民国臨時政府を勝手に成立させているわけですが、これには政府も海軍も憤激して、風見書記官長は杉山陸相に抗議しに行ったようです。
2011-09-19 23:39:28しかし、その時の杉山の態度は「え、あんなにあからさまに工作してたから知ってるとばかり思ってた。まさか知らなかったなんてm9(^Д^)プギャー」みたいな感じだったそうで、風見は本気で杉山を殴りたい衝動にかられたそうです。
2011-09-19 23:40:04当初はこの杉山と風見のシーンを作って、風見メディに「毒盛りてえ…」と言わせたかったのですが、流れが悪くなるし尺の余裕もなかったので断念。
2011-09-19 23:40:31そういや風見章日記の杉山・永野両大将の元帥就任の日のページに「あいつらなんにもやってないのに元帥とかバカなの?」みたいにけちょんけちょんに書いてたな…
2011-09-19 23:46:57