- cio_lunacy
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@ginnanso あ、まとめて到着( ゚Д゚) 二つ目の方がより川柳っぽいですが、事実関係が入ってるのは一つ目の方。むつかしいですな。「うがち、おかしみ、かろみ」だったかな、川柳の三要素。毒までいかず皮肉に留める方がより「らしい」ですかね。
2011-09-21 01:36:41@plummet 俳句にしても、始めたばかりなので何ですが、一気に思いついて書きあげる点、激情的かつ推敲が足りなく早すぎる感が強いのですが、より伸びゆくためのアドバイスをば
2011-09-21 01:41:15@ginnanso おとなしく本を読めぃw Webにある先達らしき人々のコラムとかでもおもしろいし参考になりますよ( ´∀`)
2011-09-21 01:42:23( ゚Д゚) 今、たまたま川柳を話題にしたのでつらっと書く。元来の川柳ってのは、「付け句」という詩の遊びから生まれた文芸で、俳句と似ているようで実はこの誕生の経緯がまったく違います。
2011-09-21 01:43:49( ゚Д゚) 俳句は「連歌」という詩の遊びから生まれました。これは最初に「5・7・5」で句を詠み、その後に、繋がるように「7・7」「5・7・5」を計百句になるまで連ねていくもので、俳句はこの「最初の一句」=「発句」(ほっく)が独立した文芸になったもの。
2011-09-21 01:47:18( ゚Д゚) 川柳は、「付け句」という別の遊びが起源で、これはお題として出された「7・7」の前に付ける「5・7・5」を考えるというもの。この後から「付け」る前の句を「付け句」といい、川柳はここだけ独立したものです。
2011-09-21 01:48:43( ゚Д゚) んで、連歌は和歌をベースにしてましたが、付け句遊びは、もっと純粋に「おもしろみ」を追求した遊びだったようです。有名処の作品では、「きりたくもありきりたくもなし」という7・7に付いた前句が「盗人を捕らえてみれば我が子なり」。(誹風柳多留)
2011-09-21 01:51:59( ゚Д゚) 紹介した「盗人を」のやつは、「きりたくも……」の後句が、「何を切りたいのか」によってダブルミーニングになっているのが秀逸です。「親子の縁」「捕らえてふんじばった縄」のどちらでも成立する。そこがおもしろみ。
2011-09-21 01:53:15( ゚Д゚) 付け句遊びでは、元来この7・7「~~もあり~~もなし」のように、アンビバレントな状況を読み込むのがルールだったようです。
2011-09-21 01:54:11や、今はそこまではせんでいいんじゃ( ゚Д゚) ただ、俳句が「余韻」を残すことを目指すのと逆に、「言い切って、他に説明はなにもいらない」ことは目指すといいかと。 QT @ginnanso: 「5・7・5」で自己完結するものではなく、「7・7」に続くのを意識すること?
2011-09-21 01:56:00( ゚Д゚) 川柳はそういう「遊び心」が俳句よりもずっと強い文芸だし、季語がいらない、「切れ」もいらないという、最初の敷居が低いとは言えるので、初心者でも入りやすいかもしれません。
2011-09-21 01:58:38( ゚Д゚) しかし、制約がないということは逆に「何をすれば形になるのかよく分からない……」という罠に陥ることもあるものでして。実際俺なんかですと、川柳は正直、作りにくいですね。俳句だと「季節感」に頼ることが出来るが、川柳はそれがなく、自分の能力がすべて出る。
2011-09-21 01:59:49お待ちかねのポロリはこの方です。
( ゚Д゚) ちなみに俳句では、芭蕉が「発句(当時の俳句はこう呼ばれた)とは挨拶なり」と言いました。これは起源である連歌の発句に、場の最初の一句ということで参加者への挨拶の意があったことを汲んだものです。芭蕉ほどの人でも「基本」は大事にしていたということですね。
2011-09-21 02:03:34( ゚Д゚) 発句(=俳句)が挨拶であると考えれば、季語が必要なことに合点がいきますね。我々の時代であっても、手紙の冒頭には時候の挨拶、すなわち「季節柄」の言葉を入れるのが慣例です。「本日はこのようなお日柄に皆さん集まって……」という挨拶の意味を込めているのが発句です。
2011-09-21 02:05:31