JINMO【nanoZen に ついて】
私が"ギターに於ける極微細高速演奏"を、端的な言葉、海外の人にも理解できる様なもので表す為に、“nano picking”と造語したように、昨秋以降、“極微細爆墨作品”を“nanoZen”と呼称する事にした。“Zen”は“前撃(Avant-attaque)”と“禅書”に因む。
2011-09-22 17:13:56【nanoZenについて 1】“書道”の誕生期の、その原初的意味合いとは、データを伝達する為のメディアに過ぎなかったはずの文字が、そこに乗せられたデータのみならず、文字そのものの造形、書く者の心象の反射として、“抽象美”を見いだされたという、大きなパラダイム・シフトであった。
2011-09-22 17:17:45【2】禅宗においては、心象反射以外を削ぎ落とし、純粋抽象としての“円相”が誕生した。もはや書は文字という枠組みを捨てさり、抽象美としての純粋性を発光させた。書が文字機能を捨て去ったという再び大きなパラダイム・シフトであった。
2011-09-22 17:18:53【3】それが今日の"墨象"へ連なり、もはや図形としての形態をも脱ぎ捨て、二次元の"視覚芸術"であったはずのものが、その速度の記録をも墨跡に表現した"時間芸術"、額や掛け軸といった枠組みの外部にも作用していく"空間芸術"として、
2011-09-22 17:20:39【5】が、20世紀後半以降、スタイルが固定化していき、先達の模倣、翻案などが好まれ、書道が本来持っていた伝統破壊、前例からの脱却と前進というアナーキーなエネルギーは喪失されてきたのが現実である。
2011-09-22 17:23:41【8】デジタル・メディア以降に生きる現実感を前提とし、いかなる撮影やデジタル・スキャニングを持ってしても複製不可能な存在として、デジタル・エイジが威力とする複製を拒絶する"唯一性を輝かせる体験”である。
2011-09-22 17:31:51【10】一筆一筆は顕微鏡観察でなければ不可能な極微細をもって“書く行為”は制御されるが、その完成に至るまでの各筆毎の関わり合い方という“どう書かれていくのか”の点においては、筆を持つ者の意思を超えて自由となる。
2011-09-22 17:38:06【11】聴覚的表現でいうならば、古くは新約聖書に記録され、今日ではペンテコステ派などが見せる“異言(Glossolalia)”に非常に近い。
2011-09-22 17:39:44【12】作品に対峙し、観る者の視覚の深度によって、どの辺りのディテールまで認識できるのかは常に変化し、nanoZenは様々な様相を呈しながら、そして鑑賞者自身の"心象の反射"として動き始めるのである。 - 了 -
2011-09-22 17:42:37極微細爆墨作品“nanoZen series”の顕微鏡撮影写真(x40, x200)。一緒に写っている黒いラインは毛髪。その太さは、約40ミクロン(1ミクロン=0.001ミリ)。 http://t.co/RnBOREKv
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