萩原朔太郎とマンドリン、ギター、戦前の日本のマンドリン受容について
- snowystreet
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あ、今書いてきたことはマンドリンのことで、クラシックギターの日本での普及のことは今は書いていませんでした。さらに長くなるし私の知識も薄いので。ただ、RT @reepicheep75: @snowystreet (途切れました失礼)ギターとヴァイオリンが繋がりました。面白いです。
2010-05-07 13:40:34クラシックギターも世界的な歴史を俯瞰しなければ日本だけでは受容史を語れません(たとえば19世紀には楽器として『改良』されており音楽的変化もあった)cf. クラシックギターの歴史と構造 | YAMAHA http://bit.ly/b9sidG 続 @reepicheep75
2010-05-07 13:47:31承前)また当初、日本にはギターはマンドリン音楽などの伴奏としてよく使われていたが(ギター音楽ももちろん入ってましたが)、1929年のセゴビア来日が契機となって(cf. http://bit.ly/bUOBuM )決定的に変わっていった、などもあります。 @reepicheep75
2010-05-07 13:51:45日本を代表するマンドリン関係の三大コレクション、中野譜庫(世界的にも大変貴重なコレクション。同志社大学図書館で一般公開、複製本や目録が作られており閲覧可)、武井文庫、アルモニア文庫→ http://bit.ly/9g8G8V
2010-05-07 22:38:32故・中野二郎氏によるマンドリン・ギター関係楽譜コレクション"作曲家では、近代ギターの開祖カルカッシやフェルナンド・ソルなど、19世紀初頭から現代にいたるまでの数百人におよび、マウロ・ジュリアーニの初版譜など貴重譜を含む" 同志社大学図書館 http://bit.ly/ceBakL
2010-05-07 22:43:41補足。朔太郎の作曲としてマンドリン曲「A Weaving Girl」(機織る乙女)のほか、室生犀星の詩による合唱曲「野火」が残っています。RT 萩原朔太郎とマンドリン、ギター、戦前の日本のマンドリン受容について http://togetter.com/li/19305
2010-05-08 21:52:46「野火」は2008年の全国マンドリン四重奏コンクール課題曲だったため試奏してみたことがありますが、短調でもの悲しく、大正や昭和初期の端唄を感じさせるような和風のメロディでした。RT snowystreet 補足。朔太郎の作曲として//室生犀星の詩による合唱曲「野火」が
2010-05-09 08:18:18そして、「野火」は伊藤信吉編、室生犀星『利根の砂山』上州詩集(煥乎堂)に、犀星の詩および朔太郎の妹・星野みねから採譜した楽譜、ならびにエピソードが収録されています。RT @snowystreet: 補足。朔太郎の作曲として//室生犀星の詩による合唱曲「野火」が残っています。
2010-05-09 08:22:23同書によると、前橋に漂泊の旅をした犀星が作った詩に朔太郎がギターで伴奏を付けて口ずさんだとのこと(星野みねさんの思い出)RT そして、「野火」は伊藤信吉編、室生犀星『利根の砂山』上州詩集(煥乎堂)に、犀星の詩および朔太郎の妹・星野みねから採譜した楽譜、ならびにエピソードが収録//
2010-05-09 08:29:49そういえば、今いわゆる「マンドリンオリジナル」として演奏されている19世紀末〜20世紀初頭のイタリア作曲家の曲の中には元が吹奏楽の曲もけっこうある。マンドリン界では有名な名曲「華燭の祭典」などでお馴染みのマネンテは軍楽隊の隊長をしていたり(中野二郎氏がマンドリン合奏用に編曲)。
2010-05-14 00:01:25で、2007年春、その「華燭の祭典」などの現在はマンドリンオリジナルとして有名だが本来はイタリア吹奏楽の作品─それらは諸事情で現在は吹奏楽からは忘れられている曲がほとんどだ─をプロの吹奏楽団である大阪市音楽団に演奏してもらうコンサート「『響』の源流を訪ねて」が開催されたのだった。
2010-05-14 00:06:09私は幸いCDで聴くことが出来たのだが、「華燭の祭典」等々素晴らしかった。楽団も当時のイタリアで用いられていた楽器・編成で演奏してくださっていて、より柔らかな響き。→『響』の源流を訪ねて: 吉水 秀徳 マンドリン音楽の世界 http://bit.ly/cnDxBW
2010-05-14 00:09:38マスカーニ(1863~1945)自身が指揮をした「カヴァレリア・ルスチカーナ」間奏曲。 http://bit.ly/aDEIPv こってりしてます。1940年、初演50周年記念演奏会、ミラノ・スカラ座。 ボッタキアリ(『交響的前奏曲』)はロッシーニ音楽院でマスカーニに師事。
2010-05-14 00:38:20マスカーニの晩年は、第二次世界大戦でイタリア降伏後、ムッソリーニに荷担したとして財産没収され、1945年8月にローマのホテルで没(のちに名誉回復された)→ピエトロ・マスカーニ - Wikipedia http://bit.ly/ch6n8J
2010-05-14 00:45:55ご参考。現在、「マンドリンオリジナル」として弾かれている戦前イタリアの吹奏楽曲をプロの吹奏楽団に演奏してもらった「『響』の源流を訪ねて」 http://bit.ly/auHzN6 について、大阪市音楽団のサイトの後記 http://bit.ly/9stpeW @kata1228
2010-05-14 12:42:20"イタリアで20世紀初頭に出版された吹奏楽作品""どの作品も震えるほど美しく、最近の吹奏楽では味わえない超名曲揃い""アメリカ、ヨーロッパを中心とした近代吹奏楽の歴史において、イタリア吹奏楽だけエアーポケットにでも入っていたのでしょうか" http://bit.ly/98vcgA
2010-05-14 12:46:22こういうifはないだろうけど、それでもやはり、イタリアが敗戦国でなく政治的にも混乱しなければ、ここまで第二次世界大戦前のマンドリン音楽やイタリア吹奏楽が忘れ去られたり資料が散逸したりすることはなかっただろうなーと思う。マンドリン音楽ももっと一般的になっていたかも。。
2010-05-14 12:46:43中野先生はギターをよくご存じで上手かったと先生に直接指導を受けたマンドリン仲間から聞きました。だからこそギターが華麗で効果的なああいう編曲も可能なのかなと。華燭の3楽章も相当難関ですよねRT @kata1228: //マネンテ作曲中野二郎編曲のはGパート意外と難しいんですよね//
2010-05-14 13:15:3419世紀末〜20世紀初頭のイタリア吹奏楽曲がマンドリンオーケストラ用に編曲されているのは故・中野二郎氏の寄与が大きく(続 RT @mimingaa: @snowystreet イタリアの吹奏楽曲はマンドリンオーケストラ用に編曲されているモノがたくさんあります。なぜか//
2010-05-14 18:55:34中野二郎氏がイタリア吹奏楽曲の美しさに魅せられ、スコアを入手・編曲し、時には作曲者に自ら問い合わせたりしていました。晩年のマネンテとは親交があったそうです。RT @mimingaa: イタリアの吹奏楽曲はマンドリンオーケストラ用に編曲されているモノがたくさんあります。なぜか。//
2010-05-14 18:57:17故・中野二郎氏によるマンドリン・ギター関係楽譜コレクションである「中野譜庫」(同志社大学図書館 http://bit.ly/ceBakL )にはマンドリン編曲前のオリジナルの吹奏楽譜も多数残されているそうです。 @mimingaa http://bit.ly/a8ye84
2010-05-14 19:01:29「華燭の祭典」「祭」など現在はマンドリンオリジナルとして扱われる戦前イタリアの吹奏楽曲を大阪市音楽団に演奏してもらった「『響』の源流を訪ねて」 http://bit.ly/9stpeW も、中野譜庫に残されていた吹奏楽譜を利用したと聞いています。 @mimingaa
2010-05-14 19:06:54来月演奏するムニエルの協奏曲は協奏曲といえど、原曲はピアノ伴奏。 当時はムニエルに限らず、カラーチェもラニエリもマンドリン協奏曲をピアノ伴奏はでしか書いていない。本当はオーケストラ伴奏を書きたかったのだと思うが、当時はそんな環境下になかったのであろう。
2010-05-23 23:59:09ちなみに、来月演奏するムニエルの協奏曲のマンドリンオーケストラ版の編曲者はあの齋藤秀雄であったりする。彼は昔マンドリンを演奏していたし、事実マンドリンの曲も残っている。日本においてはクラシック音楽とマンドリン音楽のルーツが非常に近いところにあるということか。
2010-05-24 00:02:57@mochigoh クラシック黎明期はオケを振りたくてもなかなか環境がなく、マンドリンオケを振ってたということもあるみたいね。I社長の受け売りですが。今年B団でやる菅原明朗の内燃機関もそういう曲だそうです。
2010-05-24 00:17:34