言葉の持つ4つの次元について
- Akanekoegg
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@azumyn 黙示録はおもしろいよね。そして色んな人がいろんな解釈をしているし。個人的には「ムー」のが好きだったw あれは現実に起こることなのか、個人の心の中で起こることなのかという解釈はどれもおもしろいけど、あれは私にとっては本当のことだなあと思うよ。うまく言えないけど。
2011-09-26 20:31:18そんなこんなで、言葉には色々な側面があるんだけど、漢字は絵画だから、さらに色々なイメージを呼ぶんだよね。私達は自分の体験したことから色々想像するしかないんだけど、その想像力というものも言葉によるものだからなーと。 つらつら考えている毎日なのです(笑)
2011-09-26 20:34:21つまり、第4層は、字面そのものの視覚的イメージから来る言葉ならざる言語、という感じ? RT @Akanekoegg: そんなこんなで、言葉には色々な側面があるんだけど、漢字は絵画だから(略)
2011-09-26 20:40:56うん。南無阿弥陀仏は「ナーマスアミタユース(アミターバー)」というサンスクリット語の音写だから漢字そのものに意味はないし「初めにみ言葉があった」についても、み言葉そのものが何だったのかは聖書には出てこないんだ。 @azumyn つまり、第4層は(略)RT @Akanekoegg
2011-09-26 20:45:11南無阿弥陀仏も本来なら「言葉にできない。感じ取ることもできない」そんなものが無理やり人間に合わせて出てきた言葉だから、聖書に「み言葉」が何なのか書いていないというのには納得しちゃうんだ。 QT @Akanekoegg @azumyn
2011-09-26 20:49:36クリアに言語化できない何かの存在を認めるというか、受け入れるというか、なんかその域なんだな RT @Akanekoegg: 南無阿弥陀仏も本来なら「言葉にできない。感じ取ることもできない」そんなものが無理やり人間に合わせて出てきた言葉だから(略)
2011-09-26 20:52:33そう!それ!「クリアに言語化できない何か」! これを受け入れるというか感じるかどうかの感性なのだな~と。 QT @azumyn クリアに言語化できない何かの存在を認めるというか、受け入れるというか、なんかその域なんだな RT @Akanekoegg
2011-09-26 21:04:01そうなってくると言葉の第4層とは「クリアに言語化できない言語」ということができるよね。専門用語で書くと楽だけど、それを一生懸命普通の言葉にするとどうなるのかとずっと探っていたんだ。なんかすごくすっきりしたよー QT @Akanekoegg (略) QT @azumyn (略)
2011-09-26 21:08:57@Akanekoegg いや、そこですっきりしちゃっていいのか?クリアに言語化できないものは、言葉を使った表現ではあるが言語の範疇ではない、と考えるほうが自然だぞ
2011-09-26 21:10:13そういう意見もあるなあ。このすっきり感とazumynちゃんの問いかけは結構大切なことだ。ちとお風呂入ってまた書きます QT @azumyn いや、そこですっきりしちゃっていいのか?クリアに言語化できないものは、言葉を使った表現ではあるが言語の範疇ではない、と考えるほうが自然だぞ
2011-09-26 21:13:10@Akanekoegg あ、いやいや、また明日にでも続きを~。私もそろそろおやすみモードに入ります。でもまだ気になるからよかったらまたの機会に続きを!お風呂ゆっくりしてきてね
2011-09-26 21:14:13いいねぇRT @Akanekoegg その5)「ここに壷がある。壷は土から作られているがその本質は土が作る空間だ」「ここに車輪がある。車輪の本質は材が作る空間である」という論語の言葉(記憶が頼りなので細部が微妙に違うかも)は詩的な次元でないと入ってこないよね。
2011-09-26 21:32:29考えてみれば、言語化できるのは人の世界だから、それ以上の存在を示すには言語を超えるしかないんだね。RT @azumyn @Akanekoegg つまり、言葉の第4層は「言葉ではあるが言語ではない言葉」ということでいいのではないか、とか言ってみた
2011-09-26 21:48:03言語ってのが人間か作り出したツールだから。神の世界でなくても、動物や植物や他の生き物の感覚は言語化できないよね RT @souco8: 考えてみれば、言語化できるのは人の世界だから、それ以上の存在を示すには言語を超えるしかないんだね。@Akanekoegg
2011-09-26 21:56:29@souco8 @Akanekoegg ということは、人間の思考が言語の範疇に限られる限り、人間は人間の域をどちら向きにも逸脱しないのかもしれない。哲学って、そういうことなのかも。
2011-09-26 21:59:09言葉は元々人間の感覚から派生したものだからかな。azumynちゃんの言う「言葉ではあるが言葉ではない言葉」で、1、2番目の「言葉」と3番目のそれが違うのもポイントかなーと。 RT @azumyn 言語ってのが(略) RT @souco8 考えてみれば、言語化できるのは(略)
2011-09-26 22:02:54「言語化できない言語」は、だけど言語なんだ。それをなんとか言語化しようと頑張ってきた結果もあるわけだけど。専門用語で書くと「名号」の一言で終わってしまうんだ。だけど、それがこれなんだと身体がうなずくまでに膨大なコストが必要だったわけで、個人的にはそれまでの人生ドブに投げ捨てた的な
2011-09-26 22:11:30投げ捨てるというとカッコイイ言い方なんだけど、泣く泣く捨てさせられたというかなんというか……。だからazumynちゃんの「いかんいかん」という気持ちは正常な反応だと思う。 というわけで、続きは明日書きます><b
2011-09-26 22:17:15うんうん。そして論語じゃなくて老子の「道徳経」だった。ごめん^^;; RT @souco8 いいねぇRT @Akanekoegg その5)「ここに壷がある。壷は土から作られているがその本質は土が作る空間だ」「ここに車輪がある。車輪の本質は材が作る空間である」という論語の言葉(略)
2011-09-26 22:20:10名号(=南無阿弥陀仏)を称える(=呼ぶ)ことがどうして救いになるのかということを、人間はせっせと人間の言葉で考えるわけですが、それはすべて無駄であり、無駄という一点において意味があるのです。と、論理の破綻した言い方をせざるを得ないのも、人間の言葉を超えているからです。
2011-09-26 23:51:36承前)人間の言葉を超えているというのは、神秘世界の話ではなく、たとえば雪を知らない民族の言語に雪を意味する語彙がなければ雪という事象はその民族の言語を超えている、という意味合いにおいてです。
2011-09-26 23:55:23こんにちは。ということで唐突に昨晩の続きを書き始めます。「言葉の第4層」とは「言語化できない言語」とは何なのか? 結局言語じゃないんじゃない?という問いも出てくるのですが、やっぱり言語なんです。
2011-09-27 13:13:50言葉の一番深い層とは「最も純粋な言語」 言葉が言葉以外のものによって汚染されない言葉と大峯先生は書いてて 「いろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよばれず、ことばもたえたり」と親鸞聖人が表現されているわけで
2011-09-27 13:51:53続き) 結局「人間が自分の経験や想像で”こんなところだろう”と想像・納得する程度では足りないくらい深い次元の言葉」ということになってしまいます。ただ、それで終わりなのかというと、その「語れない世界」「絶対言語の世界」「非化」のものが語りかけてくるという働きがあって(続く)
2011-09-27 14:06:59