2011.09.26 現代芸術論(同志社大学 2011後期)吉岡洋先生 Twitter講義 #dougen
まあ系譜を描き出す事によって「近代」からつながる「現代」において、「近代芸術」の正嫡としての「現代芸術」を表明するという出生証明書の提出の手筋。その正嫡性は、「近代芸術」において練丹された美学理論を用いて美学理論を批判するという手法によって行う。 #dougen
2011-09-26 18:09:50@hirunenotanuki 個性は自分が属している社会のコミュニティの重なっている部分だと考えます。ですので、どんな個性も社会がある結果生じたものだと思います。 #dougen
2011-09-26 18:09:57資本主義で社会がシステム化されて没個性になったことに対して、少しでも抗いたいんじゃないでしょうか。でもやたらと自分を個性的だとアピールする人が多くて嫌になります。そういう人が本当に個人的なのか。 #dougen
2011-09-26 18:10:13なるほど。では「個性」や「オリジナリティ」があたかも個人的精神の内部から発露するかのようなロマン主義的な物語が、現代においてもなお力を失なわないのはなぜなのだろう? こんなお話のどこが、これほどまでに欲望を駆動するのか? #dougen
2011-09-26 18:10:44個性っていうのが作家に内在するものなのか作品に内在するものなのか鑑賞者によって形成されるものなのかがどうもわからない。 #dougen
2011-09-26 18:11:34@hirunenotanuki 自己の唯一性、代替不可能性を、「個性」や「オリジナリティ」に見出そうとしてるんじゃないですか。安直でほとんど楽観的な薄っぺらい考え方だと思いますがね。 #dougen
2011-09-26 18:13:08@nadami30 うーん、そうでしょうか。教育を受けずに自力で時計を発明しても、それは他人に認められるオリジナルではない気がします。比較してこそ新しいのであり、まず比較対象を知ることからはじめなければいけない。それが教育の役割ではないでしょうか。 #dougen
2011-09-26 18:13:38@sarah_mikey 比較対象を知る。興味深いですね。何か他のものを意識してしまった時点で、真の意味でのオリジナルではないような気が。自力で時計を発明したら、それこそすばらしいオリジナルなのでは? #dougen
2011-09-26 18:19:12@nadami30 興味深いとのお言葉、ありがとうございます。ただ、私は「オリジナル」という言葉を「誰のものとも同じでない」という意味だと捉えていました。自力で開発した時計が既にあるものならば、それは「誰かのものと同じ」なのでオリジナルではない、と。 #dougen
2011-09-26 18:25:49#dougen 個性やオリジナリティをっていまほとんどの場合言い訳に使われてないかな? ロマン主義的にもっていいった方がカッコいいし。俺カッコいい!!!
2011-09-26 18:15:06オリジナリティとか個性とかの話はよくわからない。それ必要な議論なんだろうか。「近代」によって正当化されている(と信じられている)だけのものが、未だ通俗的であるというだけの話ではないのか。そこを批判するのは当然現代芸術によって担われるべきだと思うけれども #dougen
2011-09-26 18:16:24いやー予想以上に混乱してしまいました(笑)。興味深い意見や指摘をしてくれた人たちに個別的にはほとんど返事できなかったが、ありがとう。そろそろ時間なので、受講者には来週までに考えてほしい課題を出して終わります。#dougen
2011-09-26 18:13:28@KANAH0 このようなハッシュタグが有るのですね。あとでちょっと使ってみたいと思います。#dougen
2011-09-26 18:13:46とはいってみたものの、ひょっとして @hirunenotanuki "同志社大学「現代芸術論」受講者の皆さん" でないと、いけなかったのでしょうか? #dougen
2011-09-26 18:18:42@pankomedia いやいや、もちろん外部参加大歓迎だったのですよ。むしろ外部からの書き込みのほうが多かったのではないかな。
2011-09-26 18:29:39「現代芸術論」受講者でこのTwitter講義に参加した人は、今日出た意見や議論について自分の視点から1,200字程度でまとめてみてください。#dougen
2011-09-26 18:17:35もちろんこれは非公式の授業で、これに参加したかどうかは単位や成績評価には一切関係ありません。公式には本日の「現代芸術論」は休講です。#dougen
2011-09-26 18:18:57では、講義はこれで終わります。まだこのハッシュタグを使って議論を続けてもかまいませんが、教室にいる人は解散してください。maci_yさん、手伝いごくろうさまでした。#dougen
2011-09-26 18:20:51#dougen @hirunenotanuki 教室での授業は終わりました。ありがとうございました。 http://t.co/29OmgEbR
2011-09-26 18:20:07まずは提出された議題に対しての、自分の立ち位置から。私はとある作品が「現代芸術」であるという言葉をきいて、ある一定の興味を持つ人間です。それは、その言葉を関された作品に対する興味でもあり、またその言葉を発した人に対する興味でもある。#dougen
2011-09-26 18:26:56そしてその作品を鑑賞したあとで、その「現代性」を自分の言葉で言い直したくなる人間です。それが自分にとってどのように「現代性」を帯びたものだったのか、またそうでなかったのか。自分の受け取った「現代性」を他人に受け渡す作業をいくつ経ることが出来るのか。 #dougen
2011-09-26 18:33:01自分の受け取った「現代性」の言葉は、どれだけの人の受け渡しの末に自分の元へ届いたのか。また、自分の発した「現代性」の言葉はどれだけの人に受け渡されるのか。それを経ない作品からは「現代性」が失われ、それを現在も経ているものが、いままさに現代的でありうる。 #dougen
2011-09-26 18:39:14例えばキース・ジャレットのピアノ。僕にとってはある時期までは現代性を帯びたもので、ある時期からそうではなくなっているだけれど、それは自分がその受け渡しの流れからは外れたということ。 #dougen
2011-09-26 18:44:10キース自身はいまもピアノを弾いていて、それはある流れの中では現代性を帯びたものであろう。自分はまたその流れに乗るかもしれないけれど、確かに今はその時期ではない。< という流れで考えるということが、現代芸術について、と問われてまず思いついたことです。 #dougen
2011-09-26 18:49:28