ある女医の青春と学歴

「経験中心の履歴書」が話題になったときに作成されたTwitter小説です
10
ゆな先生 @JapanTank

【ある女医の青春と学歴】 一昨年、人生で初めて額面年収が2000万を超えた。 「あれから、何年経ったんだろう」。 Twitterで流れてくる「経験中心の履歴書」のタイムラインを見ながら、遠い故郷を思い出していた。 私は現役である慶應医学部に入った。華々しい学歴だと思うだろうが、身の上話をする。

2022-08-24 18:13:22
ゆな先生 @JapanTank

私は人口減少が続く村の長女として生まれた。勉強はよく出来た。 実家は裕福だったが、若い頃に父が病気で倒れたあとは家計は苦しかった。父亡き後、母は子供3人を女手1つで育て上げてくれた。ふるさとは市町村合併で吸収され市になって村の名前は滅びたし、村に続く鉄道は廃線になってもうない。

2022-08-24 18:13:23
ゆな先生 @JapanTank

父が他界したあと、母が仕事で遅くなることが増えたので、中学入学後は夕食は兄弟姉妹で分担することになっていた。 私は月・水・金を、弟が火・木を担当した。 私はテニス部に入っていたが、夕食の準備がない火曜と木曜だけはフルに練習に参加できた。ラケットと靴は卒業した先輩からのお下がりだ。

2022-08-24 18:13:23
ゆな先生 @JapanTank

夕食作りの都合でコート整備までいられずに、急いで帰ることもあった。 雨が降った翌朝は、早朝1人学校に来て、スポンジでコートの水たまりを乾かしたりしてコート整備できない埋め合わせをした。 剥がれたライン部分にはライン引き石灰で線を引いた。 先生も同級生も事情を知っていて、皆優しかった。

2022-08-24 18:13:24
ゆな先生 @JapanTank

テニスコートでの練習量が他の人より半分になるので、早朝や夜に走ってスタミナをつけた。 田舎には信号がないから、どこまででも走れた。夏になると足元でバッタが跳ねた。 私は片道20kmにある公立高校に入った。電車はなく夕飯の買出もあるから、1時間に1本のバスではなく、ママチャリで通った。

2022-08-24 18:13:25
ゆな先生 @JapanTank

1日往復40km。安いママチャリだったから、年に何度もパンクし、学校に遅刻した。 鞄の中にはパンク修理キットを入れていた。1年で10000kmくらい走ったと思う。 片道25km自転車で通っている同級生もいたが、彼がパンクも遅刻もしないのを不思議に思っていた。地元の人はだいたい同じ高校だった。

2022-08-24 18:13:25
ゆな先生 @JapanTank

母校の小学校には誰1人として私立の中高一貫校に進学した人はいなかったし、そもそも「中高一貫校」や「中学受験」なるものが存在することを知らなかった。帰国子女に会ったことは当然ない。 高校も、私立に行くというのはよほど勉強ができない人だと思っていた。

2022-08-24 18:13:26
ゆな先生 @JapanTank

高校でも成績は良かった。部活も継続したが、夕食当番は相変わらずだった。 塾ないし、たまに1時間かけてバスで隣町までいって参考書を買った。成績が良いのは母も喜んでくれた。 中学と違い高校は学費がかかるから、「お母さん頑張るから」と残業を頑張ってくれていた。

2022-08-24 18:13:26
ゆな先生 @JapanTank

高校2年の夏、ママチャリで帰宅中に知らないおじさんに声をかけられた。 「あんたゆなちゃんやろ。その自転車で通ってるんか」 私の名前をなんで知ってるのかはわからなかったが、村人というはなぜか他の家の子の成績や、好きな食べ物まで知っている。 おじさんの家についていった。立派な家だ。

2022-08-24 18:13:27
ゆな先生 @JapanTank

「これ(次男坊)にちょっと勉強教えてやってくれんか。小遣いやるから。あとこの自転車乗らないから、あんたにやるから」と言われた。 1ヶ月勉強を教えた。次男坊は私より年上の高3なのに数学は中学レベルからやり直しだった。英語は妙によくできていた。成績は随分伸ばせたと思うし、感謝された。

2022-08-24 18:13:28
ゆな先生 @JapanTank

私が1ヶ月の家庭教師で得たものは、まとまったお金と、摩擦抵抗の少ない細いタイヤ、シマノの高速ギア、そしてカーボンの抜群の軽さを備えたGIANTのロードバイクだった。いくらするのかは当時は知らなかったが、20万はする。 学校への通学時間は半分になった。高速で走ってもパンクもしなくなった。

2022-08-24 18:13:28
ゆな先生 @JapanTank

泥除けがないので雨が降ると制服のブラウスの背中が泥だらけになる。だから雨が嫌いだった。でも、通学時間が半分になったことで、部活に使える時間も勉強に使える時間も増えた。お金は参考書とか弟たちの部活の道具などに使って、余ったぶんは将来のためにと、とっておいた。

2022-08-24 18:13:29
ゆな先生 @JapanTank

高校時代、男子に告白もされた。でも、誰とも付き合うことはなかった。 恋愛をしたいなと思ったけど、私には家族の面倒を見る必要があったし、勉強もしたかった。海外留学とか、オープンキャンパスとか、大手予備校の夏期講習とか、そういうのにも行きたかったけど、そんな時間もお金もなかった。

2022-08-24 18:13:29
ゆな先生 @JapanTank

私は、経験を買うことができなかった。経験どころか恋愛も時間とお金が必要だった。 村には外国人なんていないし、学校の英語の先生も英語は話せなかった。家にインターネットはなかった。 父が遺した古いソニーのラジオを使い、電波の届きやすい2Fの窓際で、入りにくい日は外に出て、

2022-08-24 18:13:30
ゆな先生 @JapanTank

NHKラジオ英語講座を聞いて生の英語の声を聞いてリスニング対策の勉強した。 短波放送で海外から流れてくる微量な電波を受信して、海の向こうに思いを馳せた。 大学で東京に来たとき、東京ではラジオがきれいに入ることに感動した。外国人もいっぱいいて、米軍放送で英語を24時間聴けるのも驚いた。

2022-08-24 18:13:31
ゆな先生 @JapanTank

高3のとき、進路選択の問題に直面した。 田舎には、高収入な仕事は2つしかない。 中小企業の経営者か、医者だ。 経営者は跡継ぎ息子がやるから、優秀な人間は医者になる。だから東京の高校より地方の高校のほうが医学部に行くことを重視する。経営者か医者以外は、地元で定収入で働くか、

2022-08-24 18:13:31
ゆな先生 @JapanTank

コネで地方公務員をやるか、高収入を求めて都会に行かなければいけない。 しかし私はそもそも大学に進学するお金をどうするのかが喫緊の課題だった。私には弟たちがいたので、彼らのことも考える必要がある。お金を集められなければ、高卒で地元の飲食店で働くか、役場で高卒事務員をするしかない。

2022-08-24 18:13:32
ゆな先生 @JapanTank

役場に高卒枠があるのは、私みたいな人を救うためだろう。 「ゆなちゃんうちのスナックで働けばいいじゃない。お客さん増えて嬉しいわ」 と声をかけてくれるおばちゃんもいた。 高卒で都会に出てキャバクラで働くとかも考えた。 キャバクラやAVならいくら稼げるのだろうと真剣に調べたこともあった。

2022-08-24 18:13:33
ゆな先生 @JapanTank

そのお金で、学費と東京の居住費は払えるだろうか。 「初めての相手は彼氏がいいけどなー」と思ったりもした。 高3の夏に、資金問題が大きく動く。 地元で先祖代々会社経営をしている村一番の金持ち名家がいて、その社長を訪ねた。 あのロードバイクをくれた家だった。

2022-08-24 18:13:33
ゆな先生 @JapanTank

ベンツが止まっていて、玄関には立派な生花とゴルフクラブがある。 最新の模試の結果を3つと、校長からの推薦状をもっていった。 社長はあのおじさんだった。背は低く太っているが、目は鋭い。 「東大に行きたいんです。もし受かったら、卒業までの学費と東京居住費を無利子で貸してくれませんか」

2022-08-24 18:13:34
ゆな先生 @JapanTank

模試は志望校はA判定だったが、田舎でも受けられるのは一般的な模試ばかりで、東大模試は都会に出ないと受けられず、その結果を聞かれないか心配だった。 「あんた、XXさんちのゆなちゃんやろ。お母さんは元気か」 「俺は商業高校しか卒業してないけど、親父から継いだこの商売を大きくしてきた」

2022-08-24 18:13:34
ゆな先生 @JapanTank

「でもな、商売すればするほど、英語とか理科ができんといかんと思うときがある」 「知ってると思うが俺の息子はぼんくらだから、海外に留学させた」 「俺じゃあんたの成績はわからんから息子呼ぶわ、おいXX(社長の息子)、おるか?」 社長の息子は確かに地元ではぼんくらで有名だったが、

2022-08-24 18:13:35
ゆな先生 @JapanTank

高校のときに米国に1年交換留学にいって、そこから留学経験を引っさげてAO入試で東京の有名私立大学に通っていた。 私が教えた数学で留年を回避したと聞いた。 寝起きの面のぼんくらは社長に模試結果内容を説明し、社長は無利子融資の承諾をしてくれた。 「あんた、がんばって受かれよ」

2022-08-24 18:13:36
ゆな先生 @JapanTank

私はそこから必死に勉強した。赤本は遠くまで買いに行った。在庫がないと困るので事前に電話した。 夕食当番はセンター試験がある1月からは弟たちが肩代わりしてくれた。 家庭教師で稼いだお金の残金で、東大と慶應2つを受験する。慶應の医学部は私立では一番安いが、それでも高すぎる。

2022-08-24 18:13:36
ゆな先生 @JapanTank

東大に受かれば社長から無利子の融資を受けられる。 慶應にいくお金はないが、そのときはキャバクラでもAVでもいいからなんとかしようと思っていた。 一般的な大学受験は、まず1月下旬にセンター試験、2月上旬から私立の低難易度校、2月中旬に早稲田、慶應、2月末に国公立二次試験(東大など)で終える。

2022-08-24 18:13:37