サザエさんに出てくるご先祖の磯野藻屑源州太皆が今更ながら幕末/明治維新の頃の福岡藩に居たのか?というか原作・明治28年生まれの波平から見ると先祖というより祖父か曾祖父くらい?ってのを考えはじめたら先行研究が大量にあった。 『磯野藻屑』について研究するスレッド hobby.5ch.net/test/read.cgi/…
2022-10-07 21:02:38リンク先のスレッドで言及されてるが、波平の夢枕に立って庭にへそくりを埋めておいた的な話をしていたが、あれたぶん福岡の実家の庭ってことなんじゃないか。 いや夢枕に立ったんだからそのへんは超越して、福岡藩の江戸屋敷とかなのかもしれんが。
2022-10-07 21:04:38ぼたもちができた時期とか、御一新の頃という説明が付随している(原作登場回でそんな設定なかった気もするので後で追加された?)が、福岡藩で武士階級だった&殿様に褒められる程度の身分がある磯野家という構造が見える。 「源」は源氏かどうかちょっと怪しいが。
2022-10-07 21:07:10どっちかちゅーと、この身分で明治維新を乗り越えて普通に磯野家が存続してるの結構すごいことね。波平とかの感覚を見ると勤め人に慣れてる感じがあるので、磯野藻屑の息子が廃藩置県を乗り越えて福岡県の官吏とかになって、そこからわりと公的機関寄りの民間企業で働き始めたりしたのかな。
2022-10-07 21:09:17ぼたもち38個平らげた話、カツオはかっこ悪って捉えてたけど、殿様に褒められるほどの健啖家だったというのは割と普通に逸話の類な気もする。 今の時代と違って、お城つとめでおやつやお昼にぼたもちが大量に出てくるわけじゃないので、武士の体面にかけて大量に食べてみせたって話だろうか。
2022-10-07 21:13:30城勤めの環境で大量にぼたもちが準備されてそれをひとりでたくさん食えるる状況、かなりの確率でそのために用意されたもののような気がするし、殿様が認知する状態でたくさん食べて褒められたってのは、「できるかできないか」を問われて見事に食ってみせたという逸話なのではないか。
2022-10-07 21:15:08当時の時代に大食いがどういう位置づけなのかは文化的に疎いのでよくわからんが、状況的には健啖家であることはそれだけ壮健であり、優れた働きをするだろう武士だ、磯野藻屑よ見事なり! というニュアンスで褒められたって感じなのではないか。
2022-10-07 21:17:21幕末に世情が差し迫る前の、磯野藻屑もまだ若かった天保年間初期くらいの暢気さがある時代のエピソードのひとつで、そんな磯野藻屑も幕末にかけては激動の中を家を守るために生き抜いて後の磯野家に繋がるのではないかなあ。 江戸表や維新後の東京に出てきたこともあったかもしれない。
2022-10-07 21:21:06波平の明治28年生まれ、磯野藻屑に言及された連載中期まで維持されていた設定なのかというとちょっと怪しいので、もう一世代くらい上の認識だった可能性はある。 波平自身が見知った祖父というかたちでは言及しておらず、伝聞で聞いたご先祖様という話し方だからなあ。
2022-10-07 21:28:16@domioriha そも、問題として波平は長男ではないので相続する権利もなければ、先祖代々敬って供養すべきは最低でも海平側ではないか・・・と思わないではない。
2022-10-07 22:45:11波平は磯野家では分家筋というか、長男ではないということは忘れないでいきたい。ただその割には中等教育受けてるとかすげぇインテリなんだよなぁ(ただし音程の破壊されたローレライ以外に証明する表現なし)
2022-10-07 22:48:46そして波平、そこまでインテリの片鱗がありつつ戦時にはどうみても一兵卒として従軍(どこにかは不明)してるとか逆にすげぇ。
2022-10-07 22:50:30磯野波平と磯野海平、弟のはずの波平が磯野藻屑を供養するような立場っぽく描かれてるの、戸籍とは別に、波平のほうが本家である(兄である)みたいななんらかの認識があるのだろうか。 考え込もうと思えばできないことはないが。
2022-10-07 23:06:14>1874年12月13日の太政官指令により「前産ノ児ヲ以テ兄姉ト定候(略 >ただし、この「後から生まれた方が兄(姉)」という考え方は直ぐには改められなかったようで、例えば明治25年(1892年)に生まれたきんさんぎんさんは後から生まれたきんが姉と… 双生児 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8C…
2022-10-07 23:08:13法令の取り決めによって戸籍登録的には海平が兄となったが、江戸時代から続いている磯野家においてはすぐにその認識が改められたわけではなく、明治28年生まれの双子の波平・海平については戸籍では海平を兄としたが、本当は波平のほうが長男であるというような気風が生まれていた可能性がある?
2022-10-07 23:11:20案外、波平の認識としては本当は自分が長男なのだから海平の分も気張らねばみたいな気持ちがあったのかもしれん。
2022-10-07 23:13:57煉獄杏寿郎と磯野波平が同年生まれという与太話に急に文脈が生まれてしまったな…… twitter.com/domioriha/stat…
2022-10-07 23:18:54磯野藻屑源州太皆、ぼたもち38個のエピソード的にはおおらかなイメージとしての「太平の江戸時代」の愉快なご先祖様ってニュアンスが強いような気がするが、長谷川先生があえて「ごいっしんの頃」に設定してきた理由、深い理由はないかもしれないがいざ気にするとなかなか気になるな。
2022-10-07 23:26:05江戸中期以前にはぼたもちがないというのもあるけど、それを前提にして考慮したと仮定してもなお、なんで「ごいっしんの頃」みたいな色々時代背景としてややこしくなる時期として言及しているんだろう。 いややっぱり深い理由はないのかもしれないが。
2022-10-07 23:28:42殿様に褒められた話が磯野家の子孫に伝わってるということは、単にすごかったというだけじゃなく、褒美として何かしらの品をもらって、「この品はな、お前のお父様がこれこれこうした時に~」みたいな逸話のエピソードとして、それが息子や孫に語り継がれたということだろうと思う。
2022-10-07 23:31:35そうなるとやっぱり、単に大食いチャンピオンで評価されたってのじゃなく、殿様なり藩が大変なことになるときにも、たくさん食べるだけあって、その分の働きができる、十分に力を尽くせる立派な臣下であるというエピソードとして、子孫にこれを見習い修身を示唆する意味合いなのかも。
2022-10-07 23:35:57カツオに磯野家先祖のことを聞かれて最初に挙げる程度には、波平は立派なご先祖であるという認識だったわけだろうからな……。 波平の口ぶりからみる限り、磯野藻屑はトトホなエピソードで知られるかっこ悪いご先祖様だという認識だとは思えない。
2022-10-07 23:37:52ちょっと発想の飛躍になるが、幕末や維新の大変なときにも、いっしょけんめいに藩や殿様のために力を尽くした壮健なご先祖様である、という感じの文脈で、まあ多少無理をすれば読めないことはないよな。
2022-10-07 23:39:34