【あの】サザエさんの磯野家、信長に勝っていた!

サザエさんの磯野家は幕末の福岡藩士を家祖としていますが、その系統をたどると、戦国武将の磯野員昌(いそのかずまさ)にまでさかのぼります。磯野員昌は一五七〇年の姉川の戦いで秀吉を粉砕し、信長に後一歩まで迫った猛将でした。
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松平俊介(東龍) @matu2syun

久しぶりにサザエさんを見たので、サザエさんの先祖、磯野家の戦国時代について書いてみたいと思います。実は織田信長は磯野家に斬られていた可能性すらある猛将の家なんですね

2013-07-14 19:12:54
松平俊介(東龍) @matu2syun

サザエさんの磯野家は、直接の先祖を 磯野藻屑源素太皆(いそのもくず・みなもとのすたみな)としています。天保期の福岡藩士だったということですが、地味に史実を踏まえておりまして、磯野家は源氏です。

2013-07-14 19:14:16
松平俊介(東龍) @matu2syun

というより、磯野家の本をたどると、近江守護の京極家にたどり着くんですね。磯野家は近江を発祥の地としており、京極家の分家で近江守護代だった上坂家の分家にあたります。つまり、京極の分家の分家が磯野家です

2013-07-14 19:16:43
松平俊介(東龍) @matu2syun

守護代の分家という点では織田信長の家とあまり変わりません。「京極の旗頭也。」「精兵武勇其名世に高し。」と『淡海木間攫』にはあるそうですから、相当強かった

2013-07-14 19:18:16
松平俊介(東龍) @matu2syun

で、戦国初期の磯野家は、同格の浅井家(浅井長政の家です)と近江の覇権を争っていました。結局浅井家の軍門に下るのですが、その時、磯野員昌は佐和山城主として半独立的立場で浅井家に服属するといういささか微妙な立ち位置になりました

2013-07-14 19:22:44
松平俊介(東龍) @matu2syun

磯野家の武名が天下に轟くのは、1570年6月28日の姉川の戦いに於いてです。この時、磯野家当主(4代目くらい?)の磯野丹波守員昌は浅井家の先陣として出撃し、木下秀吉を含む織田軍11部隊を撃破します。世に言う「姉川十一段崩し」の大手柄です。

2013-07-14 19:26:40
松平俊介(東龍) @matu2syun

磯野員昌は、この時さくらともぞうならぬ坂井久蔵を討ち取り、池田恒興を破り、木下秀吉(のちの豊臣秀吉)を撃破し、柴田勝家を敗走させ、唯一互角だった森可成だけが撃破されていなかった…と江戸時代の軍記物「浅井三代記」にはあります

2013-07-14 19:35:53
松平俊介(東龍) @matu2syun

要するに秀吉よりサザエさんの先祖のほうが強かった

2013-07-14 19:36:17
松平俊介(東龍) @matu2syun

ちなみに、森可成はあの狂戦士・鬼武蔵こと森長可の父で、織田軍最強の部隊の一つでした。さすがの磯野家も森だけは潰せなかった。まあ、信長も命拾いでしたね

2013-07-14 19:37:34
松平俊介(東龍) @matu2syun

浅井三代記によりますと、磯野家を始めとする浅井軍は、援軍の朝倉軍を敗走させた徳川家康軍の横槍を受けて壊滅した…ということになっていまして。その中でも磯野家は千五百人の兵士数が三百人まで減りましたがなんとまだ生き残っていたのですね

2013-07-14 19:39:48
松平俊介(東龍) @matu2syun

そこからが磯野家のすごい所で、「磯野丹波守員政は立帰、後をきつと見けるに、わづか三百計にて敵のむらがる真中を討破り、かけ通り、佐和山の城へこそ引取ける。此丹波守の働感ぜぬ者こそなかりける。」とあり、なんと島津なみの敵中突破をかましているんですね

2013-07-14 19:43:10
松平俊介(東龍) @matu2syun

このあと、織田信長は姉川の戦いで勝った余勢をかって、小谷城も攻めていますが、この時は磯野に負けて(本当にそう書いてあるんだよな『浅井三代記』)、家に帰りました

2013-07-14 19:44:56
松平俊介(東龍) @matu2syun

信長はこのあとも各地で負け続け、ついに「天下の覇者は朝倉義景様にお渡しし、私は二度と天下取りはしません」という詫び証文まで書かされるという始末でした

2013-07-14 19:48:44
松平俊介(東龍) @matu2syun

ところが、ここで磯野家は浅井家と揉めてしまいます。なんと、磯野家の老母というからおフネさんでしょうか、浅井長政が木下秀吉の計略にかかり、人質のおフネさんをハリツケにして殺害するという大チョンボをやってしまいます

2013-07-14 19:50:47
松平俊介(東龍) @matu2syun

これにキレた波平、じゃなかった磯野員昌は織田家に寝返り、養子にマスオさん、じゃなくて織田信澄(信長のおい)を迎えるということで織田軍に入ります

2013-07-14 19:53:53
松平俊介(東龍) @matu2syun

ところがこのマスオさんじゃない織田信澄が大変な男で、天正六年二月、逆に波平を叩きだし自分が当主になってしまいます。こうして磯野家は滅亡しました。

2013-07-14 19:55:35
松平俊介(東龍) @matu2syun

実は磯野員昌にはサザエさんと同じく一男二女がいました。カツオ(じゃなくて磯野員昌の息子ね)は、ひきこもりになったという以外の記録がありません。

2013-07-14 19:57:32
松平俊介(東龍) @matu2syun

問題は二女の方で、この内の一人が日本史を変えた男を産みます。姉か妹か、つまりサザエさんかワカメちゃんかわからないのですが、豊臣秀長の大和郡山藩百万石の家老・小堀正次に嫁ぎます

2013-07-14 20:00:30
松平俊介(東龍) @matu2syun

で、この女性の息子がタラちゃんではなく、作助というのですが、後の茶人・小堀遠州政一のことです。ゲヒ殿こと古田織部の弟子で、備中松山城の再建、駿府城修築、名古屋城天守、後陽成院御所の普請奉行をやった他、作庭や茶道に優れた茶道小堀流の祖です。

2013-07-14 20:03:50
松平俊介(東龍) @matu2syun

さて、磯野家のその後ですが、ひきこもりのカツオ以外に、次男の磯野行信という人物がおり、石田三成の配下になったようです。サザエさんで言えリスケのポジション?

2013-07-14 20:06:16
松平俊介(東龍) @matu2syun

この系統は磯野行信よりも、行信の息子のイクラちゃん…じゃなかった、磯野行尚が有名でして、大阪夏の陣で奮戦して増田盛次を討ち取っています。

2013-07-14 20:08:37
松平俊介(東龍) @matu2syun

イクラちゃんも史実では(?)いつまでもバブーとハーイ以外いっていたわけではない

2013-07-14 20:09:17
松平俊介(東龍) @matu2syun

このブログの方が非常に面白いことをいっておられまして、磯野行尚の一族が細川家の九州転封時に福岡に行ったんじゃないか?といっておられますhttp://t.co/oNv7WLjZ1d

2013-07-14 20:10:54
松平俊介(東龍) @matu2syun

こうして見るとサザエさんってすごいなあと。いうお話でした。

2013-07-14 20:12:02