日顕宗破折マニュアルその一、戒壇本尊編

日顕宗(日蓮正宗)の教義の誤りを誰でも理解できるように、簡潔に纏めてみました。
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komekome39 @komesandazo

先ずは日顕宗サイトに頻繁に出てくるこのテーマ 「法主の開眼供養がない創価の御本尊は偽本尊だ」 破折 「仏の御意は法華経なり日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし」(経王殿御返事) 大聖人の魂は曼荼羅の中央に、南無妙法蓮華経 日蓮 と大書されている。 続く

2022-10-14 21:44:49
komekome39 @komesandazo

曼荼羅のそれは単なる文字ではないのか? 「仏の御意あらはれて法華の文字となれり、文字変じて又仏の御意となる、されば法華経をよませ給はむ人は文字と思食事なかれすなはち仏の御意なり」(木絵二像開眼之事) 色心不二の法理により、文字が即仏の御意(魂)、即ち仏の生命となる。 続く

2022-10-14 21:49:12
komekome39 @komesandazo

題目以上の存在は無いと大聖人は仰せだ。文証は多い。 「題目に万法(全宇宙の全て)を含む」(四信五品抄) 「上行菩薩に授与し給う題目の外に法華経の極理は無きなり」(御講聞書) 「無上とは南無妙法蓮華経・無上の中の極無上なり」(御義口伝) 続く

2022-10-14 22:02:53
komekome39 @komesandazo

題目には欠けているものがあるので、法主の法華経による開眼供養が必要なのではないか? 「南無妙法蓮華経の題目の内には、一部八巻二十八品六万九千三百八十四の文字、一字ももれずかけずおさめて候」(妙法尼御前御返事) 題目には法華経の全てが含まれている。法華経で開眼供養する必要なし 続く

2022-10-14 21:53:48
komekome39 @komesandazo

「下地獄より上仏界までの十界の依正の当体、ことごとく一法ものこさず妙法蓮華経のすがたなり」(諸法実相抄) 「題目の五字に一法として具足せずということなし」(御義口伝) 「妙法蓮華経の五字は、万像を浮かべて一法も残る物これ無し」(御義口伝) よって、文字曼荼羅に開眼供養は不要。

2022-10-14 22:08:41
komekome39 @komesandazo

「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし(略)此の南無妙法蓮華経に余事をまじへば・ゆゆしきひが事なり」(上野殿御返事) 従って、法主が開眼供養して、南無妙法蓮華経の御本尊に御法魂を入れるという日顕の主張は、題目に余事を混える由々しき僻事であり邪義。

2022-10-17 21:24:07
komekome39 @komesandazo

それではなぜ木画の二像は法華経と法華経を心得た僧侶による開眼供養が必要なのか? 木画の二像とは文字曼荼羅ではなく、釈迦の仏画及び仏像を意味し、単なる物体であり、梵音声と心法(要するに釈迦の生命)が欠けているから、仏の御意である法華経を用いて開眼供養する必要がある。 続く

2022-10-14 22:17:21
komekome39 @komesandazo

木画の二像が南無妙法蓮華経の文字曼荼羅でない証拠はあるのか? 次の御文の文脈からそう判断できる。 「仏滅後は木画の二像あり是れ三十一相にして梵音声かけたり故に仏に非ず又心法かけたり、生身の仏と木画の二像を対するに天地雲泥なり、 続く

2022-10-14 22:19:57
komekome39 @komesandazo

何ぞ涅槃の後分には生身の仏と滅後の木画の二像と功徳斉等なり」(木絵二像開眼之事) ここでは、「生身の仏と木画の二像」の功徳を対比しているが、「仏滅後」と大聖人様は仰られており、当然この時点で大聖人様は滅しておられないので、釈尊のことを指すのは明らか。加えて、 続く

2022-10-14 22:23:21
komekome39 @komesandazo

「滅せる梵音声かへつて形をあらはして文字と成つて衆生を利益するなり」とあり、梵音声とは、「清浄なる仏の声」などと訳されるが、要するに釈尊の言語、サンスクリット語と解釈すべき。即ち大聖人とは言語が違う。「滅せる梵音声」 これは、「木画の二像」が釈迦の仏像・画像である決定的証拠 続く

2022-10-14 22:27:30
komekome39 @komesandazo

木画の二像=釈尊と置くと、さらに注目すべきはこの御文。 「涅槃の後分には生身の仏と滅後の木画の二像と功徳斉等なりといふや」 文字曼荼羅の左肩には「有供養者福過十号」、即ち、この曼荼羅の功徳は釈尊を供養する功徳よりも勝ると、はっきり認められている。 続く

2022-10-14 22:39:18
komekome39 @komesandazo

従って、木絵二像開眼之事とは釈迦の木画の二像に関する御書であり、文字曼荼羅の開眼供養を説明した御書ではない。そのように解釈する日蓮正宗は明らかに邪義を唱えているということになる。

2022-10-14 22:43:22
komekome39 @komesandazo

御本尊の脇書を取ったのは大謗法だ」 by 日顕 破折 御本尊は『南無妙法蓮華経 日蓮』 の本門と『釈迦(報身)、多宝(法身)、十方分身の諸仏(応身)』の迹門から成る。 脇書というのは御本尊の本門にも迹門にも属さない。あくまで脇書きに過ぎない。なので省略しても問題ない。 続く

2022-10-15 21:20:50
komekome39 @komesandazo

nichiren.com/index.php/newr… 事実、日顕宗も脇書を削除していることが、改革同盟により指摘されている。詳しくはこちらに譲る。 続く

2022-10-15 21:22:58
komekome39 @komesandazo

戒壇本尊を通さないと功徳はない 破折 詳しい議論はこちらに譲る。 togetter.com/li/1953479 簡単な議論として、本門の「南無妙法蓮華経 日蓮」は普遍であるのに対し、迹門の十界は全てが揃う必要はないので、主題の本門がある真筆御本尊は実は全て本物の御本尊と言えてしまうのだ。 続く

2022-10-15 21:27:10
komekome39 @komesandazo

御本尊の配座の十界が全て揃わなくても良いという文証はあるのか? 「下地獄より上仏界までの十界の依正の当体、ことごとく一法ものこさず妙法蓮華経のすがたなり」(諸法実相抄) 即ち、中央の主題の題目に全てが含まれている。だから迹門それ自体は必要だが、十界が全て揃う必要はない。 続く

2022-10-15 21:37:14
komekome39 @komesandazo

事実、弘安二年以後も、十界の全てが揃わない御本尊はいくつも存在する。これがそう。 pounceatron.dreamhosters.com/nichirenscoffe…… この事実は何を意味するかというと、戒壇本尊のみが特別というのは、配座からして、主題からしてあり得ないということだ。中央の主題と迹門が揃う真筆御本尊なら、全て本物だ。 続

2022-10-16 12:15:34
komekome39 @komesandazo

弘安2年の戒壇本尊は、聖人御難事に示された通り、大聖人の出世の本懐ではないのか? 「あまりにありがたく候えば、宝塔をかきあらわしまいらせ候ぞ。子にあらずんば、ゆずることなかれ。信心強盛の者にあらずんば、見することなかれ。『出世の本懐』とは、これなり」(阿仏房御書) 続く

2022-10-16 12:45:47
komekome39 @komesandazo

阿仏房御書の執筆時は建治2年、即ち弘安二年の三年前に、既に出世の本懐である御本尊を図顕されたことになる。従って、戒壇本尊のみを出世の本懐とするには無理がある。又、聖人御難事の出世の本懐、「世は二十七年なり」が戒壇本尊を指す証拠は皆無だ。

2022-10-16 12:49:54
komekome39 @komesandazo

「日蓮聖人御『出世の本懐』、南無妙法蓮華経の教主・久遠実成の如来の画像は、一・二人書き奉り候えども、いまだ木像をば誰も造り奉らず候」(原殿御返事) ここでも出世の本懐は御本尊となっているが、明らかに特定の御本尊を指し示しているのではないことが分かる。

2022-10-16 12:54:17
komekome39 @komesandazo

それでは世は二十七年は何を意味するのか?かつて池田先生も戸田先生も、これは戒壇本尊を指していると教えてきたではないか? 戸田先生も池田先生も鎌倉時代の当事者ではない。そして、近年の研究成果により、定説とされていたものが覆ることがある。例えば松葉谷の法難がそうだ。 続く

2022-10-16 17:54:55
komekome39 @komesandazo

大聖人は松葉谷の法難で生命に関わる大難に遭い、それを避けるために、下総の富木邸に一時避難したというのが定説だった。だが、近年発見された御書、論談敵対御書を拝すると、大聖人は鎌倉から一歩も退かず、徹して戦い抜いた姿が彷彿されるのだ。即ち、新発見により過去の定説が見直されたのだ。 続

2022-10-16 18:01:32
komekome39 @komesandazo

twitter.com/komesandazo/st… 同様に、戒壇本尊に関しても、近年の研究により、後世によるレプリカの復興本尊であることがほぼ証明されつつある。私が決定的だと感じたのは、戒壇本尊の配座と、それの元となった日禅授与本尊の配座が完全に一致する点だな。これはもはや誤魔化しができないだろう。 続く

2022-10-16 18:08:02
komekome39 @komesandazo

@numamichi @piyochanpe @remioUa0ku @okitegami_ren 須田晴夫氏の「日興門流と創価学会」からスクショで引用させてもらった。これらの議論より、弘安二年の戒壇本尊が二十七年の出世の本懐である可能性はほぼない。 続く pic.twitter.com/p5zC89vJ5z

2022-10-01 11:09:17
komekome39 @komesandazo

@numamichi @piyochanpe @remioUa0ku @okitegami_ren 須田晴夫氏の「日興門流と創価学会」からスクショで引用させてもらった。これらの議論より、弘安二年の戒壇本尊が二十七年の出世の本懐である可能性はほぼない。 続く pic.twitter.com/p5zC89vJ5z

2022-10-01 11:09:17
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komekome39 @komesandazo

togetter.com/li/1851841 戒壇本尊の詳しい議論は、こちらにしておいた。 なお、戒壇本尊がレプリカ本尊だからといって、日蓮正宗創価学会の時代にこれを拝した人々に功徳がなかったということはない。先程述べた本門の題目の主題と迹門の十界が備わる御本尊である。功徳はあったということだ。 続

2022-10-16 18:12:32