私的メモ:3月11日以降に急激に科学者に反発を覚えた心理について
3月11日の福島第一原発事故以降に急激な反原発&反科学&反専門家になった人の感情のベースは「何の咎もないのに、こんな理不尽な仕打ちをうけており、自分で自分の家族と自分自身を守らなければならない」ということに対する怒り。この怒りを解く方法は、3月11日以前に戻すことだけ。
2011-10-02 01:02:29(承前) 「疫学的・科学的見地から、原発周辺以外の地域の人は、放射能被害は精神の均衡を崩すほど心配することではないよ」という言説は、先の正当な怒りを無視(あるいは否定)するように聞こえるので、受け入れがたいのだと思う。でも、実際は上記の言説を述べるほとんどの人は諦めているだけ。
2011-10-02 01:07:20(承前) 「何の咎もないのに、こんなひどい仕打ちをうけている!」という怒りは正しいのだけど、もう、発生しちゃっている「仕打ちの結果」の手当てに入らないとどうにもならない。だから、怒りにとらわれていてもどうにもならない。だから、諦める(一旦、置いておく)
2011-10-02 01:10:36「子供たちには何の罪もないのに!」は正しい。「罪のない子供たちには何の不利益も発生しないようにするべきだ」は正しい。でも、現実的でない。「何も不利益が発生しない3月11日以前の現実」は壊れてしまった。選択できるのは、「どのくらいの不利益なら受け入れられるか」という現実のみ。
2011-10-02 01:12:52(承前)「どのくらいの不利益なら受け入れられるか」だけしかないという主張が、「罪のない子供たちには何の不利益も発生しないようにするべきだ」という誰もが当たり前に考える自然な思いを捨てさせる(ようとしているように思える)ところから説得がスタートするのでどうしても受け入れられない。
2011-10-02 01:15:14でも、これは別に今回だけの話じゃなくてよくある話。それこそ、私たちは小説、映画、漫画、ドラマ、歌などでしょっちゅうこのモチーフを見ている。いわゆる神話の構図。そして、大きいものから小さいものまで「何の罪もないのに何故このような仕打ちを受けるんだ!」に直面している。
2011-10-02 01:19:15大きい不幸に直面してしまった人が「怒り」を抱いて、「罪がないのだから、この不利益はなくなるべきだ」という思いにとらわれて身動き取れなくなるのは当然。そして、自分が直面しなければ「気持ちはわかるけど、不利益をまったくなくすことは無理」というのは簡単。だからコミュニケーションは難しい
2011-10-02 01:22:40平井和正さんの小説で繰り返し「ヨブ記」が例として登場するけど、まさに「何の罪もないのになぜ私が!」の神話パターンがヨブ記につまっている。この神話パターンを科学コミュニケーションでどうにかできるのか?というか、コミュニケーション技術という技法でどうにかできる話なのか?
2011-10-02 01:27:02そして、さらに福島第一原発事故の場合には、被害が拡大した人為的理由がいくつもある。「なんの罪もない私が!」という正当な怒りと思いを持つ人の目の前に、道義的罪が満載の理由が大量に存在する。
2011-10-02 01:29:39ニセ科学批判は、「何の罪もないのに何故私が!」という思いを射程にいれない。その正当な思いに対して「この方法ですべてを(一部を)もとに戻せます」と主張し、対価を要求する輩がおり、その「方法」が科学的観点から何の効果もないときに、その方法が科学的に効果がないということだけ指摘する。
2011-10-02 01:32:31ヨブ記の神話パターンに無自覚な専門家は困るけど、ほとんどの人はその嘆きを自分がどうにかできるとは到底思わず、最初から「その嘆きを受け止めるのは無理である」という認識のところから、コミュニケーション始めているだけじゃなかろうか?
2011-10-02 01:36:00高校生のときにヨブ記の簡単版を読んだ記憶があったけど、Wikipediaをみたら全然内容が違った。読んでいなかったのかな?「神様ひどい」という感想以外に覚えていない。
2011-10-02 01:45:15それをヨブが認めるというのが話の結末だったみたいですね。全然、記憶にありませんでした。罪がない不条理に対して「何の罪でこんなことが」という嘆きすら許さないとは。 @ogochan ヨブ記は「罪はなくても不条理はある」とゆーお話ですよ。全ての災いは罪の結果とは限らないと。
2011-10-02 01:58:28@next49 あれはサタンが、「ヨブは神を信頼している」ということを試そうぜ」と提案した話ですから。「本当に信頼してるんだったら、不条理が起きても文句言うな」って結論の話です。元々信頼してない人には関係ないw
2011-10-02 02:02:22そこは覚えていて「神は全治万能なんだから、そんな試練なしでもヨブのことわかるだろ!」と思ったことを記憶しています。サタンにそそのかされるという時点で意味がわからないです。 @ogochan あれはサタンが、「ヨブは神を信頼している」ということを試そうぜ」と提案した話ですから。…
2011-10-02 02:58:36@next49 「そそのかされた」のではなく「挑まれた」のです。その辺の経緯の解釈は難しいですが、「別に悪いことしてなくても悪いことは起きる」ってことがわかれば良いのではないかと。
2011-10-02 03:01:21人が理不尽な苦難に耐えるには、自分がごみのような存在であると認識することが大事なのだと思う。かけがえのない存在とか、地球より重いとか、そんな妄想は絶対いけなくて、自分は存在する価値もないごみかすですと客観的に認識するのが大事…と思っている RT @next49: ヨブ記
2011-10-02 04:38:15"@next49: (承前) 「何の咎もないのに、こんなひどい仕打ちをうけている!」という怒りは正しいのだけど、もう、発生しちゃっている「仕打ちの結果」の手当てに入らないとどうにもならない。だから、怒りにとらわれていてもどうにもならない。だから、諦める(一旦、置いておく)"ワカル
2011-10-02 09:03:23挑まれたとしても、なんでそれにのらなきゃならないのかがどうにも。本当に理不尽な話ですよね。 @ogochan 「そそのかされた」のではなく「挑まれた」のです。その辺の経緯の解釈は難しいですが、「別に悪いことしてなくても悪いことは起きる」ってことがわかれば良いのではないかと。
2011-10-02 11:49:59まさにヨブ記に書かれているとおりですね。 @kamonomana: 人が理不尽な苦難に耐えるには、自分がごみのような存在であると認識することが大事なのだと思う。…
2011-10-02 11:50:32「全知全能の神」という定義から始めるとどうにも納得できないんですよね。今度読み直してみます。 @ogochan 神もそれだけヨブを信頼いていたのですよ。
2011-10-02 12:00:24@next49 キリスト教の神は未来は読めるけど意図的に読まない主義かなぁと思います。ヨブ記のみならず、理不尽なことは多いですが、現在の感覚で読んでいいのか、よくないのか、難しいところです。
2011-10-02 18:53:00