差別との戦い
『共存』と『革命』
『仮面ライダーBLACK SUN』の主題は怪人差別か? 私はYesだと思う。「かつて怪人を倒すことは半ば無条件に正義だった。だが…」という話をヒーロー作品でやるのが激熱。実際、光太郎と信彦の対立も、和泉葵の物語も、徹頭徹尾「差別の終わらせ方」をめぐって展開する。>twitter.com/slinky_dog_s11…
2022-12-03 22:06:35差別とどう戦うか。葵は『共存』の意思を受け継ぐ、と宣言する。ゆかり-光太郎の路線だ。これに対して、覚醒後の信彦は『怪人が差別者の上に立つ』という。
2022-12-03 22:06:35くり返す。光太郎と信彦の対決は、差別の出口戦略の違いに起因する。ゆかり-光太郎-葵の『共存』と信彦の『革命』。これは単純な「理想主義と現実主義の相克」ではない。双方の主張を整理しておこう。
2022-12-03 22:06:37『共存』派から見れば、革命派は理想にも現実にも背を向けている。革命派は「怪人が人間を支配する」ために立ちあがる。だが、それでは主語(差別者)が逆になるだけだ。革命派の理想は「差別との戦い」ではない。「新たな差別のための戦い」でしかない。
2022-12-03 22:06:38その戦いからは悲しみと憎しみの連鎖しか生まれない。'72年のときは「ゴルゴムと政府」が悪だった。革命派が創世王を取り戻し、怪人の支配を実現したとしよう。「世界」はそれを許すだろうか。悪との戦い、支配のための戦いは終わらず、弱い者から順に死んでいく。
2022-12-03 22:06:38だが、『革命』派から見れば、事態は逆に映る。理想からも現実からも逃げだしているのは、共存派だ。《怪人は消えろ、と俺には聞こえる》と信彦はいう。共存派の理想は、強者への従属・同化をもたらすだけ、差別者を高笑いさせるだけだ。
2022-12-03 22:06:39怪人として生まれたという現実からも、弱肉強食という現実からも逃げられない。ならば、自らの血肉に流れるものを受け入れ、力を蓄え、誇りをもって眼前の差別者を殴り倒すべきだ。信彦が言うのは、そういうことだ。マルコムXに似ている。
2022-12-03 22:06:39相容れぬ理想が友を分かち、対決に導く。だが、決着は悲劇ではない。最終話は、彼ら二人を、否、二つの理想を再び結びなおす「言葉」を指し示す。激熱。
2022-12-03 22:06:39マルコムX、あるいは浪漫派とスピノザ主義
マルコムXは語った。《ニーチェ、カント、ショーペンハウアー、全て読んだが尊敬できない。…彼ら〔浪漫派〕はこれまでの私が出会った、多くの黒人のいわゆるインテリたちを思い出させる。…だが、スピノザには感銘を受けた》と。変転極まりない人生のどこで出会い、どこに関わったかは詳らかでない。
2022-12-04 17:09:55'62年以降、マルコムの人生は激変する。黒人至上主義を謳うNOI(カルト的な階層秩序型集団の典型)と決別。黒人と白人が共存するアラブを見、あらゆる国や民族のイスラム教徒が参加する儀式を見、第三世界との連帯を夢想する。彼の「差別者との戦い」は横断的な「差別との戦い」に変化していく。
2022-12-04 17:09:57'65年。15発の銃弾が彼を貫き、戦いから彼を奪う。永遠に。実行犯は『黒人』であり、彼が決別したNOIの信者だった。彼の戦いの行く先を私達は知らない。だが、夢想し、予示することはできる。
2022-12-04 17:09:57「晩年のマルコムXは、キング牧師と接近した」という意見もある。かつての暴力肯定や黒人至上主義は若さゆえの過ちなのだろうか? 私は懐疑的だ。彼は敬虔になるには地獄を見すぎている。彼は誰よりも深く浪漫派(カント主義)に絶望した。それは、彼の青春が浪漫派そのものだったからだ。
2022-12-04 17:09:58復讐、すなわち『否定』の積み重ねによるマウンティング。これこそ浪漫派の核心だ。大義なき暴力を否定するために「大義ある非暴力」を語り、黒い肌(差異)を笑われたから白い肌を、いや「差異なき世界」を夢見る。
2022-12-04 17:09:58壮年期のマルコムなら「冗談ではない」と語るだろう。10代のマルコムは「冗談ではない」現実を生きていた。「弁護士を目指すキリスト教徒」として貧しさに耐えた。夢を砕かれ、裏社会に流れついても、白人の女を抱くため、巻毛を伸ばした。誰よりも強く夢を見て、敬虔に努力し、誰より深く堕ちた。
2022-12-04 17:09:59マルコムは間違っていたのだろうか? YesでもありNoでもある。彼は正しく間違い、そこから正しく抜け出した。彼を復讐、『否定』の道から救ったのは『肯定』(スピノザ)だった。ヒーローとしての彼が人々を救ったのもまた、「あなた達の肌は輝いている」といった肯定の言葉だった。
2022-12-04 17:09:59それは「類としての自己」の肯定、すなわち「黒人至上主義というレイシズム」に陥る危険をつねに孕んでいた。「俺達は悪魔(白人)じゃない」という『否定の否定』、にせの肯定だ。マルコム自身はそんなものに立て籠るのではなく、旅に出る。その途上で彼は書く。
2022-12-04 17:09:59《はじめて私は『白人』というものを再評価し始めた。『白人』という言葉は、肌の色を指すのではなく、それが意味するのは『態度』や『行動』だということに気づき始めたのだ》。彼は青年期の「類-自己」の回路から外れだす。彼の怒りは否定的な支配の力そのものに向かい、『白人』はその名となる。
2022-12-04 17:10:00閑話休題。ヒーローというものの輝きと危うさが、マルコムⅩには詰まっている。なお、私が彼を信じられるのは、彼が白人の女も抱き、白人の哲学を学ぶような男であり、インテリ以上にインテリだからだ。黒人らしい黒人を、人は過去に探したがる。彼はそれを未来に見たのではないか。
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