白倉氏は前掲書を、英雄物語の類型論で始めてる。ヒーローがヒーローたり得る要件は三つ。①ふしぎな出生 ②怪物の退治 ③財宝の獲得。ここには「怪物の悪行」や「被害者の存在」は入ってこない。これ重要。悪事を働かねど「鬼」は桃太郎に退治され、人に尽くしても「泣いた赤鬼」は邪険にされる。
2022-11-27 11:03:14ともあれ②③を満たせばヒーローだ(スサノオにせよ昔話にせよ「①要素って言うほどのものか?」と私は思う)。悪行やら被害やら関係ない。とにかく②変なやつをやっつけ、③現実的なパワーを得ること。いわばヒーロー(超人)か否かの基準は「権力の意志」にあり「善悪の彼岸」にある訳だ。
2022-11-27 11:03:14と、こういう言種がなじむ事からも分かるとおり、英雄物語は、スピノザ‐ニーチェ的な「倫理」を前提としている。誰もが喜びを求めてエゴイスティックに生きてよい。各々が自分にとっての「よい(有益)」を求め、「悪い(有害)」から逃げてよい。その為には狡さや賢さが要る。力も要る。(余談)
2022-11-27 11:03:15と、そうしたヒーローの悪行の被害者が「野性の倫理」を価値顛倒させた処に「畜群(犬)の道徳」が成立する。ニーチェは道徳の完成者を「キリスト教」と呼ぶが、つまりはカントでありヘーゲルであり浪漫派だ。私も立派な家畜なので、浪漫派(ナルシシズム)を嗤えない。(これまた余談)
2022-11-27 11:03:15話を戻す。重要なのは、ヒーローが倒すのが「怪物」すなわち「変なやつ」だということ。蜘蛛男なんて存在自体が「怪奇」。蜘蛛でもあり人間でもある。両者の境界にいる。こんなん変。こんなん、隠れて悪いことしてるに決まっとる。蜘蛛男、討つべし! 無秩序、死すべし!
2022-11-27 11:03:16と、《怪人を<悪>と規定する回路には、人が人を、とくにマイノリティを迫害・弾圧・差別する現象と重なり合う部分が多い》と白倉氏は指摘する。《つまるところ、怪人や鬼は、人間なのである》が、人間のカテゴリーには属さぬ〈人間もどき〉と見なされた人間にほかならない。
2022-11-27 11:03:16《〈人間もどき〉は、わたしたちの絶えざる興味の対象である》。なぜか?《「あいつら」というスケープゴートを立てることによってしか、「わたしたち」は定義づけられない》からだ。ナチズムとユダヤ人との関係を例に《「わたしたち」とは、それほど弱いものなのだ》と白倉氏は言う。
2022-11-27 11:03:17ナチズムは反ユダヤ抜きには成り立たぬ。共同体は否定の否定でしか自己肯定できぬ。「わたしたち」なるものは、それほど弱い。この弱さ、醜さは無意識的な『排除の構造』(今村仁司)に由来する。この意味で、差別は排便と同じだ。避けえぬものだが、いい大人が自覚、管理できぬのは恥ずかしい。
2022-11-27 11:03:17ともあれ、怪人は不快な「悪」である。彼が善良であれ、有益な存在であれ、《境界を侵犯し、世界観を混乱させることは、わたしたちに不快感をもたらす》(前掲書)。怪人の悪、それは「無秩序」にほかならない。ダグラスが書いたように、無秩序への畏怖は宗教的な象徴体系一般にみられるものだ。
2022-11-27 11:03:18世に「正義」と言われるものの内実は『平等、自由、宗教』の3つしかない、と飲茶氏は書いている。逆に言えば、『不平等、不自由、無秩序』こそが不正義である。ヒーローの「正義」、怪人の「悪」は三番目に絡んでいる。>diamond.jp/articles/-/206…
2022-11-27 11:03:18以上を要約すれば、ヒーローの正義は宗教的・共同体的、はっきり言って「差別的」であり「ヤクザ的」だ。別の正義(平等・自由)の観点、とくに差別される側に立ってみれば、看過しがたい悪(不平等・不自由)を抱えている。
2022-11-27 11:03:19だから、ヒーローを手放しで礼賛することも、頭ごなしに否定することも、ともに危険なことだと私は思う。ヒーローを幼稚なものと舐めている人は「共同体の正義」の不可避性とヤバさが分かっていない。ライダーが完全復活したゼロ年代は、サンデルら共同体主義「正義論」の時代でもある。
2022-11-27 11:03:19石ノ森章太郎は「時代が望む時、仮面ライダーは必ず蘇る」と語っている。ベンヤミンの言葉を借りれば、ヒーローは神話的暴力(法措定暴力)や法維持暴力の形象化だ。これを滅ぼす神的暴力については私達はまだ予期することしかできない。だが、暴力と対峙することでしか、希望を追うこともできまい。
2022-11-27 11:03:20白倉伸一郎は前掲書を、私達が混沌(ヒーローや怪人達)を愛しているうちは《まだ望みはある》と締めている。白石監督や西島秀俊が、この血まみれな「怪人達の群像劇」を「子供に見てほしかった」と語るとき、私はそこに冗談ではなく真摯なものを感じる。
2022-11-27 11:03:20《ヒーローは両義的であり、混沌である。/そのことを通じて、子どもたちは「混沌が悪・秩序が正義」と断じる、単純で美しいけれども、同時にとほうもなく危険きわまりない世界観から解放されるかもしれない。/ヒーローたちよ、混沌であれ!/と、子どもたちの未来のために願う》(白倉前掲書)。
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