YIDFFシンポジウム感想(個人)
今月の9日、山形国際ドキュメンタリー映画祭にて催されたシンポジウム「震災と向きあって:監督編」を聞いてきたわけです。その感想を書き残しておこうと思います・http://t.co/wbSnRQdq
2011-10-13 12:28:48そのシンポジウムでは東日本大震災復興支援上映プロジェクト「ともにある Cinema With Us」に出品した一部の監督が自身の作品について話してくれたのだけれども、その中に印象深い一言があった。「残さなければ消えてしまうものを撮りました」
2011-10-13 12:35:52当たり前といえば当たり前であるのだが…ただその人はその一言しか言わなかった。震災以後メディアを席巻した映像は、無名のアマチュアよって撮られた余りにも生々しすぎる震災直後のものか、ちょっと経ってからマスメディアによって幾度と無く反復されていった美談的ドラマのどちらかだった。
2011-10-13 12:45:12そのようなメディアの状況の下ドキュメンタリーは何を残せるのか、というのが本シンポジウムの大枠であったと思う。その問題意識の背景には絶望がある。その絶望とは何か。結局メディアは「体験」を伝達出来なかった。少なくとも映像メディアは出来なかった、ということである。
2011-10-13 12:54:15広島や長崎で被曝した人々の体験は、我々には伝わらなかった。伝わらなかったからこそ原発は現存している。そのことがはっきりした。メディアは体験を伝達できない。メディアを通すことによってむしろ個々の体験が「歴史」の地層の中に埋もれていってしまったのではないか。
2011-10-13 13:05:30うーんこんな性急に答えを求めてもいかんな。「あー今まで何やってたんだろ」というなんとなく広まってくる絶望感を言葉にしたい。あー今まで何やってたんだろ、ほんと
2011-10-13 13:13:03伝わるものと伝わらないもの、変わるものと変わらないもの、記録に残さないと消えてしまうものと消えないもの、そこに切り込んでいくしかない。方法はわからない。
2011-10-13 13:19:52