アムロとシャア、あるいはエゴイズムとナルシシズム
『機動戦士ガンダム』の物語が成功した背景には、人間的な主人公アムロの魅力もさることながら、シャアという対照的な「ライバル」を生み出せたことが大きい。この二人、あまりに対照的。
2022-12-14 07:50:23これに対して、アムロ。見なりに無頓着、人の感情にも無頓着、死んでも大恋愛ができるタイプじゃない。では自分を持っていないのかと言えば、割と計算高いし、思うように力を発揮できないと怒る。人一倍エゴをもってる。
2022-12-14 07:50:23アムロはエゴの人、シャアはナルの人だと思えば、二人の行動(&分かりあえなさ)が理解しやすい。同じように相手に苛立っているかに見えて、アムロは「お前ほどの男が(全力を出さずに)情けない」と嘆き、シャアは「才能を利用されるだけの男が、総帥の私を見下すな」。苛々ポイントがズレてる。
2022-12-14 07:50:24同じ試合で違うゲームを競っているように、噛み合ってない。未来の兆候に敏感すぎるアムロは分裂気質に寄りすぎだし、かたや過去の復讐に囚われすぎるシャアは典型的な循環気質。未来優位(永遠の前夜祭)と過去優位(あとの祭り)。ベースにある時間性も違いすぎて、時の流れも「共感」を深めない。
2022-12-14 07:50:24この辺りは富野由悠季は明確に意識していると思う。例えばニュータイプ描写一つ取っても、サバイバル的な賭けに特化したアムロ(あるいはジュドー)に対し、死者に導かれるイタコ的シャア(あるいはカミーユ)と正反対。アムロはシャアに「人身御供」を見、「死んだモノの力」を見る。的確すぎる。
2022-12-14 07:50:24シャアにとって救済とは何か
初代『ガンダム』がアムロの成長物語だったのに対し、『Z』から『逆襲のシャア』までの作品群は「シャアの救済」をテーマにした物語だったと思う。主人公を見ても、シャアの弟分のカミーユ(Z)に、シャアと同じ家族構成なのにアムロ的メンタリティのジュドー(ZZ)と、シャアを中心に配置されてる。
2022-12-14 07:50:25では、シャアは救われたか。人類の命運を握る総帥にまで上りつめるものの、カミーユに殴られ、ハマーンに言葉責めされ、(前期OPを見るにジュドーにも殴られる予定で、それが変更され)、アムロにも殴られまくり…と、恥を重ねるばかりで、"一見すると"救いがない。
2022-12-14 07:50:25そもそもシャア自身にとって救いとは何だったのだろう。『逆シャア』での申述を信ずるに、彼は「人類の罪を背負って地球に贖罪を果たした後は、亡き父のもとに召される」と、本気で人身御供として自己完結するつもりだったらしい。以上を思うと、彼のいう「打倒アムロ」は奥が深く、重い。
2022-12-14 07:50:26そんな大人修正してやる
これまた"一見すると"の話だが、Z以降のガンダムには「そんな大人修正してやる」のメンタリティを強く感じる。そんな中シャアは「新しい世界を作れない老人」と自己規定してる。ZZになると子供が大人の世界を変え、逆シャア原案(ベルチル)ではお腹の胎児が世界を救う。作品自体がどこかシャア目線。
2022-12-14 07:50:26ただこのまま行くと「生まれてこない奴が最強、一番純粋」という話にもなりかねないわけで、この意味で逆シャア制作時の脚本変更はかなり重要…といったところで、長くなったので此処で一旦擱筆。
2022-12-14 07:50:26