ひびのけいさんによる「Angels in America」劇評。さらに「劇評とは・劇評家とは」。

ひびのけいさんによる「Angels in America」劇評。岩城京子さんの劇評についてのブログからの流れで、「劇評とは・劇評家とは」というテーマに移行。
1
ひびのけい @hbnk

とはいえ、「個人的な見解です」と前置きする批評は誠実なようでいて、自ら流通の可能性を閉ざしてしまう。私の見解は共有されるべきだ、と大風呂敷を広げつつ、しかしそれが大風呂敷でしかないことをいかに意識するか。商品を売る前の商人がどきどきしながら売れるのを待つようにどきどきできるか。

2011-10-23 16:38:45
ひびのけい @hbnk

@quequeg はい。ただ帝国主義もそんなに悪くはないんですよ。というか、今の文明のありかた、アカデミズムのありかたが帝国主義的な知から逃れられることはできない、ということも認識しておかないと。

2011-10-23 16:40:14
のり一 @noribiyori

@keihibino そうだとおもいます。でも持論押し付けようって人もいますね。音楽でも文学でも、自分が対象に心得あり、難解でない言葉で語れる文才は必須と私は愚考します。私は入門書としてコリンウィルソンから学び専門書読みました。批評家だけやってる人は学者みたいな人が多くて苦手。

2011-10-23 16:46:46
ハートブレイクハートブレイク @queequeg

@keihibino そうですね。同時に、批評家についておっしゃられているような、自分の視点の不可避的なローカリティと、にもかかわらずの普遍妥当性の要求との緊張感も意識せねばならないし…。結局、常に動的に考え続けるしかない、ということですね。

2011-10-23 16:48:16
ひびのけい @hbnk

@noribiyori はい、でも「持論の押し付け」から生まれてくるものもあると思っています。ものを知っている人が持論を押し付けてくれるのは私は好きです。先日の型の議論と同じで、それに従うのであれ反撥するのであれ、自分なりの意見を作るのにまず他人の「押し付け」は必要だと思います。

2011-10-23 16:53:28
ひびのけい @hbnk

@queequeg 学問はrelevanceをunderstandingに変えなくていけないという執念で成り立っており、最終的に「公共性に開かれる」という名目のもとでrelevanceどまりでもいいやと、どっかで思っている批評より自分の性には合っています。

2011-10-23 16:58:44
ハートブレイクハートブレイク @queequeg

@keihibino 同意です。お互い帝国主義気質なのかもしれませんね(笑)。しかし自分は、学問的なunderstandingこそが、「最終的に」作品とそれを取り巻く環境を真に推進できれば、と思っているのですが、これってもしかして超帝国主義的なんですかね…。

2011-10-23 17:04:25
のり一 @noribiyori

@keihibino 間違ってない押し付けなら良いですね。

2011-10-23 17:27:31