- Takky_traverso
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俺はバリバリのサッカー経験者ではない。毎週日曜のフットサルでは、いつも「なにか自分にできることをしよう」という気持ちでプレーしてきた。自分にボールを渡されてもうまくさばけないから、例えば誰よりも走って常にいいところにいよう、という気持ちでやってきた。
2011-10-24 22:56:52誰よりも走ろうという姿勢はたまに空回りもしたが、誰が中心になっているのか、みんながどのパスコースをイメージしているのかしっかりと見て集中していれば、自信をもって動け、またそれなりに仕事ができた。
2011-10-24 22:58:35自分の独断で考えず、みんなの中心はどこか、どのコースでパスをつなぎたいのか、どのような連携で守備をしたいのか。正しいことを常に考えようと意識し、そしてすべての瞬間で集中する。するとチームは確実に連動しはじめ、集中していれば重要な場面を逃すことはない。これは実践した事実だ。
2011-10-24 23:01:39チームの中心を自分の考えの中心におくという感覚。それが養えてきた最近は、ポジショニングで以前ほど迷うことはなくなり、確信を以てプレーすることができた。先々週と先週、僕のチームは毎試合反省と改善を重ね、確かな成長とともに優勝をものにしている。
2011-10-24 23:03:29毎週フットサルのチーム分けは変わるのだが、昨日のチームは、長くやってきた人たちが多く、自分がいなくても攻めと守りがなりたつチームだと感じた。ボールが回ってくる機会が少なかったのである。正直にいってしまうと、最初のうちあまり楽しくなかった。
2011-10-24 23:04:44そして僕は、自分がいるべき位置にまず走りこむという心得を忘れ、動く前に自分へのパスを要求してしまった。少しはボールが扱えるようになってきて、高慢になっていたのかもしれない。気がつけば、どんなときもあと3歩足りず、間に合わない、そんな場面が続いた。
2011-10-24 23:07:14間に合わないのはなぜか。それは、自分が正しい中心を見ずに自分だけで考えて判断してから動くということによるタイムロス、そして自ら動いてもらいに行くより今ここでボールを要求してしまう傲慢さがあったためである。3歩足りなければボールに触る機会は極端に減ってしまうのだった。
2011-10-24 23:09:06攻撃のとき正しい中心とは、1トップの人だった。まずそこにボールを集めて、展開する。自分はそれに気付かず、後ろを中心に見て決めていたのだ。そのことに、人に言われて気付くことができた。そして高慢さにも気付いた。そしてなにより、自分がサッカーを楽しめていないことに気付いた。
2011-10-24 23:10:53自分はなぜサッカーが好きで、サッカーをするのか。チーム一丸となってボールをつないでゴールを決め、勝つ、あのチームみんなで喜び、感謝と幸せが一体になったあの感覚、そして夢中でボールをつなぐ一体感がたまらないのだ。サッカーを楽しむ。それは栄光を期すということである。昨日のテーマだった
2011-10-24 23:13:31みんなで正しくひとつの中心をもって、みんなで楽しむ、みんなで感謝する。先週までのような真摯な姿勢を忘れては、真の意味で栄光を期すことなどできはしないのであった。
2011-10-24 23:15:42幸いにも自分の過ちに気付き、変化できた自分は、これを実践する機会がほしいと強く願った。もう最後の一試合しか残っていなかった。・・・しかし果たして僕は、その機会を得ることができたのである。
2011-10-24 23:17:02同点で迎えたロスタイム、「ラスト1プレー!」の声が響くなかで、味方キーパーがボールをキャッチした。その瞬間、トップの人がフリーだった。そこを観てボールが来ると信じた自分は、迷わず全力で前に飛び出した。左サイドを駆け上がると、ゴール前で自分にパスがきた。
2011-10-24 23:20:01走りながら、慣れない左足でダイレクトでシュート、ゴールが決まった。その瞬間に試合終了。体中にしびれるような感動が走った。味方が、まるで自分で決めたかのように喜んでくれる。自分は中心を信じて走り、信じて決めた。変化を実践する機会が与えられたことが、ものすごく幸せだった。
2011-10-24 23:23:33パスをくれたことに感謝。走ってきた僕に気付いてコースを譲ってくれた味方に感謝。それまでの過ちに気付かせてくれたことに感謝。チャンスを与えてくれたことに感謝。フットサルの最高の喜びを味わった。それこそが昨日のテーマ。「栄光を期す」ということだった。
2011-10-24 23:25:22僕は驚いたことにその日のMVPに選ばれた。あれ以外ほとんど役に立っていなかったのに。突然のことに申し訳ない気持ちもあって動揺しながら、前に立ってコメントする機会があったので、僕は自分の迷いや、その日のあやまち、そして変化できたといういきさつを語った。そしてたくさんの人に感謝した。
2011-10-24 23:29:24そんな僕をそこにいたすべての人が祝福して迎えてくれた。テーマを実践できたことを評価されたのだと思う。ここ最近でもっとも幸せな瞬間だった。
2011-10-24 23:31:13どんなことも実践してみなければならない。愛と感謝を中心に、自分がすべきことを正しくわかって、栄光を期すその瞬間のために、楽しみながら実践する。そのプロセス自体が、理想的な生き方である。決意がみなぎった。それが昨日だった。
2011-10-24 23:35:49これまで自分の中心を作ってきたが、その上に自分の個性であり創造性を昇華するときがきた。行いながらまた考えていく。かねてからの願いの通りになった。それが自分のパターンであり、経験という真理である。
2011-10-24 23:38:12