痴漢事件togetterから派生して魔女狩り的批判からフレーム問題と空気、役割期待辺りを考える用のメモ
痴漢トゥギャッターの問題って当該痴漢事件のほかに第二事案として救済役割を期待された人が役割期待を裏切ったことへの糾弾が生じてるな(そして印象操作とフレーム問題絡むのかな)というところでメモっとこう / “Socius_社会学感覚09役…” http://t.co/wz9IGSS9
2011-10-26 15:56:13第一に、繰り返しになるんだけど当該痴漢事件自体へのその時点(あるいは未来のそれ)での対応としては「決断主義的に助ける」「知り合いのふりをしてカドが立たないように間に入る」「傍観者として前2つの行動選択に敷居を感じる場合、なんらかの環境的・制度的きゅ祭が必要なのでそれを考える」
2011-10-26 15:58:49おーざっぱに以上の3つがあり「痴漢事件」自体への対応と予防策としてはその辺りを考えればほぼFAだと思うんだけど。すくなくとも昨日の時点でも続いていた「救済役割を期待された人への批判」というのは当該痴漢事件、あるいは未来の痴漢事件とは別物の様相を呈しているように思う
2011-10-26 16:00:35ではなぜ「救済役割を期待された人への批判」が表されているのか?というと「被害者心理を勝手に慮ってそれを救済しないことの言い訳にし、それを社会学的分析と称してネットに開陳することは(もしも被害者に見られた場合)セカンドレイプ的な心理的外傷を与えるから」である、と。これ自体は一理ある
2011-10-26 16:03:03ただ、事件をtogetterにまとめた「救済役割を期待された人(社会学研究者)」の意向は「痴漢被害者を救済しないことへの言い訳がメイン」というよりは「痴漢事件に遭遇した第三者が救済措置に移れないとき、どのような心理的障壁が生じているのか?」を事後に考察したものとも言える
2011-10-26 16:06:46で、そのように「第三者が救済措置に移れないときの心理的障壁」を考察する理由は<多くの痴漢事件に遭遇した第三者が単に「助ける/助けない」といった二択では済まされないような心理過程をはらんでいる>と当該社会学研究者は仮定し、
2011-10-26 16:09:54その心理過程を考察することは未来に生じる同様の痴漢事件において第三者が救済という行動選択を取り難い場合の心理障壁を和らげる一助になるのでは?、と考えたから。これは「即座に救済しない言い訳」とはまた違う位相の話となる
2011-10-26 16:11:27なので、冷静に意図を読めば「救済しない言い訳」や「被害者に対するセカンドレイプ」のような視点には留まらないはずなのだけれど、なぜそういった印象が生じてしまうのか?ここにフレーム問題が関わるように思う http://t.co/BuVKfdiH おーざっぱにいえば「言い方の問題」
2011-10-26 16:14:35たとえば当該トゥギャッター http://t.co/sGBJU69D とそれに関する代表的エントリ http://t.co/wesFtWLQ で言われている論点というのは「痴漢を見たらすぐに助けるのは第一義」「しかしそれはなかなかできないこともあるよね」ということではほぼ同じ
2011-10-26 16:16:42ただ、当該とぅぎゃったーでは<「しかしそれはなかなかできないこともあるよね」→「できない理由はなにか?」>の説明過程をメインとし、代表的エントリでは<「助けるのは第一義」→「被害者心理をもっと慮れ」→「助けない理由を社会学で言い訳するな」>の説明過程をメインとしている
2011-10-26 16:19:30また当該とぅぎゃったーにおいては最初のほうと最後のほうでは論点が異なってくる。最初の方は当事者としての第三者が「助ける/助けないでは割り切れない」というところから(被害者救済への障壁をもう少しなくすための)第三者の心理障壁の考察をしているように思うに、
2011-10-26 16:24:53先ほども言ったように「被害者心理への邪推」部分は「『もしも』被害者が見たら傷つく」という仮定を伴った話であり、まだそういった事態は実際には生じていない(むしろPVが上がることによって検索上位にヒットするようになりそういう可能性も考えれる)
2011-10-26 16:27:58また、当該togetterにおいては「被害者心理の考察」自体はメインではなく、むしろ「救済にスムースに移行できない傍観者としての当事者の心理」の考察がpost数としてもメインのはずだけれど、なぜか「被害者心理の考察(邪推)」が前景化される
2011-10-26 16:29:36おそらく「被害者心理を慮れ!」と過剰に言う人達は「事件の際には被害者の心情を考察してはならない」「それ自体が事件を被害者責任に帰するところがある」という部分に過剰にフォーカスしている。
2011-10-26 16:33:36たしかに「おまえも悪かった」的な被害者心理の邪推は告発を縮小化する傾向はあるだろうけど、今回の場合は与件的にこの部分にフォーカスしすぎて議論が議論として成り立たなくなっている部分があるように思う。単にその場にいなかった人たちの浮いた正義感を補填するための魔女狩り的理由みたいに
2011-10-26 16:35:19で、ふたたびフレーミング問題に帰れば http://t.co/dg1T5VOB 今回の痴漢togetterの場合、「ごめんなさい、今度からはすぐ救済します!」っててきとーにその場で表現しておけば万事丸く収まったのだろうけど、
2011-10-26 16:37:29けっきょくそれは「表現」の問題であって、タテマエ的にその場でそういった表現を弄していい子ちゃんしたとしても、被救済期待者の中に実際としては救済に対する心理障壁が残っている場合、未来に生じる事件に対して本当に有益なのか?あるいは同様の心理を持っていると仮定される人たちに有益なのか?
2011-10-26 16:39:28けっきょくその部分の「わたしがわるかったです」「こんどからちゃんとたすけます」的なものというのはフレームに過ぎないのであって、実際の事件救済には役に立たない可能性がある。
2011-10-26 16:42:10事件自体への対応は(先程も言ったように)「決断主義的に第三者が救済する」あるいは「カドが立たないような救済措置を試す」、「近い将来に第三者が救済決断の心理的コストをかけなくても済むような制度デザインを考える」で終わるように思う
2011-10-26 16:43:54で、それとは別件としてこの辺りで「こういったフレームで満足する(こだわる)人たちというのはどういった人たちなのだろうか?」という疑問がもたげる
2011-10-26 16:44:26この辺は昼にもつぶやいたように全体主義的な傾向があるのかとも少し思うけど http://t.co/kGVyFrco 空気と空体語との関係にも似てるのかもしれない。言葉によってノイズとズレが生じるけれど一定の流れ(空気)が生じて強制力的な慣性が生じる
2011-10-26 16:46:58空気の問題は当該痴漢事件について社会学研究者の人が事後につぶやいていたように思うけど(「電車内には『事を荒立てない』を旨とする空気がある」 cf.儀礼的無関心)、ここでも空気が絡むのかもしれない
2011-10-26 16:48:24で、そういった「空気」やフレームをつつむ全体の構造として「役割期待」とそれに基づいた規範性が設定されるかと思った http://t.co/qCMwwQ0z 印象操作とフレームの関係でたどりついたんだけど、そういえば批判者のひとたちは印象操作とフレーミングしてるように思える
2011-10-26 16:49:51