1930年7月15日、当時フランス領アルジェリアのアルジェにあるEl Biarで、ピエ・ノワールと呼ばれるユダヤ系フランス人家庭に生まれた。
2011-10-18 10:53:28家族の祖先はセファルディムであり、1870年にフランス国市民権を取得した。五人兄弟の三男で両親はハリウッドの映画俳優にちなんでジャッキーと名付ける。のちパリに出て、「正しい読み」としての「ジャック」に本人が変更した。
2011-10-18 11:53:23このころにハイデガー、キルケゴールなどを読書後、フッサールの現象学を研究することを決意し、ベルギーのルーヴェンにある「フッサール文庫」に行く。
2011-10-18 14:53:111954年のアグレガシオン(教授資格論文)はフッサールについてのものだった。のち1990年に『フッサール現象学における発生の問題』として出版。
2011-10-18 15:22:49教授資格論文の指導教官はジャン・イポリットとモーリス・ド・ガンディヤックで、ほかにこの時点ではチャン・デュク・タオや、数学者・哲学者のジャン・カバイユにも影響を受けた。
2011-10-18 15:53:06アグレガシオンには落第するが1956年に合格する。ハーヴァード大学に留学し、1957年には精神分析を研究していたマルグリット・オークチュリエとボストンで結婚。同年より1959年までのアルジェリア独立戦争中には軍事学校で兵士たちにフランス語や英語を教えていた。
2011-10-18 16:23:08ジャック・ラカンの熱心な生徒だった作家フィリップ・ソレルスの主宰する「テル・ケル」グループと親交をむすぶ。1960年から1964年にかけてソルボンヌ大学で哲学講師。
2011-10-18 16:53:181968年の五月革命以降、当局は時間数を削減したり、必須制を自由選択制にしたり、教員数を削減するなど哲学教育を抑圧(弾圧)し、産業社会の要求にそう実用的な教育政策方針をとった。
2011-10-18 21:22:47これに対してデリダら教員と学生あわせて30名ほどで1974年4月、この問題に対処するための「哲学教育研究グループ」(Groupe de Recherches sur l’Enseignement PHilosophique・GREPH)を結成した。
2011-10-18 21:53:26若い少年少女たちは哲学に興味をもつだけでなく、哲学を必要とし、それを楽しんでいました。難解なテクストと思えるものにも十分取り組んでいました」と自身の実験を報告している。
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