佐藤正美_Tweet_20111016_31

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佐藤正美 @satou_masami

私がモデルを愛する所以は少なくともその一つは、現実的事態について「事象群の関係」を確認できるからである。しかし、モデルは「現実」をただ「解釈」しただけだ。「現実」を変革することが次の仕事だが、それがエンジニアの仕事かと問われれば、私は躊躇する。私は catalyst にすぎない。

2011-10-16 01:53:43
佐藤正美 @satou_masami

モデルという語は、多々使われているうちにすり減った、論理性を汚された ことば になってしまった。真にモデルを構成すること、それは私たちがいかなる体系を発見するかではなくて、いかに構成するかの問題であり、また私たちが何を所有するかではなくて、どのような論理で作ったかが問題である。

2011-10-17 01:29:45
佐藤正美 @satou_masami

「概念」を玩ぶ連中が、事業には固有の法則があるものだと思い違えているのだ。事業には絶対的な構造というものはありえない。事業は、その内部に変化の動因を宿しているか、そうでなければ、つねに外部の変化によって構造を変えるものなのである。「戦略」とは、環境適応力のことをいう。

2011-10-17 01:30:18
佐藤正美 @satou_masami

一つの単語が示す「概念」自体は、具体的な意味を持たない。また、持つ筈もない。単語自体の意味を捜し始めるとたちまち、煙霧の中に迷う。単語の「意味」を知るには、単語が使用されている文脈を見なければならない。「概念」とはそのまま変わらないで続いてほしいような、そんな状態である。

2011-10-18 03:58:17
佐藤正美 @satou_masami

健全なモデルとは、形式的構造が現実的事態に一致している状態にある。そして、無矛盾性は「論理」の中にだけ見出される性質である。「論理」は硝子細工のように掴んでおけばいい、できるだけそっと、しっかりと。「事実」をさながら確然と透かすという性質が「論理」の性質である。

2011-10-19 10:03:13
佐藤正美 @satou_masami

モデルを構成する秘訣は、事物の性質(「概念」)を記述しよう努力することにあるのではなく、「概念」(意味)が成立する(事物間の)「関係(形式的構造)」を立てることにある。SE が事業的「概念」の豊富さを誇っても、経営学辞典に収録されている語彙数に較べれば物の数ではない。

2011-10-19 10:03:42
佐藤正美 @satou_masami

「現実」を凝視しないで、「さて、この現実は、こう在るべきだ(変化すべきだ)」と想う。そういう想いを、ふつう、白昼夢と云うのではないか。夢想家が不幸なのは「事実」を観ていないからだ。as-is も描いているって!? 御願いだから一っぺんでもいいから ほんとうにモデルを見せてくれ。

2011-10-20 10:15:57
佐藤正美 @satou_masami

他人の成功談を聴くよりは、眼前の現実を工夫することに思考を用いるほうがマシである。われわれは、他人の成功談を割り引いて聴いていられるほどに堅実である。いつの日か生じるバグは、分析を疎かにした或る時間の報いである。事の盛衰は来由あり、現実を丁寧に観ることを要する。

2011-10-20 10:16:27
佐藤正美 @satou_masami

「概念」分析の泥沼に嵌った神経衰弱を癒す薬は、ただもう「その概念(あるいは、ことば)が実際にはどのように使われているか」を観るほかにない。「概念」分析の不幸は、すべてただ一つの事から由来すること、つまり「私概念」を直下に掘り進めているという事実に依ると知るだけでいい。

2011-10-21 00:24:28
佐藤正美 @satou_masami

バグは殆どいつでも現実的事態に対する誤った解釈のしるしである。ところが、バグを修正して正常な状態になると、今度は、なんとなく物足りないような気持ちがする。うまくいっているシステムとは静かな状態にあるものだが、消火活動のほうが「仕事をしている」ように見えてくる!

2011-10-21 00:24:56
佐藤正美 @satou_masami

喩えれば、「論理」は丈夫な杖である。それを支えにして、われわれは「経験」の世界を歩み「理論」への旅にのぼる。「理論」は「経験」を計量するための技術である。「理論」は器財である、一つの組織体である。だから、建物を修繕するのと同じ理屈で、「理論」も手入れしなければならない。

2011-10-22 01:37:55
佐藤正美 @satou_masami

我々が見ている物のすべて、あるいは見ていると思っている物のすべては、脳内の「概念」として構成されている。無限の可能性を孕んだ「未来」の概念は未だ見えぬ未来よりも豊かであって、論理よりも概念に多くの魅力を感じるのはそのためである。それが SE の概念設計で陥る罠の一つである。

2011-10-23 02:16:48
佐藤正美 @satou_masami

「事実(現実的事態)」は事業のあるがままの態であって、成否を判断しがたい。ただ、その材料と種子をわれわれに与えるだけである。事業を支配しているのは不確かな未来(統制不能なマーケット動向)なのだ。しかし、bot 的な SE は、そこに単純な公式的概念を考えだしたがる。

2011-10-24 02:29:26
佐藤正美 @satou_masami

もしもエンジニアの価値がその「仕事量」で決まるのならば、機械はどんなエンジニアよりも価値があるはずだ──機械はよく働くし、しかも文句を言わない。しかし、機械は考えない。が、大抵の場合、我々も考えていない、考えていると思っている。信じるために考えていると思っている。

2011-10-25 10:36:46
佐藤正美 @satou_masami

私はエンジニアでありながら不幸にもテクノロジーに礼拝する勇気を持っていない。否、しばしば「様々なる意匠」に対して嫌悪を感ずる。しかしまた技術を発明したエンジニアに敬意を払うことも事実である。私が軽蔑するのは、遠くで他の犬が吠えているのを聞いて反射的に吠える雷同である。

2011-10-25 10:37:11
佐藤正美 @satou_masami

ほんとうに価値ある理論は社会の底深く沈潜している。発表されて長くたって、我々は埋没したその礎石を少しずつ発見する。そういう天才たちを「古い」と一言で葬り去って、自分の才識を披露しようとガタガタ騒ぎをやるくせに、狭い判断を下して得々としているような連中を私はわんさと観て来た。

2011-10-26 03:54:19
佐藤正美 @satou_masami

「正論」を語るべきであると云ってもムダである。社会に必要なのは社会を便利にする都合のよい口実である。そして、もし口実が見つからない時には、社会は多数派としてそれを作り出すであろう。理論とその適用の間には常に微妙な齟齬が存在する。そして、切り抜かれた理論は、もう理論ではない。

2011-10-26 03:54:58
佐藤正美 @satou_masami

似た二つの顔は、一つ一つ観るときには べつに我々を笑わせないが、二つ並ぶと「似ている」というので我々は笑う。事業も同じである。事業も数十年の歴史を持っていれば個性的な顔を持っている。歴史が刻んだ顔である。二つの似た ER 図を観て SE が笑わないのはどうしてだろうか。

2011-10-27 01:15:07
佐藤正美 @satou_masami

私(わたくし)概念の理屈を立てようとすること、これがいちばん悪いモデルである。偽は「概念」のうえで起こる、事態そのものに偽(いつわり)はない。いっぽう、「論理」は曲げられたり、事実を変質したりするようには仕込まれてはいない。そうされるのはつねに「概念」のほうである。

2011-10-28 01:41:52
佐藤正美 @satou_masami

私(わたくし)概念で象嵌されたモデルは嗜好品に似ている。第一に当人には気持ちが良い。第二に簡単に入手できる。第三に──あってもなくてもよい。モデルには(SE の)私概念など要らない。つねにそんなものがあってはいけない。事実を記述すること、そして事実以上に見せかけないこと。

2011-10-28 01:42:26
佐藤正美 @satou_masami

或る SE はモデルの虚しさを言い並べ、他の SE はモデルの重要さを説く。双方の言い分をじっくりと聴いてみればいい。双方とも半分だけ正しいことを言っている。しかし、モデルは、徹底的に役立つか、まったく役に立たないか、そのいずれかである。七割程度正しい数式などは数式じゃない。

2011-10-29 20:13:55
佐藤正美 @satou_masami

「人生を幸福にするためには、日常の瑣事に苦しまなければならぬ」(芥川竜之介)。同様に、モデルを完璧にするためには、実際の取引上の瑣細な「制約・束縛」に苦しまなければならない。瑣細だが真たる値を決める「前提(制約・束縛)」を外して描いた あらましの図は推論式にならない。

2011-10-30 00:39:39
佐藤正美 @satou_masami

モデルは「現実」の影にすぎない。それがモデルのそもそもの生い立ちである。だが、もし、モデルが「地図」の値打ちがないとしたら、ただ いっとき、「概念」の上で、ぎっくりばったりをやって、やがて見向きもされなくなる。モデルの中では、いかなる構造も論理の上に建てられる。

2011-10-31 10:45:00
佐藤正美 @satou_masami

われわれが現実的事態を眺めるとき、われわれの頭(私概念)が「事実」をごまかしていることが多い。だが竟(つい)には、モデル(論理的形式)のほうでわれわれを本然の相形、つまり事業がいかなる「意味」で営まれているかという「事実」にひきもどしてくれる。モデルは認識の技術である。

2011-10-31 10:45:50