オープン・エンディットに関する感想

SoUi(http://soui1.com/kenchikugatari/season1/01.html)のケンチク☆ガタリを読ませて戴いたのを契機に、河野様から戴いたゲラの感想を書いてみました。河野様からの講評も戴けたので纏めることにしました。
7
N⇄T @mNhTfK

非常に長くなるのですが、河野さんから戴いたゲラ(オープン・エンディット)の感想をツイートしようかしら。 駄文なのは承知ですのでどうぞ無視してやって下さい。勝手な話で恐縮ですが…。

2011-11-07 19:37:20
N⇄T @mNhTfK

オープン・エンディット:あえて納めないという考え方。この概念はディテイリングをさえ十全に理解していない僕には非常に高次なものである。しかしそれを自覚した上で思った事を幾つか書き出してみる。 →

2011-11-07 19:37:53
N⇄T @mNhTfK

まずこの概念を一読した限りで思い浮かべるのは磯崎新である。彼の手法の一つ、切断。即ち金太郎飴的な、先の繋がりを想起させるように意図された架空の連続であり断面。 →

2011-11-07 19:39:00
N⇄T @mNhTfK

これは全体を想定した上で部分を顕在化させるというある種の状態を示すが、あくまで連続性を示すヒントであり、主要なファクターではない為、これはオープン・エンディットとは異なる思考体系だと言えよう。 →

2011-11-07 19:39:13
N⇄T @mNhTfK

次に思いつくのは黒川紀章によるカプセルタワーであろうか。あの建物は一本の軸を幹に、多くのカプセルが葉っぱのように集合している事によってまるで全体が一つの生物を想起させ得る有機的な建物だと思うが、注目すべきはそのユニットの集積である。→

2011-11-07 19:39:56
N⇄T @mNhTfK

ボックスをボックスで完結させながら積層する上で接続面や配置にはある程度、納まりを無視した部分が出てきているものと想像できる。ただし、ここに特別な意図が読み取れない以上はオープン・エンディットではないのだろう。→

2011-11-07 19:40:19
N⇄T @mNhTfK

幹の斜めの切断面も磯崎的な、若しくはメタボリズムの塔状都市の様な、総体の一部が顕在化した物だと解釈できる。現実的には斜線制限などが関わるのであろうが。→

2011-11-07 19:40:28
N⇄T @mNhTfK

他には例えば見切り材を見せずに見切る時のディテールが、その無造作に断ち切られたような効果をもたらすように思われるが、これらは意識的に納まりを制御した上での効果であるのでオープン・エンディットの例ではないのだろう。となると、カルロ・スカルパなどもここでは排斥されよう。 →

2011-11-07 19:40:48
N⇄T @mNhTfK

また、スケルトン・インフェルなどは構造の呪縛に積極的に縛られようという態度であるから、真逆のような系統だと言えようか。 →

2011-11-07 19:41:20
N⇄T @mNhTfK

読み返す度に様々な類推は生じるが、さてではオープン・エンディットなる建築操作は一体何なのか。私的な理解としては以下の三点がある。内海智行や隈研吾が試みている様な、接続部を有するユニット(部分)を構築してその組み合わせで全体を作るというセルフビルド的な所作。→

2011-11-07 19:43:12
N⇄T @mNhTfK

これはカプセルタワーで書いたことにも少し被るが、ユニットではなく、接合部のフレキシブルを想定した上での事なので、区別しており、またその集合体にはディテールが意図されながらも欠落しているという感覚がある。→

2011-11-07 19:45:59
N⇄T @mNhTfK

ただし、セルフビルド的な組み立てには一種類の接続パターンしか表出しないが、ラヴォニケルの場合にはそこに幾つかのパターンを持たせている点が大きく異なろう。その一つが交差であり、切断面なのであろう。→

2011-11-07 19:49:50
N⇄T @mNhTfK

前者については、河野さんと高橋さんのドミノ・システムにも通ずる所がある様にも思う。あの場での"欠損"というキーワードは連続性への態度を示すものであるのだから。→

2011-11-07 19:50:08
N⇄T @mNhTfK

二点目は、動物的な実としてのイメージである。例えば人間は口から肛門にかけて、一本の空洞が通っている。けれどもそれらは生態機能によって収縮して閉じられている。こういう境界と認識の曖昧さを建築化した物がオープン・エンディットという建築操作であると想像するのである。→

2011-11-07 19:50:47
N⇄T @mNhTfK

そして最後は書である。これは個人的な経験による類推だが、書でも基本の納まりとして はね・とめ・はらい があるが、書式によってはそれらを意図的に無視して字を生成することがある。感覚的にはこれが最も近い概念だと思うのだが、残念ながら上手く言語化する術を持たない。 →

2011-11-07 19:51:09
N⇄T @mNhTfK

ここまで書き進めたが、あえて納めない事による欠損と、納まり制御による付加的操作による欠損との差異が僕にはまだ見分ける力がない。恥ずかしい話ではあるが。だがしかし、このレトリックを知った上で物事を思考するのは今後の思考に有意義なものと推測する。

2011-11-07 19:51:29
N⇄T @mNhTfK

長々とTL汚しをしてしまって失礼致しました。

2011-11-07 19:52:06
N⇄T @mNhTfK

@hkohno_abbr 長くなってしまったのでツイートさせて戴きました。浅い理解で恐縮ですが...。

2011-11-07 20:17:46
Hiroshi Kohno | 河野 裕 @hkohno_abbr

@mNhTfK わざわざ感想ありがとう。読ませてもらいます。

2011-11-07 20:54:38
Hiroshi Kohno | 河野 裕 @hkohno_abbr

@mNhTfK 磯崎や黒川やスカルパが出てくるのは想像してませんでした(笑)。ずいぶんと真剣に読んでいただいたようで感謝。2つのゲラで全然違う水準の話をしてるのですが・・ひとつは抽象的な概念の話(代謝理論も含む)、他は主にディテールと構成のレトリックの話で→

2011-11-07 21:20:21
Hiroshi Kohno | 河野 裕 @hkohno_abbr

@mNhTfK 磯崎や黒川は前者のアナロジー的な「オープン・システム」の話からの連想でしょうね。スカルパはどちらかというと後者からの連想かな?

2011-11-07 21:25:38
N⇄T @mNhTfK

@hkohno_abbr 主に後者の話を中心に読ませて戴きました。前者はゲラを戴く前に建築雑誌を入手して自分で和訳もしていたのですが、どうも理解が追いつかなかったもので(汗) ただ、仰るように黒川は前者からの連想であり、読み返す内に磯崎の著書 手法が を思い出しました。

2011-11-07 21:30:10
Hiroshi Kohno | 河野 裕 @hkohno_abbr

@mNhTfK ただラヴォニケルの場合、多くは、ある領域の境界・ボリュームのエッジ(角)やある辺全域の操作についてなので、見切り材の有無よりも、「やく物」の有無で比較したほうがわかりやすいかもしれません。

2011-11-07 21:26:31
N⇄T @mNhTfK

@hkohno_abbr やく物 ですか。それは実物を見ていないこともあって思い至りませんでした。少し調べてみます!

2011-11-07 21:33:36
Hiroshi Kohno | 河野 裕 @hkohno_abbr

@mNhTfK これは、そうですね(>セルフビルド的な組み立てには...ラヴォニケルの場合にはそこに幾つかのパターンを持たせている点が大きく異なろう)。あと、構工法的なプロセスの暗示(セルフビルド系)よりも構成のレトリック(新たな象徴とでもいうべきか)の果たす役割が大きい。

2011-11-07 21:29:33