五百蔵容さんの「シン・仮面ライダー」分析

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五百蔵 容 @500zoo

もっといえば「原典は現代のプロット主義的構成原理を充たす作りではないが、観客(庵野少年)には伝わった。ならば今も伝わると信じる」という見切りがあるように思える。一方でモダナイズが試みられている領域もあるが、その配分はかなり原典遵守・原典遵守と庵野が見込む方向に傾けられている

2023-04-03 14:03:00
五百蔵 容 @500zoo

映画のそういった選択、方針は最初の5カットほどで(特にスピードを上げるサイクロン号の撮り方)既にはっきり宣言されていて、もっと持ち上げたかったのだろうが持ち上げきれなかったと思われるディティールは数あれど、そのスタイルは最後まで貫徹される。

2023-04-03 14:09:01
五百蔵 容 @500zoo

そしてそれで理解され楽しんで貰えるかどうか、剛速球で投げ込んでいるという映画で、とはいえ、どう穏便に認識したところで換言すればこれは物語の一般的な技法が提供する読み手との合意形成プロセスを(比較的)排除した「超ハイコンテクストな一作」でしかない、とはいえる。

2023-04-03 14:18:38
五百蔵 容 @500zoo

そのハイコンテクストに応ぜる観客は楽しいだろうし、そうではない(プロット主義の合意形成プロセスを必要とする)観客は楽しみづらいのも当然かなと。監督とすれば、その中間ほどに投げ込んで後者の(より広汎な)観客も巻き込みたかったのだろうけれども、そこはちょっと難しかったということかなと

2023-04-03 14:18:38
五百蔵 容 @500zoo

NHKのドキュメンタリー観ました。実に素晴らしいドキュメンタリー。あの映画が、なぜあんな風になったのかよくわかるし、あんな風にしようとしてそうなったのもわかるし、その結果の必然として広汎な観客には中々届きづらい内容になった脈絡もクリアに伝わってくる。

2023-04-06 15:05:33
五百蔵 容 @500zoo

庵野さんは最初から「(殺陣だけでない)段取りの排除(ジャンプ)」「段取り(連続性)の方法論的軽視で失われるものを補う為に”アクション”に求めるインパクト」「それらによって達成されるノ原典と現代の融合」「即興の重視」を打ち出しているわけで、その結果現場がああいう風になるのは納得感ある

2023-04-06 15:10:06
五百蔵 容 @500zoo

できあがり観ると、あれ程拘った即興の成果に乏しいと感じるのですが、それも(即興重視の制作では必要になる)「即興・創発が生じやすいプラン、現場作り」が存在しなかった為そうなった気配が伝わってくる。ただ、最終的に何か共有されたっぽいので、この座組で「2号編」作ったらもっと良くなりそう

2023-04-06 15:16:05
五百蔵 容 @500zoo

最後の「泥仕合」も、撮影直前に定まったシーンコンセプトということが明らかにされていて、やっぱりかあと(NHKは超勘所にフォーカスしていると思う)。ぼくはあのシーン観て、「ズバットの最終回だなあ」と感じたのですが、ズバットにはあってシンカメにはないものがあり、そこが弱さになってるなと

2023-04-06 15:22:30
五百蔵 容 @500zoo

ズバットのラストバトルの泥仕合は、スーツの設定自体が伏線になっていて、泥仕合になるシリーズ構成上の説得性があり、それが観客の子供にも伝わっているので、機能しなくなったスーツの重みに耐えながら戦う二人の男、というシーンの異様さ、終幕にふさわしいスペシャリティが表現できていた。

2023-04-06 15:25:47
五百蔵 容 @500zoo

それが『シン・仮面ライダー』だと、(方法論的解釈や“元ネタ”レベルの納得は別として)何の脈絡もなく突如泥仕合になる。「ついさっきまで軽やかに舞っていた超人達の動きが、なぜ鈍重になるのか?」が得心できぬまま、少なからぬ観客は「映画に言われるがまま」にクライマックスを眺めることになる

2023-04-06 15:31:17