『大津波のあとに』制作の経緯

『大津波のあとに』制作の経緯 森元修一監督 @mori0423 ご本人によるTweetまとめ。(途中) ドキュメンタリー映画『大津波のあとに』、11月19日(土)から一週間限定ロードショー。岩手県大槌町出身の大久保愉伊監督の『槌音』との二本立てです。 http://fartheron.soragoto.net/
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森元修一 @mori0423

『大津波のあとに』制作の経緯(19) …信号のある道は思った以上に時間がかかり途中で車中泊しました。翌日、何度かコンビニに立ち寄ってみましたが、棚に並ぶ商品がどんどん少なくなっていく様を目にすることになったのです。結局、仙台に到着したのは22日の夕方近く。…

2011-11-06 18:58:56
森元修一 @mori0423

『大津波のあとに』制作の経緯(20) 仙台駅に着く頃には日が落ち、普段はにぎやかな駅前一帯も、営業していないホテルや店舗は暗闇に紛れ人通りも少なめでした。情けなくも疲労がたまっていて、石巻への移動は翌日にすることにしました。…(続く) http://t.co/IoQYzemn

2011-11-06 18:59:50
森元修一 @mori0423

『大津波のあとに』制作の経緯(21) (続き)車中泊のための適当な駐車場所を探しているとき、石巻で常宿にしていた民宿のオーナーとそのご家族が全員無事だ、という連絡が共通の知り合いから入りました。今回の石巻行の大きな目的だった安否確認ができたわけです。…

2011-11-07 21:33:08
森元修一 @mori0423

『大津波のあとに』制作の経緯(22) そうか、無事だったんだ、民宿は海に近い場所だったけど助かってよかった、そんな安堵感を覚えました。よし、じゃあちょっと早いけど寝ようか、というとき、旧知のフリージャーナリストから電話が。… http://t.co/IoQYzemn

2011-11-07 21:33:29
森元修一 @mori0423

『大津波のあとに』制作の経緯(23) 情報交換をしているうちに仙台にいるのなら荒浜地区を見た方がいい、と彼は口にしました。3月23日、私は若林区荒浜地区に向かいました。市内中心部から海に向かって30分弱、仙台東部道路の高架をくぐると別世界が広がっていました。…

2011-11-07 21:33:44
森元修一 @mori0423

『大津波のあとに』制作の経緯(24) 高架の先は緊急車両と住民の方の車以外は入れないということで、自転車に乗り換えて進みました。まず目に入ってきたのは地平線いっぱいに積み重なる大小の木片、引き抜かれ流された樹木、ガラスが粉々になり横転あるいは反転した車、車、車。…

2011-11-07 21:33:59
森元修一 @mori0423

『大津波のあとに』制作の経緯(25) 私はカメラのスイッチを入れたまま海の方向に自転車で走ってみました。5分以上走っても風景が変わりません。スイッチを切るタイミングがつかめないままペダルをこぎ続けるしかありませんでした。やがて道は砂に覆われ、…

2011-11-07 21:34:13
森元修一 @mori0423

『大津波のあとに』制作の経緯(26) …自転車のタイヤは飲み込まれて先に進めなくなりました。そこにあったのはテレビやネットで俯瞰図として見ていた光景でした。しかし足元には俯瞰では見えなかったもの、そこに人が住んでいたことを証明するものたちが散乱していたのです。…

2011-11-07 21:34:29
森元修一 @mori0423

『大津波のあとに』制作の経緯(27) 炊飯器、ぬいぐるみ、預金通帳、手紙…。数え上げればきりがありません。倒れた写真立ての中の誰かが笑顔のままで空を見上げています。その横には誰かの秘密の所有物であったはずのアダルトビデオ。… http://t.co/IoQYzemn

2011-11-07 21:34:46
森元修一 @mori0423

『大津波のあとに』制作の経緯(28) 本来なら屋根の下や引出しの中にあるべきものが強い風に吹かれていました。ねじれた車や骨組みだけが残った建物にはられた、捜索が終わって人がいないことを示す「検索済」のチラシ。そのようなものたちにカメラを向けながら、私は居心地の悪さ、…

2011-11-07 21:35:02
森元修一 @mori0423

『大津波のあとに』制作の経緯(29) …罪悪感のようなものを感じていました。報道や記録という大義があれば他人のどんな不幸やプライバシーでも撮影することは許されるのか。許されなくても撮影しなくてはならないときがあり、いまがまさにそのときだとは思っていました。…

2011-11-07 21:35:17
森元修一 @mori0423

『大津波のあとに』制作の経緯(30) だからこそ東京を出るときにカメラを持っていったのです。しかし、それまで「被災地」と簡単に口にしていた場所に広がる、あまりにも巨大な破壊のあとは、私のなかの小さな自負心に揺さぶりをかけるものでした。…(続く)

2011-11-07 21:35:32
森元修一 @mori0423

『大津波のあとに』制作の経緯(31) (続き)この惨状をおまえはどうやって伝えるのか、と。それがわからないまま、それでも撮影を続けること、それが居たたまれなさにつながっていたように思います。周囲に人はほとんどいませんでした。自衛官や消防・警察関係者が散見されるだけ。…

2011-11-08 17:51:53
森元修一 @mori0423

『大津波のあとに』制作の経緯(32) あとはほんの数人、住民らしき人たち。彼らにカメラを向け話を聞く気持ちになれないまま、一帯に残されたもっとも大きな建物である小学校に足を向けました。人気はなく、教室の中にまで車が流れ込んでいます。一階部分は漂着物でまともに歩けない状態。…

2011-11-08 17:52:37
森元修一 @mori0423

『大津波のあとに』制作の経緯(33) 二階も床には泥が被っています。図書室のカウンターには「今日は3月11日。返す日は3月17日」というボード。教室の窓から外の風景を呆然としながら眺めていると、見回りの消防団員の方が二人、校舎に入り二階に上がってきました。…

2011-11-08 17:52:53
森元修一 @mori0423

『大津波のあとに』制作の経緯(34) 私ははじめて人にカメラを向けました。ある意味で成り行きです。質問も用意していたわけではないのでしどろもどろになり満足なインタビューとは言えないものでした。ここは一応立ち入り禁止だからという言葉を残し彼らは去りました。…

2011-11-08 17:53:08
森元修一 @mori0423

『大津波のあとに』制作の経緯(35) 何も撮れていない、否、そもそも何を撮ろうとしているのだろうという気持ちのまま、日が落ちるまでその場所を離れられませんでした。3月25日、仙台を出発、三陸道で石巻に向かいました。対抗二車線の三陸道、石巻方面には自衛隊、救急車、物資輸送車、…

2011-11-08 17:53:26
森元修一 @mori0423

『大津波のあとに』制作の経緯(36) …重機を荷台に積んだトラックなどが列をなしていました。東松島市に入り鳴瀬奥松島の料金所にさしかかると、警視庁特殊車両の大型電光掲示板が「この先 地震のため 車両規制中」と表示し、緊急車両以外不通になっていました。…

2011-11-08 17:53:42
森元修一 @mori0423

『大津波のあとに』制作の経緯(37) 料金所を通過して一般道へ降りましたが、これまで通ったことがない道です。カーナビのついていない車であることに加え、単独行なので自分で地図を横目に見ながら運転し、奥松島方面と石巻方面に分かれる大きな交差点に出ました。…

2011-11-08 17:54:00
森元修一 @mori0423

『大津波のあとに』制作の経緯(38) 赤信号で停車し、そこにあった標識に奥松島、そして野蒜という文字を認めました。野蒜、そこはTVや新聞で震災後の早い時点から大きな被害が報じられていたのを記憶していました。長い信号待ちの間、どちらの方向にハンドルを切るか考えていました。…

2011-11-08 17:54:19
森元修一 @mori0423

『大津波のあとに』制作の経緯(39) やがて信号は青に変わり、私は野蒜にむかってアクセルを踏み込んでいました。鳴瀬川沿いの道を海に向かって進むと、陸地側にすこしずつ漂着物、破壊された住宅の木片や車が増えていきました。やがてそろそろ河口だというところで、…

2011-11-08 17:54:32
森元修一 @mori0423

『大津波のあとに』制作の経緯(40) …一階部分が津波に破壊された建造物が視界に入ってきて、さらに海沿いを走る道に入ると、海岸から丘と称するにはやや緩やかすぎる斜面までのせまい範囲が根こそぎ押し流された様相が目に飛び込んできました。…(続く)

2011-11-08 17:54:48
森元修一 @mori0423

『大津波のあとに』制作の経緯(41) (続き)車を停めて辺りを見回しても、遠くでかすかに重機の作動音が聞こえるだけで、人影はまばらでした。消防団員と自衛官、そして多くの墓石が倒れている墓地にひとりの男性がいました。ほかに住民とおぼしき方は見当たりませんでした。…

2011-11-09 18:19:33
森元修一 @mori0423

『大津波のあとに』制作の経緯(42) 仙台市の荒浜地区のことを思い出しました。あのとき、見回りの消防団員の方にカメラを向けたけれど、きちんと人の話を、その声を聞いたとはいえませんでした。その翌日にも私は同じ場所に足を運んでいました。… http://t.co/IoQYzemn

2011-11-09 18:19:51
森元修一 @mori0423

『大津波のあとに』制作の経緯(43) 荒浜地区の光景がほんとうにこの世のものとは思えなかったから、もう一度その実在を確かめにいく、そんな心持ちでした。そして残念ながら、前日と変わらず目の前に広がっていた世界は夢幻でなく、私の足下には住民の生活のさまざまな物品、…

2011-11-09 18:20:11
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