アクティビテイ機能というライフハック?:他者への関心と情報取得可能性の分断による暴力の可能性について。

他者のフォロー、フォロワー、そしてファボの状態をその個人のTLに行くなど他者への関心を動作として表現しなくてもその個人のこれらの情報の取得を可能にしたアクティビテイ機能。このアクティビテイ機能がもたらした、関心/動作/情報取得可能性の分離=(纏め中ではプレミアムの消滅=見る側が関心とそれを動作でしめすことで 情報を得られること、見られる側が、情報を見せる代わりに見る側の関心とそれに付随する動作を確認できることによる、自己承認される可能性。これらの関係性の消滅として語られている。)が招き得る、メリット/デメリットに関するツイート纏めてみました。
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瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

アクティビテイ機能が復活している。これは利用者からの要請というよりも、同様の機能を持つFB対策と考えられる。しかし仲間内の連絡が大半なFBと不特定多数の人が閲覧可能なツイッターではこの機能の意味も異なってくる。またFBの場合はどこまで情報を公開できるかが自分で設定できる。

2011-11-16 07:12:21
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

しかし、ツイッターのアクティビテイ機能は利用者が公開する情報の範囲を個人的に設定できずに勝手にフォロー・フォロワー情報やファボ、RT情報などが不特定多数の人に閲覧できるようになっている。これはむしろ自分でコントロールできる情報が減るという意味でより不自由が増す設定といえる。

2011-11-16 07:15:03
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

問題は利用者がどこまでの情報を公開すべきかという利用者の意思が反映されない設定であるということ。ここがFBと違う。FBの場合はかなり細かく公開する情報を設定することが利用者の意思でできる(例えば誕生日の情報は公開するが他のアルバムは公開しないなど)また公開範囲も自分で設定できる。

2011-11-16 07:17:51
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

いや、もともとフォロワー情報やファボ情報は見られたから、それほど違いはないのでは?という意見もあろうだろう。

2011-11-16 07:21:49
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

しかし、その場合私が誰かのフォロワー情報を見ようとする場合その人のTLに意識的に飛んで確認するという作業が必要であったのだが、この機能はそのような動作をすることなく、無意識的に他者の情報を閲覧することができるという点で大きく異なっている

2011-11-16 07:22:41
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

つまり、特定の個人のページにわざわざ行くという努力をしなくても、その個人の情報すら閲覧できるようになったわけで、ツイートは閲覧されても構わないがフォロー情報などは閲覧されたくないと思っている個人にすら閲覧される可能性が増したといえる。

2011-11-16 07:25:47
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

例えば以前「私の彼氏をフォローしないで下さい」という”事件”があったが、この機能の追加によりあのような”事件”が起きる蓋然性を高めているといえる。

2011-11-16 07:29:25
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

また、ある人のTLに行ってその情報が閲覧できるというのと、いかなくても自動的に流れてくるでは、前者は潜在的情報であるにすぎないが、後者は「すでに現前している」情報が流されるので大きな差異がある。例えるならば、潜在的情報というのは衣服を来ている状態で公開されているといえる。

2011-11-16 07:31:10
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

つまり、その情報が見たいのなら自分でその衣服を脱がす必要がある。しかし、現前している情報というのは初めから裸ですべての人に公開されているという違いがある。前者にはある程度の信頼関係がなければ得られない情報というプレミアムがあるが後者にはそのプレミアムはなくなっている。

2011-11-16 07:33:04
FUQ_55 @S_3Qngx

@yutakioka より公開性が高いツイッターではこのアクティビティ機能は利用者自身の内部統制がより要求されるという事になりますね。

2011-11-16 07:34:55
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

つまり個人情報が自分で管理できないことに加えて、この例で言えば、努力をして閲覧することによって得られていた見る側のプレミアムが、初めからすべての人に裸で平等に公開されていることで、消滅したことによる、特別意識の減退というのも、この機能の不快感の要素といえる側面も否定できない。

2011-11-16 07:38:41
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

そう思います。RT @Oh3313A より公開性が高いツイッターではこのアクティビティ機能は利用者自身の内部統制がより要求されるという事になりますね。

2011-11-16 07:39:24
FUQ_55 @S_3Qngx

@yutakioka そうした観点からすれば、ツイッターは使用者の社会性を試されるツールとなる。うまく利用すれば自らの社会性をトレーニングできるツールにもなり得るかもしれない。

2011-11-16 08:07:22
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

そうなんですよね、上手く理由すればなのですが、下手に利用すると大変なことになります。犯罪告白など。RT @Oh3313A そうした観点からすれば、ツイッターは使用者の社会性を試されるツールとなる。うまく利用すれば自らの社会性をトレーニングできるツールにもなり得るかもしれない。

2011-11-16 09:25:29
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

今回のアクテイビテイに関する問題もそうだけど、結局、見る/見られるとか、知る/知られるとかいう動作自体に権力性があるかないかではなくて、その動作の行動主体間の人間関係によって、その動作が生み出すのが信頼なのか暴力なのかが変わってくるという話。

2011-11-16 09:34:31
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

動作自体に権力性あるいは非対称性があるというのなら、そもそもストーカーが自分に対して何度も電話をかけてくることと、恋人が何度も電話をかけてくることの区別ができない。見る/見られるというのも同じ。

2011-11-16 09:37:02
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

見る側の主体とみられる側の主体に、非対称な権力性や属性があらかじめ備わっていれば、見る側がその権力を見るという動作を媒介として誇示するということになるのだけれども、仮にこの関係性が恋人同士であれば、むしろ逆に見せる/見せられるという関係性として成立する場合もあり得る。

2011-11-16 09:38:59
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka

この場合見せることを許可する方が権威を持っているわけで、見る方が許可を受ける主体ということになる。なので一概に見る/見られるという動作から権力主体を決めつけることはできない。基本的に動作というのも言語と同じで、コンテクストを切り離して独立的な意味として存在することなどできない。

2011-11-16 09:40:44