先秦諸子の思想

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Togi / 萠ひとし @Togi_tweet

東アジアの文明は黄河流域に発展しました。いわゆる黄河文明です。 現在、陸続と発掘される紀元前数千年の遺物を目の当たりにするとき、彼らの技術の高さ、素晴らしさに驚嘆するのは私だけではないでしょう。 周王朝の中頃、紀元前およそ五百年、孔子の頃には古代がすでに伝説となり、

2023-06-01 14:22:20
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「徳」をもって君臨した聖王の統治によって、古代の人々は泰平(たいへい)の世を送っていたと考えられていました。 孔子は「徳」を「仁」という言葉で解釈しました。世代を超えた親子の関係があって、はじめて自分というものが存在する、これが「仁」です。 孔子は古代からの文献をひもとき、

2023-06-01 14:28:17
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「易」「書」「詩」などに整理しました。さらに自国、魯の歴史を「春秋」という本にまとめながら、歴史の人物に対して毀誉褒貶を加え、自らの目指すものが何かを明らかにし、弟子にそれを教えました。中国先秦時代の思想は、孔子が中心に据えた「仁」そして国家=家という政治の在り方に対する

2023-06-01 14:40:19
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議論によって発展し、漢代以降の政治的基礎としての「儒教」が体系化されるための原動力でした。「論語」にて孔子は「述べて作らず」と明言しつつも、弟子との会話の中で「易」「書」「詩」の言葉を散りばめ、敷衍(ふえん)し、人とは何か、政治とは何かを熱く語ります。そして孔子から孫子にいたる

2023-06-01 14:54:29
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先秦諸子の思想を纏めたのが韓非です。漢代以降、儒と法と道家という三本の柱で中国の国家が経営されるにいたるその源流は、秦の始皇帝による戦国時代の終焉にあたって大きな影響を与えた、韓非の「法」という思想にあります。  「論語」は中国において、いつの時代にあっても経書に並ぶ重要な

2023-06-01 15:04:17
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書物でした。 経書は中国の隋唐の国家体制を踏襲して日本が律令国家を作るためには不可欠でした。 江戸時代には漢文学が盛んに読まれ、明治時代に冨山房から出された「漢文体系」は清朝時代の研究と江戸から明治にかけての研究の集大成です。現代では明治書院から「新釈漢文人系」が出版されています。

2023-06-01 15:16:14