女は物語を紡ぐ。 狼は月の子。 狼達は未だに覚えている。大災禍の事も、その目を覆うような悽愴さも。 だから、狼は満月になると母の運命を嘆く。 そして、狼と生きる者たちは生き残った月の三姉妹の恋人たる司晨の星を嘆き星と呼ぶようになった。
2023-06-16 21:20:35少年は言葉を無くした。 岩神が巨岩槍を投げた話程のわくわくした話ではなかったが、じいさま達の話す狐の嫁入りや山奥に出るお化けよりもずっとすごい。村にいたじいさま達からそんな話は聞いた事がない。もしかしたら長老だって知らないかも。 少年はこの話をきらきらした一夜の夢の様だと思った。
2023-06-16 21:20:43「こんなのは実際のものでは無い。 今では誰も語ることの無い、ただ忘れ去られた伝説だな。」 そう最後に呟いて、女は休む少年の髪を軽く撫でた。少し伏せ気味になった金眼は、その金色を少し暗くする。 少年はもう少しこの女の話を聞きたいと思った。
2023-06-16 21:20:51「ねえ、仙祖が全てをひとつにする前はどんなだったか知ってる?大地を諸神が歩き、多くの仙人が暮らすその前は?」 女は少し重くなった口を再び開いた。 「──記憶の断片が物語を伝える。その物語がやがては語り継がれる伝説になる。」
2023-06-16 21:21:01「……だが、神だろうと仙人だろうと、この俗世を越えた古の物語を聞けば悲しむだろうね。」 そこで女は一度話を止めて深いため息をついた。そして少年の様子を窺うと、少年はいつの間にか眠ってしまっていた。
2023-06-16 21:21:13「おや、まあ。」 女は肩を竦めててくすりと笑って、自分の来ていた蓑を脱いで少年にかけてやった。 家出という大冒険を果たした少年は歩き疲れて月明かりの差す竹林でぐっすりと眠る。その夜、少年は三つの月が昇る夜空と銀の輿車が停まる宮殿の夢を見た。 このお話の続きは、次回をお楽しみに。
2023-06-16 21:21:24夜が明けると少年は女に起こされた。 狐が人を騙そうとして、お化けが人が通るのを虎視眈々と待つ恐ろしい話の舞台であった竹林の朝は、しっとりとして澄んだ空気と白馬の尾のように垂れ篭める朝霧に包まれている。女は少年の手を繋ぎ光の差す方へ向かった。
2023-06-19 21:48:56ガサガサと踏みいれば虫が飛び出してくる茂みと苔を踏めば滑る岩場とを越えて女は竹林の出口へ案内をしてくれた。 少年の手から女の手が離れる時、名残惜しさに少年は女に問いかけた。 「僕はまだアンタの名を知らないんだ。名前を教えてくれないか。」 女は何も話さなかった。
2023-06-19 21:49:06女の後ろから朝日の光が差す。少年は後光のように差す光に目を細め女を見る。女も少年を見る。ただ微笑む女の瞳は黄金色に輝いていた。 ひとり山を降りる少年は暖かい陽光の中で馬の嘶きと蹄の音を聞いた気がした。振り向いても何も無かったが、真っ白な鬣が一筋肩に落ちていた。
2023-06-19 21:49:27大人になった時、この日の事を思い出した少年はようやく理解した。自分と女は進むべき運命が違っていたのだと。 少年の運命の行き着く果ては、故郷から遠く離れた璃月港で岩神の宝を探す事にあった。女の運命は、世間からも岩神の慈愛からも遠く離れた場所で忘れられた物語を守る事だった。
2023-06-19 21:49:46だから、少年が都会へ足を向けて歩き始めたあの日ふたりの道は分かたれたのだ。 しかし、女はもしかしたら知っていたのかもしれない。少年が最後に迎える運命を。海の、俗世の、荒波に揉まれ疲れ果て老いた体を引き摺るようにして最後にはこの故郷の山へ帰ってくる事を 竹林月夜はこれでおしまいだ。
2023-06-19 21:50:16