「ぼくらはそれでも肉を食う」読書メモ

タイトルにある書籍の読書メモです。 最近、本当に記憶力がなくなってきたので、せっかく読んだ本の内容も、右から左に消えて行くような按配なので、通勤途中に読みながらツイートしたものを、順番にまとめました。 なお、このツイートの内容は、僕という人間のフィルターを通して書かれているので、この本の内容と完全に一致するとは限りません。内容をざっくり知ることは出来ますが、細かい例までは書ききれませんでしたので、ご興味のある方は是非、書籍の方を書店でお買い求め下さい。 続きを読む
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福田 礼@撤退予定 @fukupage

その反応の顕著なものに、タテゴトアザラシ猟がある。可愛らしいタテゴトアザラシの子供をキャンペーンに使った動物愛護活動は部分的に成功した(子供のアザラシを対象としないようにした)が、大人のアザラシへの猟は続いている。 #ぼく肉

2011-11-08 08:47:56
福田 礼@撤退予定 @fukupage

小さな可愛らしい動物への偏愛は、様々な問題を抱えている。いつまでも子犬のような犬種を産みだし、それらの犬に肉体的な問題を強いる。 #ぼく肉

2011-11-08 19:32:50
福田 礼@撤退予定 @fukupage

蛇に噛まれて死ぬ人より、犬に噛まれて死ぬ人のほうが多いが、人は何故か犬より蛇を恐れる。 #ぼく肉

2011-11-08 19:32:52
福田 礼@撤退予定 @fukupage

蛇について豊富な知識を有しているニューギニアの人たちは、蛇を無駄に恐れず食用にもするが、蛇に対して無知なタンザニアの人たちは、どんな蛇でも叩き殺す。 #ぼく肉

2011-11-08 19:32:53
福田 礼@撤退予定 @fukupage

動物愛護家と政府の説明では言葉が違ってくる。政府に説明は穏当に、動物愛護家の説明は過激かつ凄惨に行われる。政府の説明では死後の反射運動は、動物愛護家にはまだ生きているという説明に変わる。 #ぼく肉

2011-11-08 19:37:56
福田 礼@撤退予定 @fukupage

言葉は重要である。言い換えることで印象は変わり、伝えられる情報の質も変化する。水槽を水牢獄と言い換えれば、観賞用に飼っている熱帯魚も囚われの身に変わる。 #ぼく肉

2011-11-08 19:41:16
福田 礼@撤退予定 @fukupage

同じ動物でも、見る人によって扱いが変わる。同じ犬でも愛玩犬もいれば猟犬もいて、野良犬が存在するように、ゴキブリは嫌われるがカブトムシは人気者である。これらは国や習慣によっても変化するが、やはり受け手の感情によるところが大きい。 #ぼく肉

2011-11-08 19:50:17
福田 礼@撤退予定 @fukupage

動物愛護活動が感情から始まり、論理を知性で補完する傾向が強いのは、道徳的な判断は知性よりも感情が優位にたつことが多いから。感情での判断は知性よりもスピーディーに下される。 #ぼく肉

2011-11-08 19:58:50
福田 礼@撤退予定 @fukupage

人間という生き物は、決して合理的ではなく時に矛盾した行動をとる。理性と感情の間を揺れ動きながら、直感や共感に左右される。 #ぼく肉

2011-11-09 08:41:13
福田 礼@撤退予定 @fukupage

そして、感情によって行われる判断に理屈はなく、不快であるということも立派な理由になる。そういった判断を下す傾向は貧困層に強い。 #ぼく肉

2011-11-08 20:03:00
福田 礼@撤退予定 @fukupage

多くの人が動物よりも人間が上位に来ると考える。しかしその基準は曖昧で、スーダンで飢えに苦しむ子供を救うことよりは愛犬を救いたいと思う人は、圧倒的に多い。 #ぼく肉

2011-11-08 20:09:58
福田 礼@撤退予定 @fukupage

人間は動物との関わりにおいて、これまでは動物をあちら側はにおいてきた。しかし、農業従事者や漁業従事者が減少するにつれ、ペットの地位が向上し、様々な見方をされるようになってきた。そしていつか、動物の存在はこちら側にやってくるだろう。 #ぼく肉

2011-11-09 08:06:59
福田 礼@撤退予定 @fukupage

菜食主義の方は認めたくないことだと思うが、ヒトラーも菜食主義者で、彼が率いるナチスは動物愛護法を制定した。動物の地位は向上したが、ユダヤ人の扱いは動物以下だった。 #ぼく肉

2011-11-09 08:19:05
福田 礼@撤退予定 @fukupage

鮫に襲われるより飛行機から落下した部品に当たって死ぬ確率のほうが高い。 #ぼく肉

2011-11-09 08:20:35
福田 礼@撤退予定 @fukupage

私たちが日常的に頼ってしまう、いい加減な経験則のことを、「ヒューリスティックス」と呼ぶ。それは多くの判断を省略するが、判断を非常に迅速に行うことができるようになる便利なものだ。 #ぼく肉

2011-11-09 08:23:35
福田 礼@撤退予定 @fukupage

しかし、その経験則は時として誤った判断を誘発してしまう原因になる。そのひとつがフレミングである。 #ぼく肉

2011-11-09 08:35:34
福田 礼@撤退予定 @fukupage

人間は生まれながらにして擬人感を持っている。これによってペットを愛すべきものだと認識する。場合によってはAIBOのようなロボットでさえも、愛すべきものだと認識し、ペットと同等の価値を抱く。 #ぼく肉

2011-11-09 08:35:36
福田 礼@撤退予定 @fukupage

こういった感覚は、人間特有のもので、これらの複雑な脳の仕組みによって、人間は生存競争に価値残ってきた。しかし、現在ではそれゆえに苦しむ人もいる。「動物を愛する」ことと「動物を食べる」という矛盾を抱えて生きている。 #ぼく肉

2011-11-09 08:41:12
福田 礼@撤退予定 @fukupage

ペットと人間の関係は奇妙なものである。時に潤滑油となり、時に異物となる。飼い猫のお陰で長生きできた独り暮らしの老人もいれば、飼い犬のせいで破局するカップルもいる。 #ぼく肉

2011-11-09 19:17:32
福田 礼@撤退予定 @fukupage

ペットとは、家に入ることを許され(場合によっては当てはまらない家もだけど)、名前を与えられ、決して食べられることのない動物である。 #ぼく肉

2011-11-09 19:19:51
福田 礼@撤退予定 @fukupage

別の学者はペットを、「特に役割を持たないが人間と一緒に住んでいる動物」と定義する。しかし、これも妙である。 #ぼく肉

2011-11-09 19:24:47
福田 礼@撤退予定 @fukupage

人間は数多くのペットを飼ってきた。しかし、その中で最もペットらしいのは犬や猫で、ペットと聞くと多くの人がこの二種を思い浮かべるはずである。 #ぼく肉

2011-11-09 19:29:19
福田 礼@撤退予定 @fukupage

動物の権利を擁護する人たちはペットという言葉を嫌う。そのかわりに「コンパニオン・アニマル」と呼ぶことを主張している。アメリカのとある州では動物の「所有者」を「保護者」と呼ぶようになった。しかし、厳密にいうとそれらは適正とは言いがたい。 #ぼく肉

2011-11-09 19:34:18
福田 礼@撤退予定 @fukupage

アメリカでは大半の家庭でペットが飼われており、しかも「ペットの人間化」という現象が起こっている。ペットは家族の一員であり、寝食を共にすることも多く、今やペットにかかる費用は娯楽費の合計よりも多い家庭も多い。 #ぼく肉

2011-11-09 19:39:05
福田 礼@撤退予定 @fukupage

かつては、ペットをことはそれほど費用がかかるものではなかった。食事は人間の残り物でよかった。しかし現在はそうはいかない。中型犬で8000ドル、猫は10000ドルのお金が、生まれてから死ぬまでにかかる費用だ。 #ぼく肉

2011-11-09 19:43:23
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