「どうする家康」で描かれた「平和主義」を巡る議論~荒唐無稽な「いくさは嫌」か、リアリティある安全保障論か
『どうする家康』の五徳の態度、「おかしくない?何あっさり今までの態度覆して築山殿の策認めてるの?」という話があるが、あのドラマでは信康・築山殿だけでなく、家康や徳川家臣団まで築山殿の策を認めているんだから、ここで「反対」と言ったら良くて監禁、悪くて口封じに殺されてるだろう。
2023-07-01 23:45:37ドラマでは五徳の内心はわからないが、徳川家中が(積極的か不承不承かの温度差はあるが)賛同する中(順番は忘れたがその空気の中)「私は反対。父上に言いつけます!」と言った日には本当に命が危うい。脚本の意図はわからないが五徳が表面上築山殿の策に賛同するのは、あの雰囲気では不思議はない。
2023-07-01 23:50:547月2日に瀬奈・信康死去の回放送された後の、考証陣の一人(平山優氏)のツイート
大河ドラマ「どうする家康」の築山殿の策略とその破綻、そしてその死というストーリーは、脚本家古沢さんのオリジナルストーリーです。このドラマの出発時、家康と瀬名は相思相愛であり、今川義元がそれを汲んで結ばれた設定になりました。 #時代考証の呟き #どうする家康
2023-07-04 01:18:22山梨在住の歴史学者。健康科学大学特任教授。ポニーキャニオン所属。著作は、『戦国大名領国の基礎構造』(校倉書房)、『天正壬午の乱』(戎光祥出版)、『武田氏滅亡』(角川選書)、『戦国の忍び』(角川新書)など多数。
本当のところはわかりませんが、義元の肝煎りで結婚が実現したことは間違いありません。二人の結婚そのものが、義元が若き家康を高く評価していたことの表れだと考えていた時代考証陣は、その設定を容認しました。同時に、結末を知っている私は、これを今後、どのように落とし込むのかを固唾を呑んで
2023-07-04 01:18:43見守っていました。そもそも、家康と築山殿が不仲であったということは、実証されていません。むしろ、天正6年早々までは正常な状況であったのではないかと考えています(詳細は拙著『徳川家康と武田勝頼』を参照してください)。 ドラマでは、瀬名が戦のない世の中を求め、武田、北条とも結ぼうとし
2023-07-04 01:18:58、戦国争乱の大きな要因の一つと考えられている凶作、飢餓を広域連合の協調関係で解決していこうという考えを提示していました。これを荒唐無稽と捉える方々と、理想論ながらもそれを面白く捉える方々で、評価は真っ二つになりましたね。それはドラマなので、いいことだと思います。
2023-07-04 01:19:07ただ、ファンタジーだの、史実無視だのと批判され、「時代考証はなぜこんなことを許したのか」と痛罵されることも多々ありました。特に「歴史家」「歴史ライター」「歴史研究家」なる人々のかしましさには、特に注目しておりました。一般の方々は別にいいのですが、やはり彼らは単に勉強不足なんだなと
2023-07-04 01:19:44しか思えませんでした。皆さん、戦国の軍事同盟(例えば武田・北条・今川や織田・徳川など)は、何のためにあったと思いますか?いうまでもなく戦争を優位に進めるためです。でも、その重要な柱の一つが「困っているところに、援助する」という大原則があるのです。家康が武田の侵略を凌ぎきり、
2023-07-04 01:20:03生き残ることが出来たのは、織田信長による援軍派遣だけではありません。織田からの大量の兵粮、玉薬の継続的支援は欠かせませんでした。それはいくつもの史料で確認できます。武田も、同盟国に兵粮の支援を懸命に行っていたことが多くの史料でわかっています。とりわけ内陸部の武田にとって、自給でき
2023-07-04 01:20:20ない塩は特に重要でした。そのため海を持つ北条や今川からの援助が欠かせませんでした。皆さん、武田信虎(信玄の父)がなぜ追放される羽目になったか、今の研究状況をご存じですか?拙著『武田信虎』や『武田三代』(PHP新書)で詳述しましたが、信虎は周辺諸国と対立しており、継続的に経済封鎖を
2023-07-04 01:20:36されていたのです。そのため甲斐は天候不順、災害、凶作、飢饉の被害を他国からの物資輸送で補うことができず、悲惨な状況になっていたのです。それは信虎時代と信玄時代の物価変動をみると、はっきりわかります。信玄時代になって、凶作になると、他国から物資を購入して補い、危機を回避していた
2023-07-04 01:20:49のです。後は戦争で他国から略奪して補っていました。「足らぬところは、他から融通してもらい、うまくやっていく」という瀬名の台詞は、こうした背景を知っていれば、あながち否定できません。なかなか、戦国の流通や同盟の内実を、ドラマで説明することは至難ですよね。なのでどうしても言葉足らずに
2023-07-04 01:21:35なってしまっているかも知れません。あと、「戦のない世」を主張するなど、現代的価値観を入れすぎだという意見を多数拝見しました。皆さん、「おんな太閤記」って御覧になったことありますか?あのドラマは、主人公の寧々が「戦はいやじゃ」という言葉を毎回のフレーズにしていました。彼女が夫秀吉と
2023-07-04 01:21:58目指したのは、「戦のない世」だったのです。それがドラマのコンセプトでした。それなのに、なぜ「どうする家康」の瀬名をあれほど批判できるのか、私にはわかりません。ましてや「昔の大河ドラマのほうが重厚感があった」「しっかり作られていた」と、そう批判される方々はほぼ口を揃えておられますが
2023-07-04 01:22:14昔の大河ドラマ「おんな太閤記」をお忘れですか?大河ドラマ「黄金の日々」は、自由な商業活動を希求する物語でした。そういえば、密約を交わした徳川と武田が、空砲を撃ち合い、合戦をしているふりをしたという設定に、ものすごい非難がありました。私は「真田丸」で、上杉景勝と真田昌幸が密約を交わ
2023-07-04 01:22:37し、直江兼続が指揮した上杉軍が、真田軍と空砲を打ち合ったシーンを記憶しています。皆さん、憶えておられないのでしょうか?互いに密約を交わして、戦うフリをすることを「なれあい」といいますが、過去の大河ドラマでも採用された設定です。 あと、瀬名がお金を統一するという提案をしていました。
2023-07-04 01:22:57まさに荒唐無稽の極みとの非難が寄せられました。皆さんは、戦国大名間の取引を、銭などの少額貨幣の積み上げで行うという印象を持たれているのでしょうか。当時は、金・銀などを使用して、大口取引は展開されていましたので、お金の一つにするとするというのは、一種の比喩で、実際には秤量貨幣として
2023-07-04 01:23:12の金・銀を公正に量ることができる正確な秤を設定し、さらに地方の価値変動(これは当時の言葉で「田舎目」いなかめといいます)を把握し、換算することで円滑な取引が可能となります。豊臣政権期の東国はまさにこれが実行されていました(豊臣時代は、京目〈畿内の金銀価値〉と田舎目の変動の換算)。
2023-07-04 01:23:26まぁ、こうしたことも、ドラマの台詞で説明するのは難しいですよね。脚本家の古沢さんは、苦心されたと思います。少なくとも私は、同盟、盟約関係の積み重ねでこうした動きは形成できると判断し、脚色内容に同意しました。瀬名がなぜ希代の悪女と後世指弾されることになったのかという課題に、古沢さん
2023-07-04 01:23:39が自身の脚色によりドラマ上で回答をしたい、そしてそれがその後の家康に大きな影響を与えていることを描きたいと考えておられることは、私にも伝わりました。今回はそれを尊重しました。大河ドラマは、史実を忠実に描くのではなく、それを素材にした解釈であり、独自の人間ドラマです。それは歴史小説
2023-07-04 01:23:53となんらかわりはありません。もちろん、自分にはあわない、納得できないという方々がおられるのは、当然のことです。批判されることは、当たり前のことです。でも、私たちの仕事を貶める「根拠なき論難」はやはりこちらも傷つきます。こういう歴史上の背景やシステムが存在するので、ストーリーにうま
2023-07-04 01:24:10く落とし込むためにはどうしたらいいかを、ちゃんと考えていますよ。それが納得できないのは、仕方ないことです。もっと、面白いドラマ作りが出来るよう、制作陣の末席にいる一人として、これからも頑張っていきます。応援してくださっている皆さま、ありがとうございます。批判してくださる方々、意見
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