『とはずがたり』を読む
- tomokazutomokaz
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『とはずがたり』巻5は西へ船の旅。 明石の浦の朝霧に島隠れゆく船どもも…(243)。 この朝霧は地名ではなく「ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れゆく~」という古今集の歌を踏まえている。地の文が本歌取りをしているのである。この作品はそんな文章だらけなので注釈は元の歌の情報集になっている。
2023-09-15 11:54:07その次の文章「光源氏の、月毛の駒にかこちけむ心」もそうで、今度は源氏物語『明石』の「秋の夜の月毛の駒よわが恋ふる雲居にかけれ」を引いている。 また、漢文調の述懐の文にも古典が使われるが、叙述文は口語体というよりは和歌の文体なので本歌取りと省略が多いのである。
2023-09-15 12:14:11岩波文庫の玉井氏は亀山院による作者との行動について「明解を得ない」(p150)と書いている。 「ほかへはいかが」とて、御屏風後ろに、具し歩きなどせさせたまふ(154) のことで、光文社版も亀山院が彼女を屏風の後ろに連れて行ったことは訳しているが、他と違って「抱かれた」などの補足をしていない。
2023-09-17 21:10:09作者が後深草院崩御に際して詠んだ 「隈もなき月さへつらき今宵かな…」 に、久保田淳は西行の「かかる世に影も変わらず澄む月を…」との連想を示唆している。 西行は保元の乱に敗れた崇徳院のいる仁和寺を訪ねてこの歌を詠んだという。佐々木信綱『山家集』(岩波文庫182)の詞書にもそうある。
2023-09-17 21:25:21おほやけ、わたくし、 おぼえさせたまひて(263) は小学館版だけは おぼえさせたまへて となっている。 ここに謙譲ではなく尊敬を使うのは「おぼゆ」が受身で主語が高貴な人の場合であるとネットにある。 ここの主語は「持明院の御所」なので尊敬にすべきか。
2023-09-18 13:22:58二条は後深草院が病に倒れた時に、自分が身代わりになって死ぬように八幡大菩薩に祈るがそれも叶わず院は亡くなる。その四十九日の法要を伝える段(264p)で、証空が智興の身代わりに志願した話を伝えている。これは『宝物集』の話でネットに。widetown.cocotte.jp/jishuu/jishuu0… 単純化して今昔物語19-24にも。
2023-09-18 14:30:23今昔物語の話の現代語訳は sbgz.hateblo.jp/entry/2019/06/… ただし、証空の身代わりになった不動明王は出てこず、身代わりを名乗り出る僧が他になかった経緯など俗な話になっており。結局智興の病は大したことはなかったのに、安倍晴明は手遅れ医者だったのかなと思えるような話になっている。
2023-09-18 14:43:32『とはずがたり』には写経の話があちこちに出てくるが、五部の大乗経がその全体で、その中に 大集経 華厳経 般若経 涅槃経 法華経 が含まれるらしい。二条はあちこち出向いて写経するが、この部分の名前が出たり、全体の五部の大乗経が出たりで分かりにくい。崇徳院はこれの血の写経で有名。
2023-09-18 21:56:24この第五巻に「人丸講の式」というのが出てくる。これは光文社版は「人丸講式」(429p)と訳している。講式とは「美文調の漢文訓読体で、仏徳を説明して讃談する内容」とあるから、二条はこれで漢文調の美文の書き方を覚えたのかもしれない。
2023-09-19 21:18:32「この式を用ゐて、かの写し留むる御影の前にして行ふべし」の実例が古今著聞集の中にある(新体系注)。それはネットで見られる。例によって「やたがらすナビ」である。 yatanavi.org/text/chomonju/…
2023-09-19 22:06:33又の年の三月八日、この御影を供養して、御影供(みえいぐ)といふことを取り行ふ(岩波文庫270p)。 つまり翌年の嘉元三年三月八日ということだが、小学館版の年表(582p)は嘉元二年に入れている。
2023-09-19 22:17:47写経をするのにお金が要ったらしく、二条は親の形見も売ってしまう。 今は亡き跡の形見まで、飛鳥川に流し捨つるにやと思はれんこともよしなし(270) この注に、家を売りてよめる伊勢 飛鳥川淵にもあらぬ我が宿も瀬にかはりゆくものにぞありける と伊勢が家を売った歌が。瀬に変わるは銭に変わるだと。
2023-09-19 23:29:24さぞなげに昔を今と偲ぶらむ 伏見の里の秋のあはれに(282p) さぞなげには「さぞな」「げに」らしい。
2023-09-20 22:40:59最初に戻ると くれ竹の(=枕詞)ひとよに春の立つ霞 これがもう五七五の和歌の前半であり、しかも本歌取りである。地の文は和歌の文体なのである。
2023-09-21 10:20:37次の文 今朝しも待ち出でがほに(=様子で)花を折り(=着飾り)匂ひを争ひて並み居(=並んで座る)たれば にはもう主語(後深草院の女房たち)の明示がない。和歌なので分かっていることは省略されるのである。
2023-09-21 10:31:49次に二条の着ている服装の描写である。 莟紅梅(つぼみこうばい)にやあらむ、七つに、紅(くれなゐ)のうちき この「うちき」を小学館版は「袿」それ以外は「打衣」としている。「七枚重ねの袿の上に、打衣、表着、唐衣を着重ね、袿の下に小袖」(新大系)、光文社版はこれを採用。
2023-09-21 11:03:32次は儀式の話で、「今日の御薬」。この「御」は単に丁寧に言っているのではなく、高貴な人のなさることという意味あいが来る。例えば寝は「御寝」、夜は「御夜」、どちらも「おんよる」で高貴な人がおやすみになること。 ここは後深草院がお屠蘇をお召し上がりになる儀式のこと。
2023-09-21 11:23:39「御所の御土器(かはらけ)を大納言に賜はすとて」を小学館版は「下賜」と訳し、自分の所持品を家来にプレゼントしたととっているが、新大系は「一組の盃を回すのである」と注している。つまり、日本の神前結婚式のように何枚も盃を重ねたものを、今度はお前が飲む番だと回したことになる。
2023-09-21 13:12:37一の二 雪の曙からのプレゼントの最初の「紅の薄様八つ」の「薄様」はこの作品の中では他はすべて字を書く紙のことなので、ここも紙だろう。平包みが風呂敷なら包み紙ではなく、ここも字を書く紙が八枚ということか。
2023-09-21 13:47:38ここで新大系の注を見ると、西園寺実兼は二条に正月の贈り物をしたこの時、すでに息子実衡がいると書いてある(ネットでは息子の名前は公衡で実衡はその子となっている)。すると光文社版の訳のような純愛の印象は覆り、二条は妻子ある男からの贈り物を喜んだことになる。
2023-09-21 14:33:35[一の六](小学館版) むすぶほどなき短夜は 飽かぬなごりなどはなくとも 二条の思いを表す言葉が和歌を踏まえているだけでなく、地の文も二人の会話も注釈に指摘はなくても検索すると「結ぶほどなきうたたねの夢」とか「散る花の あかぬ名残のなぐさめに」とか出てくる。あらゆる言葉が和歌なんだな。
2023-09-23 14:00:36『とはずがたり』には御所の名前が色々出てきてややこしいが、 冷泉富小路御所はもとは民間人(西園寺実氏)の家だったと紹介しているページがある。場所や由来に詳しい。 ktmchi.com/SDN/SDN_063-2.…
2023-09-23 16:02:57鎌倉時代の御所は、我々が日本史で学んだ京都の真ん中の御所ではなく、火事で再建する力がなくなり、外戚の邸宅を御所(=さとだいり)にしていた。今の京都御所もその里内裏の場所であり、本来の平安時代の御所とは違う。だから、『とはずがたり』にはあちこちの御所が言及されるというわけ。
2023-09-23 20:02:32この時代の建築様式である寝殿造りは簾や几帳などカーテン状のもので部屋を仕切っていたが、それは当時は今より暖かく海水面も現代より50センチ高かったほどだからで、その後寒くなって今のような障子で仕切るようになったためだと。 ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%9D…
2023-09-23 20:37:15ktmchi.com/SDN/SDN_083.ht… このサイトでは角御所、常御所、聴聞所、道場など「とはずがたり」に出てくる場所の名前が具体的な図面として出てくる。常御所は主の居場所、角御所は門が別の二世帯御殿の一つという位置づけ。僧侶のための場所も屋敷の中にあってそれが聴聞所と道場だと。
2023-09-23 22:15:55