御義口伝、百六箇抄等の日興の真筆が残らない口伝の信憑性に関する考察

御義口伝や百六箇抄は日蓮真筆や歴史的根拠やに照らして、信頼たり得る御書であるか否かを論じてみました。
2
komekome39 @komesandazo

面白いネタを思いついた。御義口伝とその信憑性。次はこれに関してつ呟いてまとめてみるかな。

2023-09-18 10:59:12
komekome39 @komesandazo

どういう方向で議論するかというと、御義口伝は正しいという議論ではなく、学会教学を是が非でも否定したいアンチ君たちの議論に意図的に乗っかり、実はこの御書は偽書ではないかと、自分の証明したいことと逆のことを仮定してしまうのだ。下記のまとめはこの手法を用いた。 togetter.com/li/1235285

2023-09-22 21:31:43
komekome39 @komesandazo

自分の証明したいことと逆のことを仮定する論法は、自分の証明したいことが真である場合、非常に強力な議論になる。科学者は必ず、自分が仮定したことの逆を証明しようとするものだ。そして、どうやってもその仮定が壊せない場合は、その仮説は真である可能性が高くなる。

2023-09-22 21:36:32
komekome39 @komesandazo

この論法に従い、御義口伝は日興伝などではなく、何者かによって捏造された偽書であると仮定してみよう。そうすると、この書物は大聖人や日興上人よりも教学が劣る者によって捏造されたものであるから、当然その内容は十大部のような信頼おける御書よりも劣るものでなければならない。 続

2023-09-22 21:41:10
komekome39 @komesandazo

御義口伝の内容は多岐にわたるが、その中で最も重要なのは、当然寿量品に関するものである。そこに記述された内容と、下のまとめのような真筆御書から導き出された内容を比較してみれば良いのだ。そうすれば、どの程度の教学力を持った者による執筆であるかが判明する。 togetter.com/li/2225312

2023-09-22 21:48:03
komekome39 @komesandazo

先ず初めに、この章の品名が「南無妙法蓮華経如来寿量品第十六」となっており、この品名のみ南無が頭についていることに注目しなければならない。更に次のようにある。「この品は日蓮が身に当たる大事」と。身に当たる大事とは何か?実は全く同じことを述べられた真筆が存在する。それがこれ。 続

2023-09-23 23:24:06
komekome39 @komesandazo

「観心の法門少少之を注して大田殿・教信御房等に奉る、此の事日蓮身に当るの大事なり之を秘す」観心本尊抄送状 観心というものが本尊となることは以前のまとめで述べたが、それが大聖人の身に当たるというのは、この御書は即ち、ご自分の仏の生命に関して述べられたものだと拝すべきだ。 続

2023-09-23 23:28:08
komekome39 @komesandazo

即ち「南無妙法蓮華経如来寿量品第十六」というこの品名は、南無妙法蓮華経 日蓮 と大書された曼荼羅を意味していると考えるべきだ。この分の後には、「頭に南無妙法蓮華経を頂戴し奉る時名字即なり」とあり、頭に題目を頂戴するというのは御本尊を恭しく賜ることを意味するが、その背後には、 続

2023-09-23 23:35:39
komekome39 @komesandazo

以前のまとめで議論した、神力品に説かれる宝塔の下の娑婆世界で説法する仏という意味合いが秘められていると解釈しても良いのではないかと思う。即ち、南無妙法蓮華経 日蓮 である。「日蓮が身に当る大事なり神力品の付属是なり」。この言葉の背後にはこうした意味が隠されていると推測可能だ。

2023-09-23 23:45:33
komekome39 @komesandazo

続きにこうある。「如来とは釈尊・惣じては十方三世の諸仏なり別しては本地無作の三身なり、今日蓮等の類いの意は惣じては如来とは一切衆生なり別しては日蓮の弟子檀那なり、されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり」 これに相当する箇所が観心本尊抄にある。 続

2023-09-23 23:48:37
komekome39 @komesandazo

「我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり。」 ここでいう古仏は釈迦にあらず。総じては一切衆生、別しては大聖人とその弟子の生命に内在する仏界の比喩表現であり、これは、先程引用した御義口伝と全く同じ内容と考えて間違いないだろう。

2023-09-23 23:51:56
komekome39 @komesandazo

更に、第廿二自我偈始終の事にこうある。 「自とは始なり速成就仏身の身は終りなり始終自身なり中の文字は受用なり、仍つて自我偈は自受用身なり法界を自身と開き法界自受用身なれば自我偈に非ずと云う事なし」 又宝塔品にも「妙法蓮華の見なれば十界の衆生・三千の群類・皆自身の塔婆を見るなり」 続

2023-09-24 23:46:40
komekome39 @komesandazo

とある。即ち御義口伝の作者は、寿量品に説かれた釈尊が、実は我々の生命に宿っていることを深く理解していたということだ。 観心本尊抄に述べられている「我等が己心の釈尊」や法華経信解品の長者窮子の喩え等を完全に理解していた人物であるということが言えるな。

2023-09-24 23:52:04
komekome39 @komesandazo

「妙法蓮華の見なれば十界の衆生・三千の群類・皆自身の塔婆を見る」との御義口伝だが、この三千の群類とは自分の外にいる他人なのか?それとも自分の生命の十界の己心の群衆なのか? この御義口伝を読む限りでは、自分の外の衆生であり、同時に自分の内の衆生と解釈する他ない。 真筆御書はどうか?

2023-09-25 23:24:06
komekome39 @komesandazo

観心本尊抄の「我等が己心所具の菩薩界」、「我等が己心の声聞界」、「我等が己心の釈尊」等は自分の内なる生命の衆生を指している。一方で真筆が残されている千日尼御返事には、「故阿仏房の聖霊は今いづくにか・をはすらんと人は疑うとも法華経の明鏡をもつて其の影をうかべて候へば霊鷲山の 続

2023-09-25 23:29:04
komekome39 @komesandazo

山の中に多宝仏の宝塔の内に東むきにをはすと日蓮は見まいらせて候」と説かれている。「(故阿仏房は)多宝仏の宝塔の内に東むきにをはす」とは即ち、阿仏房は死後、御本尊の中の宝塔の衆生の一人になったということを意味している。即ち自分の外の他人だ。 この御本尊とはどこに存在しているのか?

2023-09-25 23:33:41
komekome39 @komesandazo

宇宙全体という他ない。「題目に万法を含む」四信五品抄 と御書にあり、これは即ち、題目が宇宙全体に瀰漫する以外にはない。宇宙生命論に関しては、詳しい文証を用いた議論はここでしておいた。この話は長くなりすぎるのでここでは省略する。 続  togetter.com/li/2151216

2023-09-25 23:37:12
komekome39 @komesandazo

❌題目が宇宙全体に瀰漫する以外にはない ⭕️題目が宇宙全体に瀰漫していると解釈する以外にはない 脱字&誤字訂正。

2023-09-26 22:06:39
komekome39 @komesandazo

一方でこの御本尊とは自分自身の生命の内部にも存在する。 「無始の業障忽ちに消え心性の妙蓮忽ちに開き給う」忘持経事 がその文証にある。 己心の釈尊、己心の菩薩そして、その中央にある「心性の妙蓮」=南無妙法蓮華経がそれを表している。 かくして、宇宙即我、我即宇宙という生命哲学が 続

2023-09-25 23:42:22
komekome39 @komesandazo

「妙法蓮華の見なれば十界の衆生・三千の群類・皆自身の塔婆を見る」の1行から導き出されてしまう。この筆者はこうした生命哲学をちゃんと知っていた。だからサラリとこうしたことを述べることができたということだ。更にいうならば、自身の塔婆とは題目の宝塔のことだが、 続

2023-09-25 23:46:38
komekome39 @komesandazo

これは自分自身の内に見ることもできるし、外に見ることもできる。外にある場合は、法華経では娑婆世界の上の虚空に浮かんでいると表現されている。即ち、南無妙法蓮華経 〇〇 である。「頭に南無妙法蓮華経を頂戴し奉る時名字即なり」はそれを仄かしている。

2023-09-25 23:57:59
komekome39 @komesandazo

宝塔は自分の外にあると同時に内にあるというのは極めて理解し難い概念ではないか? 法華経の神力品を読む限り、そうなってしまう。宝塔の左右に釈迦・多宝が並び、その二仏と共に虚空の十界が一斉に、宝塔の下の娑婆世界で法華経を説く釈迦仏を礼拝している。南無釈迦牟尼仏と。 続

2023-09-26 22:13:55
komekome39 @komesandazo

更にいうなら、この宝塔の下の娑婆世界で法華経を説く釈迦というのは法華経の文上であり、文底では日蓮大聖人となる。「南無釈迦牟尼仏・南無妙法蓮華経」(撰時抄)とは文上・文底の法華経を表していると解釈すべきだ。この虚空会の儀式というのは、時間と空間を超越した世界と考えられるな。 続

2023-09-26 22:18:37
komekome39 @komesandazo

話を御義口伝に戻そう。この御書の一部を、真筆御書と比較して検証してみたが、特に矛盾した箇所があるわけではなく、その内容たるや、あまりにも高度過ぎるのだ。仮にこの御書が大聖人か日興上人以外によって作成されたのであれば、一体誰が、どこで、何のためにという疑問が出てくる。 続

2023-09-26 22:23:00
komekome39 @komesandazo

御義口伝は偽書と考える人々の大半は、日蓮本仏論を正当化するために、誰かがこの御書を捏造したと考えているようだが、これほどの書を作成できる人物であれば、御書の十大部さえあれば、簡単に釈迦本仏論を完膚なきまでに破折できてしまうだろう。極論すれば、観心本尊抄のみで日蓮本仏論は証明可能だ

2023-09-26 22:26:37
1 ・・ 7 次へ