@Gotama7の語る「エクイティ」概念やイギリスの司法制度など

英米法を理解するためには、大陸法にはない概念である「エクイティ」ってのが避けて通れない。これがなかなかやっかいで、一筋縄ではいかない。かっちりした成文法重視の国で学んだ身からするとこのエクイティというのは一種の妖怪のように映
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田上嘉一@国民を守れない日本の法律 @Gotama7

英米法を理解するためには、大陸法にはない概念である「エクイティ」ってのが避けて通れない。これがなかなかやっかいで、一筋縄ではいかない。かっちりした成文法重視の国で学んだ身からするとこのエクイティというのは一種の妖怪のように映る。

2011-12-05 08:19:57
田上嘉一@国民を守れない日本の法律 @Gotama7

エクイティというのは、要は衡平を重視するための理屈であって、コモンローを厳格に適用たら不都合が生じる場合に衡平の原則から補完・修正するためのものだそうだ。裁判官の裁量がやたらと大きいのではじめは違和感がある。

2011-12-05 08:20:14
田上嘉一@国民を守れない日本の法律 @Gotama7

日本で言えば、信義則とか、権利濫用とか、公序良俗とかがあてはまるのだろうが、もっと複雑多岐に渡っており、より細かく理屈が成り立っているし、確立したものについてはもうちょっと予測可能な印象がある。

2011-12-05 08:20:50
田上嘉一@国民を守れない日本の法律 @Gotama7

もともとエクイティが発展した歴史的経緯としては、十字軍遠征まで遡るらしい。遠征中に領地を離れる際に、管理を誰かに委託して戦地に赴いたのだが、その際、帰ってきたら土地を返す約束つきで、つまり決定的な権利は留保したまま譲渡したのである。

2011-12-05 08:20:59
田上嘉一@国民を守れない日本の法律 @Gotama7

ところが、いざ十字軍から帰ってみると、返却を拒む輩が多かった。コモンローの裁判所はこの譲渡についての約束ごとの有効性を認めず、多くの騎士が土地を失う危機に晒された。したがって彼らは、王様に泣きついて、王様は大法官に処理を命じたわけである。

2011-12-05 08:21:10
田上嘉一@国民を守れない日本の法律 @Gotama7

大法官は、自らの法廷を開いて(エクイティ裁判所)、衡平の観点から、信託制度を認めた。だから、エクイティは信託とともに成立したらしい。日本のようにエクイティはないが信託制度があるというと、イギリスの法律家はちょっと奇妙に感じるようだ。

2011-12-05 08:21:20
田上嘉一@国民を守れない日本の法律 @Gotama7

ちなみに独占禁止という意味でつかわれるアンチトラストというのは、19世紀に信託制度を駆使して、株式が管理されたことに基づくらしい。

2011-12-05 08:21:28
田上嘉一@国民を守れない日本の法律 @Gotama7

イギリスでは1870年代のJudicature Actによって、コモンローとエクイティが統一され、同一の裁判所で手続を行うことが認められ、抵触する場合にはエクイティが優先することなどが決められた。

2011-12-05 08:21:35
田上嘉一@国民を守れない日本の法律 @Gotama7

シティの高等法院にある、チャンスリー・ベンチ(衡平部)というのはエクイティ裁判所の名残である。ちなみに最寄の地下鉄駅はチャンスリー・レーン。

2011-12-05 08:21:42
田上嘉一@国民を守れない日本の法律 @Gotama7

あと、イギリスには法務省と司法省(刑事専門)とがある。この法務省の長官がいわゆる大法官(Lord Chancellor)で、かつては、司法の長と上院議長を兼務していた。つまり三権のうち2つの長だった。なお、カンタベリー大主教に続く第2位の人臣で、聖職者でない俗人では最高位。

2011-12-05 08:22:37
田上嘉一@国民を守れない日本の法律 @Gotama7

かつては、聖職者が大法官を務めることが多かったが、次第に法律に通暁した専門家が大法官に就任するようになった。第1号はトマス・モアだという説がある。ちなみにしばらく貴族が就任していたが、ブラウン内閣以降は庶民院議員が就任している。

2011-12-05 08:22:46
田上嘉一@国民を守れない日本の法律 @Gotama7

大法官は最高位の俗人なのに、現在は下位の首相から任命されるという奇妙な関係にある。なお大法官の権限が肥大化したために、財務府、大蔵府が別個に切り出された(この2つは別物)。

2011-12-05 08:23:07
田上嘉一@国民を守れない日本の法律 @Gotama7

1720年代のウォルポールが最初の首相だが、そもそも「首相」というのは俗称で、正式には「第一大蔵卿(First Lord of Treasury)」である。当時、王の下に政府があり、大法官、宰相、第一大蔵卿の三階層の大臣がいた。

2011-12-05 08:23:28
田上嘉一@国民を守れない日本の法律 @Gotama7

大法官は基本的に位階の高い貴族がなる慣習であり、宰相は内政・外交・貿易軍事など国王大権に直属する政務を取り扱う文字通り王の秘書だった。それに対して、第一大蔵卿は、雑務を取り扱う比較的しょぼい役職だった。

2011-12-05 08:23:36
田上嘉一@国民を守れない日本の法律 @Gotama7

1688年の名誉革命以後、議会が相対的に強くなったため、王と議会が対立すると、国政はスタックした。なので、第一大蔵卿が預かった財布を駆使して、議会反対派を買収するために奔走しているうちに権限が拡大したわけだ。

2011-12-05 08:23:44
田上嘉一@国民を守れない日本の法律 @Gotama7

1688年の名誉革命以後、議会が相対的に強くなったため、王と議会が対立すると、国政はスタックした。なので、第一大蔵卿が預かった財布を駆使して、議会反対派を買収するために奔走しているうちに権限が拡大したわけだ。

2011-12-05 08:23:44
田上嘉一@国民を守れない日本の法律 @Gotama7

内閣というのは、歴史的には王(女王)の私的な諮問機関でしかないので、首相の指名には国会の決議は不要である。選挙で第一党となった党の党首が、バッキンガム宮殿におもむいて王から組閣の命令を受ければそれで首相に就任することになる。戦前の日本と同じ。

2011-12-05 08:23:52
田上嘉一@国民を守れない日本の法律 @Gotama7

無論今では議院内閣制なので、内閣は議会に対して責任を負っている。議会が信任案を否決するか、不信任案を可決させるか、それとも重要法案を否決した場合には黙示の不信任となり、首相は辞任するか議会を解散しなければならない。ただし貴族院にこの権利はない。

2011-12-05 08:24:13
田上嘉一@国民を守れない日本の法律 @Gotama7

ちなみにドイツの首相は、Bundeskanzler(英語ではChancellor)と呼ばれ、Prime Ministerではない。これは、プロイセン時代からカンツラーはあくまで宰相であって、内閣中の筆頭大臣ではないという歴史的経緯の違いなのかな。ビスマルクとか。

2011-12-05 08:24:23
田上嘉一@国民を守れない日本の法律 @Gotama7

Wikiによると、この Kanzlerというのは古フランス語の chancelier が語源で、神聖ローマ帝国初期のドイツでは、宮廷文書の管理などを通じて帝国行政に関与していた聖職者のうち、司教はその長として「書記官長」(Kanzler)と呼ばれていた、とある。

2011-12-05 08:43:52
田上嘉一@国民を守れない日本の法律 @Gotama7

選帝侯でもあったマインツ、ケルン、トリーアの三司教は、のちに、帝国内の各3王国(ドイツ、イタリアおよびブルグント)の大書記官長(Erzkanzler)に任じられ、それぞれ、「ドイツ大書記官長」、「イタリア大書記官長、ガリア=ブルグント大書記官長と称するようになった。

2011-12-05 08:44:46
田上嘉一@国民を守れない日本の法律 @Gotama7

さらにルクセンブルグ家のカール4世による金印調書によって、マインツ大司教が皇帝選挙の主催者とされ、選帝侯の筆頭に位置づけられたらしい。

2011-12-05 08:44:54
田上嘉一@国民を守れない日本の法律 @Gotama7

そのうち、プロイセンやその他の領邦国でも宰相がおかれるようになり、ビスマルクが、北ドイツ連邦形成に際してBundeskanzler(連邦宰相)、ドイツ統一に際して Reichskanzler(帝国宰相)と称した。

2011-12-05 08:45:00
田上嘉一@国民を守れない日本の法律 @Gotama7

つまり、イギリスでもドイツでも、国王の私設秘書・相談役としては、宰相(チャンセラー、カンツラー)がいたのだが、イギリスの場合は諸事情によって第一大蔵卿の権限が拡大した、とこういうわけだ。

2011-12-05 08:45:08
田上嘉一@国民を守れない日本の法律 @Gotama7

だいぶエクイティから離れてしまった。

2011-12-05 08:45:47