ロゴスとか空気とか神とかごちゃごちゃ考えた形跡

キリスト教徒が「空気」についてつらつら考えた記録。
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Hokuto Ide @Hokuto_Ide

僕は個人的には理屈通りに物事が進まないとスッキリしない体質だし、何でもかんでも言語化、明文化されてないと居心地が悪く感じる。空気や世間の言外の圧力はクリスチャンになる前から相当嫌悪していた。キリスト教に出会い、渡米し一言ごとにはっきり定義を共有した言葉で全部表す生活は性に合った。 twitter.com/Takamark1615/s…

2023-10-23 09:52:55
田村隆明@土佐の高知のバイブルチャンネル @Takamark1615

凄くざっくりとまとめると 日本人のほとんどが無自覚に入っているのは、 『日本教』 御神体=世間様 経典=空気  この文章が書かれていない「空気」は読まない者を排除するという意味で強力に日本人を従わせる。  ではなぜこの「空気」という経典は文章化されないかというと、文章化した瞬間に、

2023-10-22 20:12:37
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

物理学が好きなのも「物」事の「理」屈を可能な限り正確な言語、数学という言語で表し、実験で仮説という「理屈」通りに物事が進むのかどうか厳格に確かめる営みに自分の性格との親和性を覚えたからかもしれない。物を投げれば放物線を描くという理屈通りに現実の運動が生じるというのは気持ちが良い。

2023-10-23 09:59:58
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

物体の運動、電磁気、素粒子、重力等の諸法則は人間の醸し出すその場の「空気」の影響でコロコロ変わったりは絶対にしない。その場の空気がどうであれ物を落としたら下に落ちる。その場の空気がどうであれキリスト教の神が正しいと述べた物事は正しいのも、これと似た絶対性を帯びているように感じる。

2023-10-23 10:13:06
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

屁理屈という言葉があるように「理屈」という言葉は日本語の言語空間ではネガティブな文脈で使われることが多いだろう。ロゴスは神であった。ロゴスは人となった。というのを理屈は神であった。理屈は人となったと訳したら日本文化的にはウケないに違いない。ロゴスは「ことば」とか「言」と訳された。

2023-10-23 10:18:24
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

ただ、論理を意味するロジックが、ギリシア語のロゴスから派生した語であるように、ロゴスという語には人間の醸し出す空気に全く配慮しない論理性、無条件性、絶対性が含まれているように思える。そのロゴスが人となったのがイエス・キリストだったし、イエスは空気を読まず、空気をぶち壊しまくった。

2023-10-23 10:40:37
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

空気の読めない人というのは確かにいる。これと表面的には似ているが、空気は読めるし読んだ上でその空気が神の道から外れる場合に限って、あえて空気を壊して神の道を選ぶ選択のできる人もいる。聖書を読む限りイエスは後者だったように自分には思える。例えば神殿税の件では空気を優先したのだろう。

2023-10-23 12:24:54
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

空気に従うことがどんなケースでも悪とはならない。だが同時に空気に常に従っていればどんなケースでも善になるとも限らない。神の前に善を為す限り空気に従うことは善であろう。問題は神の前に悪である行為を為す空気を、村八分になるのを承知でなお壊せるのか。人よりも神を畏れる選択を取れるかだ。

2023-10-23 12:34:47
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

あなたが本当に畏れるもの、あなたが至高の権威として従うもの、それがあなたにとっての神だ。空気を壊すことを恐れて神の道を外れるなら、空気が自分にとっての偶像であったということだろう。心は燃えていても肉は弱かった時、悔い改め、次は空気ではなく神に従えるように力をくださいと祈りたい。

2023-10-23 12:42:58
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

礼拝や奉仕や献金や伝道をしても心から進んで喜んで神に喜ばれたくてではなく「あの場の空気からしてせざるを得なかった」のでするなら傍から見て「神のしもべ」のように見えても実質は「空気のしもべ」だ。むしろ、白い目で見られても「心に嘘をつけない」と空気を壊し断るほうが神の前に誠実だろう。

2023-10-23 14:15:23
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

信仰心も行為も心から熱心であるなら最高だろう。ただ空気に押され義務感や周囲の目を気にして行うぬるい行為を主に捧げるくらいなら、自分の心に正直になり空気を壊して「できない」と断ってしまう冷たさを、イエスは願うのではないか。「むしろ、冷たいか熱いかであってほしい」と言われたのだから。

2023-10-23 14:23:07
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

自分の心に正直になり神から離れる人間を、人間は村八分にしたとしても、神は帰って来るのを待っておられる。そこに神の愛がある。神はロゴスである。しかし同時に神は愛であられる。それを体現したのが十字架で死に復活したイエス・キリストだ。その生き方、教え、死に様、復活がそれを物語っている。

2023-10-23 14:31:56
Hokuto Ide @Hokuto_Ide

神の義のために空気を読まなくても、空気を壊しても、その結果周囲の者たちから社会的に抹殺されても、神は自分を復活させてくださる力があると信じるのか。それでも神は自分を愛し見捨てないと信じるのか。そのように自分を愛してくださる神だと信じるのか。そう信じたイエスに倣って自分も生きたい。

2023-10-23 14:43:24