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貴種の一族に生まれながら、生涯の大半を戦野に過ごした異端の皇族
“ 親王は御幼少の折から御出家せられやがて比叡山天台座主となられましたが、時代の波は親王にも及び、還俗して宗良親王となり、戦陣の中へ身を置かなくてはならなくなったのです。文化人的素養の強かったと言われる親王だけに、その苦労は想像するに難くありません。” ※井伊谷宮 公式HPより一部抜粋 ↓
引佐 龍潭寺 井伊谷宮に宗良親王墓所 pic.twitter.com/xkIcE1Evx9
2023-10-22 12:52:55「思ひきや 手もふれざりし 梓弓 おきふし我が身 慣れむものとは」 後醍醐天皇の子宗良親王の歌で、『新葉集』に収録されている。 意味は、「思っただろうか?弓などに縁のなかった人生なのに、今は寝所に置き、弓が手がなじむようになるとは」といった具合。
2018-06-07 23:38:44宗良親王は後醍醐天皇の子として生まれ、出家して妙法院に入り、長じて天台座主になるなど、当初は武具とは無縁の人生を送っていた。 しかし建武の新政の後に父後醍醐帝が吉野に移ると、北朝方と争う為に地方に出て戦わざるを得なくなった。その流転の人生を回想して詠んだものである。
2018-06-07 23:40:22漫画『宗良親王物語』には後醍醐天皇が親王に向かって、「そなたは、和歌が好きだった亡き母(二条為子)に似ている」という場面がある。 親王が生涯に渡り和歌を続けたのは亡き母に会いたかったため、そして戦い続けたのは父との約束を果たすためだったのではないだろうか。iinoyaguu.or.jp/mangamunenaga/
2019-07-09 07:18:01井伊谷宮で「歌人 宗良親王物語」のマンガ買いたくなる…! iinoyaguu.or.jp/mangamunenaga/ twitter.com/shinmeitorii1/…
2023-10-30 10:19:04寺社の境内によくある教訓を説いた看板かと気軽に読んでたら、後半 「ぉぉおう?!」 となった看板 pic.twitter.com/jX6AHgjqwW
2023-10-29 20:26:12戦争に明け暮れながらしっかりと歌も残して李花集という歌集も編んでるんですね、宗良親王。李花か。スモモの花だね。スモモちゃんって呼んでいい? #あかん
2023-10-30 01:15:43