若狭湾大浦半島・成生漁港の船小屋

船屋・船小屋の旅その3
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加藤郁美 @katoikumi

路線バスは田井が終点なので、そこから徒歩で成生(なりう)漁港へと向かいました。陽射しは暖かいけれど、湾の斜面にから落ち葉が巻き上がるすごい風。大きな猿をみかけるなど。そこに立派な黒瓦を戴いた成生の家々の姿が現れたときは、ほんとワクワクしました。 pic.twitter.com/R5ocfIz62z

2021-11-13 23:55:50
加藤郁美 @katoikumi

成生漁港の船小屋「7軒分(シチケンブン)」大正3年に建てられた連棟式で「11戸の共同利用」。渡邉裕之氏のによると「明治36年に成生ではいち早く漁業協働組合を設立し、39年に大敷網を導入した」「昭和20年代まで、定置網は土地の有力者の金で行うものであり、組合自営のものはここ成生と伊根のみ」 pic.twitter.com/OWQcOAYlz3

2021-11-14 00:15:12
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加藤郁美 @katoikumi

成生の船小屋の印象は「生きてる船小屋」😃ほぼ軽トラ車庫になっていたのですが、若狭湾では船は漁だけではなく、移動や輸送の脚だったのだから、まさに現役の船小屋の姿がなのでしょう。 pic.twitter.com/FQdiQyx63i

2021-11-14 00:23:40
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加藤郁美 @katoikumi

「多くの漁村では、造船用材を適地適木の原理に従い漁村周辺に植林する習慣がある」「成生や伊根では、土台は海水に違い椎が使われ、柱や梁材は松や栗を手斧で削ったものが使われている。どちらも太くて丈夫な材である」(畔柳昭雄「船小屋という水辺建築の魅力」/『船小屋』p.43-44)。 pic.twitter.com/ixqDzVOE7x

2021-11-14 00:38:59
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加藤郁美 @katoikumi

たしかに!成生漁港の裏山にある三柱神社には、たくさんの椎の実が落ちてました。船や、船小屋を建てるための木材もちゃんと周りで育てている。成生はほんとに自立した豊かな協同体なんだなあ。 twitter.com/katoikumi/stat… pic.twitter.com/jGUTdI6Hpp

2021-11-14 00:58:03
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加藤郁美 @katoikumi

成生もまたブリ漁で栄え、しかも漁業協働組合で所有した定置網によって、皆が等しく豊かになった漁村(渡邉裕之氏)。立派な瓦葺きのほかに目を惹くのが鬱金色の砂壁の土蔵群でした。田井から歩いてきた時、鬱金色の砂とエメラルドグリーン海面の取り合わせが美しい浜を見たけれど、この砂も適地適砂? pic.twitter.com/a4jbc1cFSj

2021-11-14 01:19:33
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加藤郁美 @katoikumi

潮風に洗われた木材と、鮮やかな鬱金色の砂壁の組み合わせ、ほんと美しかった☺️ pic.twitter.com/tXMgp9Gscw

2021-11-14 01:23:17
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加藤郁美 @katoikumi

砂壁に捺された小さな手形。愛し子の記録でもあり、家の繁栄を守る座敷童の印のようでもあり…。 pic.twitter.com/phprzJdZfc

2021-11-14 01:27:19
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加藤郁美 @katoikumi

が、成生という協同体の底力に驚かされたのは「ホンドオリ」を上がった鳴生神社に足を踏み入れてからのこと。まず「頌功碑」に記された水道事業。昭和13年6月に、漁業協働組合で水道建設が発議され、同年12月に竣工。それにより生活用水の不便、そして火災延焼の恐怖から人々は解放されたのでした。 pic.twitter.com/Tq6ASHi58o

2021-11-14 02:01:33
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加藤郁美 @katoikumi

鳴生神社ふたつ目の驚きは三十六歌仙。軒の下に、三十六歌仙の額がびっしりと掛けられていました。 pic.twitter.com/DtYB9nubPP

2021-11-14 08:53:28
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加藤郁美 @katoikumi

そして祭壇の両側には皇典講究所(国学院大学の前身)が明治41年に刊行した「宮中三殿並三大祭典御圖」4枚組。rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb0002383… pic.twitter.com/bW4ETtL1ck

2021-11-14 09:10:28
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