街道歩きを始めて15年、原点に立ち返って最初に歩いた道をもう一度歩いたら、あの頃には見えなかった景色が広がってた←最終回6日目
- KumanoBonta
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三留野は三殿や三富野と表記されることもあります。 「みどの」の由来は諸説ありますが、木曽氏の居館があった「御殿」からとも、接頭語のミ+タナ(棚)の転訛とも。「棚」は河岸段丘が棚のように見えることから付く地名だそうです。 たしかにここは河岸段丘だね。 pic.twitter.com/LY5WTJGmw9
2023-11-03 14:18:00三留野には木曽檜の貯木場があります。 これ全部木曽檜だと思うとすごく贅沢な気分。風向きによっては檜の香りが強烈に漂ってくるのよ。ここに住んでたら窓を開けてるだけで新鮮な檜の香りのお風呂に入れるってことだよ。すごくうらやましい。 pic.twitter.com/Q3Y1OstkHP
2023-11-03 14:33:00きみははたらくくるまのすきなフレンズなのかい? じゃあこの動画をとくべつにみせてあげるよ。 pic.twitter.com/WcRljWgE3n
2023-11-03 14:34:00南木曽駅でついにゴール
南木曽駅に到着。 この駅は開業当初は三留野駅でしたが、昭和36年に読書村吾妻村田立村の合併で南木曽町が発足後、昭和43年に駅名が改称されました。 ちなみに読書村が明治7年によがわ(与川)・みどの(三留野)・かきぞれ(柿其)の三村合併で付けられた合成地名なのは有名な話ですね。 pic.twitter.com/ISgfsCVhhX
2023-11-03 15:03:00これにてぼんたの木曽路歩きはゴールなのです。 最後は南木曽駅前のカフェで完歩いおにぎり&味噌汁。具は塩昆布と塩鮭でした。今年いちばん体に沁みた味噌汁でした。 pic.twitter.com/2vptoEwOPo
2023-11-03 15:28:00「木曽路なのに妻籠と馬籠は歩かんのかいっ」と思われるかもしれませんが、2年に1回は歩いてるのでまあいいかなと思いまして。 代わりに7年前にガチ連で歩いたやつを置いときます。 togetter.com/li/1057024
2023-11-03 15:30:00三留野から先の木曽路(妻籠と馬籠)は、明治25年に國道七號(現在の国道19号)の賤母新道が開通したことで使用されなくなり、寒村集落になってしまいました。 その80年後に、地元住人が一念発起して昔の町並みを再現、日本有数の観光地として再生したのはご存知の通りです。めでたしめでたし。
2023-11-03 15:35:006日間の木曽路歩きをスーパー地形でたどりました。 谷底と峠しか歩いてないから宿場通過点が分かるようにキャプション入れたよ。 pic.twitter.com/PBNBJrMbmG
2023-11-03 15:58:00そういえば木曽路は全て山の中なのに、峠越えは鳥居峠と馬籠峠しかないことに今さら気づいた。 え、木曽路ってめっちゃ歩くの楽やん(他の街道に比べたら)
2023-11-06 08:58:36あとがき
15年前に街道歩きを始めたときは、自然の景色と時代を感じる町並みが楽しめる全てだと思ってた。今回同じ道を歩いた目的は、当時と感じるものに何か変わったものはあるかということ。基本は変わってないけど、とにかく楽しめるものが増えすぎて全然先に進めなくなった気がする。
2023-11-03 16:41:00昔は地図すら満足に見ずに歩いてたけども、この15年間にいろいろ自分で調べたり詳しい人に教えていただいたりと、知識が増えたからこそ楽しめるようになったんだと思う。生活には役に立たなくても心はずいぶんと豊かになったと思うよ自分では。
2023-11-03 16:42:00おしまい。
おまけ: 木曽路はいつできた?
一般に「江戸時代に中山道が整備されるまでは東山道を通っていた」と言われています。東山道は現在の中央自動車道とだいたい同じルートです。
しかし実際は、東山道と同じくらい古くから木曽路が存在していました。最古の文献は続日本紀の「大宝二年(702年)十二月 美濃国岐蘇の山を開く」だそうです。
それまで東山道神坂峠の険しさに苦労していた人たちが、あるとき「あれ、ちょっと険しくても木曽谷経由のほうがかなり近くね?」と気づいてしまったのが始まりとされています。
現在でもいたる所に「木曽古道」の看板があります。全てが整備されているわけではないので歩くのは困難と思われますが、誰かチャレンジしてみてください。私はやらないっす。