街道歩きを始めて15年、原点に立ち返って最初に歩いた道をもう一度歩いたら、あの頃には見えなかった景色が広がってた←最終回6日目
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塩尻-野尻のここまでの道のり
2023年11月3日 来週は立冬というのに今日は夏日なんですが?
野尻宿を出発
中山道野尻宿からおはようございます。 今日は木曽路の続きを歩きます。本日ついに最終回、三留野までです。 それでは先日のゴール地点、庭田屋を出発。いてきま pic.twitter.com/GudAoKxBp4
2023-11-03 07:28:00野尻宿の町並み。 「野」の異体字が看板に使われている。 pic.twitter.com/Y4gAWQaFsQ
2023-11-03 07:42:00野尻宿は旅籠と茶屋だけで30軒以上あったそうですが、明治の大火で失われたとはいえ現在でもその雰囲気が見て取れます。戦前建築と思われる家も。 pic.twitter.com/3RDDO5m9nR
2023-11-03 07:55:00参考までに
あとで調べたら、野尻宿は明治の大火以前にも
寛永元年(1624)妙覚寺焼失
天明元年(1781)火災
寛政三年(1791) 70戸焼失
万延元年(1860) 40戸焼失
と記録にあるだけでも幾度となく火災が起きていたようです。
ちなみにお隣り須原宿も酷く、
文安五年(1448)洪水で町が流出
文禄三年(1594)洪水で町が流出、
宿場町制定後の正徳五年(1715)洪水では宿場町まるごと流出し、高台である現在の場所へ町ごと引っ越し
寛延三年(1750)宿場の半数焼失
慶応二年(1866) 110戸焼失
と散々でした。
地図にない道 その1
野尻宿は「『七曲り』と呼ばれる枡形だらけの道」と看板にあるのにぜんぜん七曲がってないやーんと誤解していた理由が判明
昔に比べて道標が増えたのか、それとも前回見落としてただけなのか、まっすぐ進むと思っていた場所で右へ行けという案内が。しかも地図にない道なのに普通に舗装路。いま軽くショックを受けてる。 (あわてて調べたら、まっすぐな道は大火後の明治27年に作られた防災用の新道だった) pic.twitter.com/byxC2mDvcj
2023-11-03 08:14:00さらに右へ行けという案内。野尻ってこんなに風光明媚なところだったんだ。 線路をくぐったら地図にある道と合流しました。 pic.twitter.com/EN62mU9Ckh
2023-11-03 08:31:00地図にない道は普通に人々が生活する家が立ち並ぶ道でした。新道と合流してもとの道へ。 以上、私だけが知らなかった中山道でした。 pic.twitter.com/TBiqGTrEUG
2023-11-03 09:03:00遠くに見えるまん丸な輪っかは何じゃろ?と近づいたら葉っぱと蔓だったよ。ハート型でかわいいねえ pic.twitter.com/w0PsiK2nX8
2023-11-03 09:31:00国道を走ってるだけでは決して気づかない下弦トラスの橋。国道はこの右でトンネルに入っていきます。通る人は橋の上を走ってることにすら気づいてないかも。 現代の道って、事故を防ぐためにいろんな人の努力で作られてるものなんだなと感じますね。 pic.twitter.com/ChCRLwEtq2
2023-11-03 10:02:00