1)中途障害と先天障害の精神面の違いで念頭に置くべきこととして、生まれつきの人にとって文字通り「当たり前」であるのに対し、中途障害者は元々持っていた何かを失って今その状態にあるということ。 生まれた時から聞こえない人と、元々聞こえていて音を失った人とでは、その捉え方は大きく違う。
2011-12-11 10:13:112)例えば、聞こえないことを自分にとっての「当たり前」と思っている人から見れば、聞こえないことで悲観的になったり、聞こえないことを隠したり聞こえるフリをしたりする人に「なんでそんなに悩むの?」「聞こえなくても大丈夫だよ」というのは率直な気持ちだと思う。
2011-12-11 10:13:243)でも、ずっと聞こえることが「当たり前」で生きてきた人にとって、その「なんで悩むの?」「大丈夫だよ」言葉は時として、自分の苦しみを軽視されたかのように感じられてしまう。だって、その人にとっては聞こえることこそが当たり前であり、聞こえないことは決して「当たり前」ではない。
2011-12-11 10:13:394)まぁ、一般論的に分かりやすく言えば、乙武さんが「手足ないのは当たり前」と言ってるからといって、事故でいきなり両手両足切断した人に「手足なくて当たり前」と言っても何の慰めにも励ましにもならないってことです。
2011-12-11 10:13:565)乙武さんは手足がなくても自力で仕事もするしツイッターもするけれど、いきなり両手両足失くした人は、自力ではご飯たべることだってできないでしょう。「当たり前」の基準は人それぞれ違うわけです。
2011-12-11 10:14:086)聞こえなくても手話という言語を持ち、人間関係を持っている人は、聾者の誇りを持って生きることができる。 一方、手話という言葉ももたず、常に聞くことを求められて筆談さえ断られ、周囲とのコミュニケーションも断たれて孤立している人が、聞こえないことに誇りを持つなんて到底無理。
2011-12-11 10:14:347)元々持っていない人と、持っていたものを失った人では、同じ状況でも感じ方に違いがある。大切な何かを失ってここにきた人が、「これが今の自分の当たり前」と思えるようになるには時間がかかる。以前からそこにいる人には、そんな人たちを温かい目で支えてあげてほしいと思うのです。
2011-12-11 10:14:58あ、えーと念のため。私は乙武さんを良いとも悪いとも言うつもりはないです。障害を当たり前だと思うのも良し、当たり前だと思えなくてもよし。それは自由です。 ちなみに私は中途失聴ですが、今は聞こえないことが自分の「当たり前」だと思ってますよん。でも、そう思えない人の気持ちも尊重したい。
2011-12-11 10:21:04聾者が難聴者に「そんなにまでして聞きたいの?」と思う気持ちと、 聴者や難聴者が聾者に「聞こえるようになる方法があるのにどうして使わないの?」と思う気持ちのすれ違いって、そういうところからくるんじゃないかなぁと。
2011-12-11 10:28:17