20231119 #艦これ小噺 『口上』

茄子川。 @eggplant758

『口上』 ――あたくしの落語家人生で、一番鮮烈だった思い出が、南方派遣艦娘部隊への慰問活動でございます。 #艦これ小噺

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当時あたくしは芸も未熟な二ツ目でございました。折しも深海棲艦が跋扈し始め、世の中がどんどん暗くなっていった時分で御座います。

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世間様は落語を聞いている余裕なんてない、むしろこの非常時に演芸にうつつを抜かすのは如何なものかと、寄席も開かれず、せっかく拵えた羽織を高座で脱ぐことも、月に一度あるかどうか。そんな世の中で御座いました。

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とにかく落語がしたかった。噺をお客様に聞いていただきたかった。命の危険があるとしても燻っている今よりマシだと、南方慰問団への募集に一も二もなく飛びついたことを覚えております。

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艦娘の方々が護衛する物資の輸送船に便乗して降り立ったトラック泊地を皮切りに、様々な部隊に赴きました。パラオ、ブルネイ、タウイタウイ……。異国の地で異形を相手に命を賭ける艦娘の方々は、あたくしの拙い話芸でも、ふるさとの言葉、ふるさとの噺という懐かしさもあって、大層喜んで頂きました。

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忘れがたい出会いや話題は様々あるのですが、この場でこの話をさせていただくのは、どうしても、ある艦娘の方を、知ってもらいたかったからでございます。

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ラバウル泊地からブイン泊地へ赴く途中でございました。深海棲艦のはぐれ部隊と鉢合わせし、乗っていた輸送船がボカチンの至近弾を喰らって壊れてしまいました。幸い沈むことはなかったのですが、応急修理のために途中の手頃な港に避難することになりました。

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南洋に浮かぶ小さな島にあるその港には、これまた小さな部隊が本隊から派遣されていました。あたくしは艦娘の種類にはあまり詳しくないのですが、その方だけははっきりと覚えております。陽炎型駆逐艦娘の黒潮さんは、両手で数えられるだけの人が居るその分遣隊の隊員の方でした。

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船がやられて肝を冷やしておりましたあたくしは、修理が終わるまでの間、せっかくだから慰問をして欲しいといわれて、すぐには無理だと応えました。情けない話、死ぬ、というのが身近に感じられて、手の震えが止まらなかったのですな。

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それならば、と部隊の隊長さんは、黒潮さんに前座をしてもらって、その間に気持ちを落ち着けてあたくしにトリを務めればどうかと提案されました。

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黒潮さんは艦娘ながら、落語が好きで素人落語をたびたび部隊で披露していたようで御座いまして、隊長さんの提案に、傍らにいた黒潮さんはびっくり仰天。信号機のように顔を青くしたり赤くしたりして、最後は恥ずかしさでなのか俯いてしまわれました。

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あたくしのいたずら心がむくむくと浮かんできまして、それならばとお話を受け、トントン拍子に一夜限りの分遣隊落語会開催が決まりました。意地悪な話、艦娘の素人落語がなにするものか。ほんとうの落語を見せてやるという了見があったのが、偽らざるところで御座います。

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部隊のバラックに即席で用意された小さな高座に、二枚の紙がぶら下がっためくり台が拵えられました。二枚目にはあたくしの高座名があるそこに、陽炎亭黒潮と、黒潮さんの即席の高座名が、達筆な隊長さんの流麗な墨字で記されておりました。

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艦型と艦種をそのまま使ったあの高座名が、あたくしが黒潮さんのことをはっきりと覚えている理由で御座います。

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あたくしが持っていたスピーカーから出囃子を流して、着流しの代わりに浴衣をまとい、扇子と手ぬぐいを持った黒潮さんが、おずおずと高座にあがりました。お辞儀をした後、脇目にいたあたくしをチラと見られて、目線があったのを、今でもありありと思い出せます。

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あたくしはこんな性分なものでして、他の方の上手な落語を聞いても、負けたとは思っても出来ないと思ったことは御座いません。今は負けても出来なくても、いつか勝つ、出来るようになってやると思って、ずっと落語家をやってまいりました。

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ただ、黒潮さんの落語だけは、今までで唯一、出来ない、勝てないと思った落語でした。

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演目は平林を底に、艦娘の方々のあるあるネタで改変を行った、創作落語のようなものでした。あたくしには単語の面白さはさっぱりわからない。だけど、わからないけど笑ってしまう。不思議なフラと間の凄さがありました。

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タイホタイホのタウイさんなんて、今聞いてもちっとも面白くないのに、あたくしは分遣隊員の皆様と一緒に笑い転げておりました。

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黒潮さんは大阪のご出身で、上方落語をよく見ていらしたそうです。見台も小拍子も用意できない中で、扇子を小気味よくパシリと鳴らす。スラスラと流れる関西言葉との緩急が絶妙で御座いましたが、それだけでは御座いませんでした。

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思うに、黒潮さんは、艦娘の仲間の皆さんが好きだったのだと思います。滑稽なことをする登場人物にも、どこか温かみを持って、決して蔑むことなく活躍させていた。登場人物とイコールで結ばれるお客様に真摯に寄り添うその姿勢は、あたくしはあの領域まで、未だにやり通せる自信が御座いません。

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すっかり気圧されてしまったあたくしは、当時唯一出来る大ネタだった子別れを、真打ち昇進試験でもやらないくらい精一杯演じました。なんとか好評いただけたようで、黒潮さんはあたくしの拙い噺に涙を流して頂いておりました。

茄子川。 @eggplant758

大成功に終わった落語会のあと、あたくしは黒潮さんと、こんこんと話しました。黒潮さんの落語の才能を、なんとか世に咲かせたい。平和になった世の中で、お客様を一緒に喜ばせたい。そんな一心で御座いました。

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翌日、なんとか直った船に乗って、あたくしは元々の目的地だったブイン泊地へと向かいました。道中、黒潮さんを含む分遣隊の艦娘の皆さまが、連合艦隊もかくやと言うほど周到な護衛をしていただきました。

茄子川。 @eggplant758

ブイン泊地の部隊に護衛を引き継ぎ、基地に帰っていく分遣隊の皆様の中で、黒潮さんは最後までこちらを見守っておりました。