定義論と後期クイーン的問題
- quantumspin
- 764
- 2
- 0
- 0
自分は本格ミステリの定義論とかには冷淡なのですが、定義された本格ミステリと他の概念との無矛盾性には強い関心がありますね。定義論がつまらないのは、その定義を他の定義と無矛盾に使いこなす視点が欠けているからなんです
2023-01-09 13:03:44数学において定義とか公理とかを考えるのは、そこから演繹的に定理を導くためですね。定理を導く手段として定義は存在しているわけです。ところが本格ミステリの定義論などを見ていると、その定義を行う事そのものが目的になっており、そこで話が終わってしまっている。いったい何がしたいのか、となる
2023-01-09 13:06:33本格ミステリをこういうものと考え、他の概念とつきあわせるとこういった定理が導かれる。この定理の部分に新規性・進歩性があれば、定義や公理は理論と呼ばれるわけですね。そのためには概念間の無矛盾性があってはならない。だから自分は概念の無矛盾性は、定義の正確性より遥かに重要と思っている
2023-01-09 13:12:47後期クイーン的問題とは、メタレベルの無限階梯といわれるように、推理を唯一に定められない探偵の信念の揺らぎを問題にしていた筈なので、フェイクをあっさり信じてしまえるポスト・トゥルースの神経の太さとは正反対ですよね
2023-02-24 22:46:10実はこの世界は妹たちが信じている陰謀論が全て常識的な事実である世界で、それを全て否定しようとする主人公こそがこの世界では筋金入りの陰謀論者だったというオチ twitter.com/MANOHIKO/statu…
2023-06-26 23:43:13そういや以前、名探偵の陰謀論的特権をポスト・トゥルース的多重推理で剥奪すべき、みたいな意見を聞いたことがあって、うーんとなったりしました
2023-06-27 09:07:16図式的に言うと、陰謀論というのは、自然の背後に人為を感じるということで、対してポストトゥルースというのは、人為の背後に自然を感じるということなんで、ベクトルの向きが逆なんですよね
2023-06-27 19:10:55ここに後期クイーン的問題が加わると、事態はさらに混とんとしてきます。後期クイーン的問題と陰謀論とならまだしも、後期クイーン的問題とポストトゥルースとを同列に扱うような言論てわりとありますからね
2023-06-27 22:29:39後期クイーン的問題というのもまた、自然の背後に人為をかぎ取る点において、陰謀論と類似しています。昨今の陰謀論者との決定的な違いは、陰謀論者が陰謀論を何ら疑いなく信奉しているのに対し、後期クイーン的問題というか、真実を宙づりにされた探偵は、陰謀論ですら信じられない心理状況なわけです
2023-06-27 22:32:49人為の背後に自然を感じ取るポストトゥルースというのは、どちらかというと疑似科学、ニセ科学に近いわけですよね。後期クイーン的に真偽判断を宙づりにしていくような弱気な態度ではなくて、新たな自然摂理を確信的にクリエイトしていく、強気な態度なわけです
2023-06-27 22:36:20これは偏見のような気もしますが、文系の方は陰謀論的想像力(人為的なものを見抜く力)が豊かで、理系の方はポスト・トゥルース的想像力(自然的なものを見抜く力)が豊かという印象があります。井上真偽が『その可能性はすでに考えた』を書いたのは、彼が理系だったからという気もするわけです
2023-06-28 08:44:18自分は理系ですが、科学理論てそもそも解釈の多数性に開かれているんですよね。科学理論は唯一無二の真実だ!とか言えてしまう人は、科学的な営みがどういったものかをよくわかっていないように感じています
2023-07-06 17:56:21科学理論が語れるのはだから、「正しい」真実ではなく、「いまのところ間違っていない」解釈なんです。そういった言論が、ポストトゥルース的でけしからん、とか言われてしまうと、なんだかよくわからん話になっていくわけなんです
2023-07-06 17:59:58ポストトゥルース的状況において、むしろ問題なのは、唯一解じゃないなんてけしからん!と言えてしまう視野の狭さなんじゃあなかろうか。そういった意味で、「唯一無二の真実をめざそう!」という感じの言論は、「ぼくの考えるさいきょうの真実」論者と同じくらいスベっているような気がしています
2023-07-06 18:11:30ちょっと違うか。真実を目指すことそれ自体は尊いし、それがスベっているわけではないよな。どちらかというと、自分が間違っている可能性を視野の外側に置いてしまう感覚がヤバい、という話かな。少なくとも科学理論は、つねに自分の間違いに怯えながら進歩しているわけですか?
2023-07-06 18:23:15だから陰謀論にせよニセ科学にせよ、たぶんそうした解釈それ自体はけしからんわけではないんですよね。それがけしからんなら科学理論もけしからん。大事なのはたぶん、解釈の多数性を前提に物事を受け止めるという感覚なんだろうとは思うかな
2023-07-06 18:33:45自然摂理にせよ、(円居論的)キャラクターにせよ、人知の解釈の向こう側にあるから尊いんですよね。人は解釈を使って迫ろうとするんだけれど、人間は有限だからそこには絶対に届かないんです。だから解釈はおのずと複数になってしまうし、だからといって自然摂理とかキャラクターが揺らぐわけではない
2023-07-06 18:47:25つまるところミステリにしてもポストトゥルースにしても、人間の考えることなどたかが知れているというのか、人知の有限性と世界の果てしなさを知るところから始まるという話ですかね。
2023-07-07 08:09:34こういう事を考えるとき、自分はギリシャ神話のイカロスの話を思い出すんですよね。ロウで作った鳥の羽で太陽を目指す滑稽さ。それは無謀で傲慢で愚かで矮小でしかないんだけれども、でもそうして足掻くイカロスのあり様は尊いし、人類結局失敗しても目指しちゃうんですよね、って自分もなる
2023-07-07 08:15:16解釈を民主的に多数決で選ぼうが、唯一解の得られるようにメタバースを調整しようが、いずれにせよそれは人間の有限性の内側に自足してしまう話でしかないんです。イカロス的な外部を自覚しそこを目指し足掻き失敗を繰り返し、わずかでも人知の領域をひろげようという志に自分は惹かれる
2023-07-07 08:22:04