小松左京死去に対しての(主に)SFクラスタの人たちの追悼(その7)
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『図書新聞』に笠井潔氏の「『3・11の未来』刊行によせて」を掲載していただいていた。その下では『文藝別冊 小松左京』などについてのコラムも。有難うございます。
2011-12-12 17:13:20「娯楽小説の枠にとどまらない大きさ」か。相変わらずSF者は河原桟敷かよ。 小松左京の足跡、相次ぎ出版 : 本よみうり堂 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) http://t.co/70uttiKZ via @yomiuri_online
2011-12-12 17:44:02小松左京の凄さに圧倒されている日々。私が小松左京から小説の世界に惹かれたことだけが理由ではないだろう。やはり本当に凄いのだと思う。何年経った作品でも。アガサ・クリスティや星新一だって何年経っても古さを感じさせない。小松左京には新しささえ感じる。何度読んでも。
2011-12-12 21:42:11横澤彪、和田勉、小松左京、市川森一、長門裕之、団鬼六、伊良部秀輝、滝口順平、宮尾すすむ、立川談志、坂上二郎、原田芳雄、田中好子、児玉清、TAIJI、スティーブジョブズ、サイババ、カダフィ、ビンラディン。もちろん3・11も。なんて年なんだ、2011。
2011-12-12 21:48:08上田早夕里『リリエンタールの末裔』:一番印象深いのは書き下ろしの「幻のクロノメーター」。最後まで読んで『3・11の未来 日本・SF・想像力』の小松左京の序文を思い出した。あの序文に遺された思いがこうやって受け継がれていくのかと。柔らかい言葉で綴られた物語に込められた覚悟を感じた。
2011-12-13 00:00:21「有名人だから」と言う理由で、小松左京&岡本太郎と言う2大人間爆弾を万博の実行委員にした阿呆は、ど〜考えても堺屋太一だよね http://t.co/asfag46j
2011-12-13 07:32:22今日は小松さんとお話しされた方から、「小松さんは、小松左京賞作家がSF大賞を獲ることを本当に心待ちにしていたんですよ……」と聞かされて、また泣いてしまった。どうして自分は、いつも大切な人との約束を果たすことができないんだろう。また間に合わなかったじゃないか……。
2011-12-13 17:49:58今日は小松さんとお話しされた方から、「小松さんは、小松左京賞作家がSF大賞を獲ることを本当に心待ちにしていたんですよ……」と聞かされて、また泣いてしまった。どうして自分は、いつも大切な人との約束を果たすことができないんだろう。また間に合わなかったじゃないか……。
2011-12-13 17:49:58小松左京は、『大阪タイムマシン紀行』(または「タイムトラベル大阪」)http://t.co/KSCXq0u3 で、平清盛にも触れている。清盛は藤原氏が数百年かかってやったことを数年で一挙にやろうとした。そのせっかちさが、凋落の一因だろう。また小松は福原遷都の先進性も認めている。
2011-12-13 20:08:01(小松左京) 『なにしろ清盛というのは、せっかちな男で、自分一代のうちに太政大臣になり、娘を中宮に入れ、生まれた皇子を帝位につけて外戚となり、福原の都をつくって遷都し、都周辺の一門を次々に官につけーといった具合に、ことごとく藤原貴族のまねをし、それも藤原氏が、200年も300年も
2011-12-13 20:08:47かかって、律令官制をうまく操作しながらつくりあげたことを、自分一代でやろうとしたところがむちゃくちゃであって、その性急ぶりは、どこかのちの秀吉や、戦後宰相なにがしかを思わせる所がある。』 ---さいごの「戦後宰相なにがし」というのは、田中角栄のことだろうか。
2011-12-13 20:09:28小松左京は、当時の政治腐敗と「東国」からの視線につき、こう書いている。-- 『関東の武士の間では、源平の家系の区別なく、腐敗しきって広域の実情に対応できなくなった中央の律令貴族性に見きりをつけ、のちに「貞永式目」に結実する現実主義的な「武家政治」のシステムが熟しかけており、
2011-12-13 20:26:07その意味で、藤原を平氏におきかえただけのような清盛の政治は、反動とうつっている。』(「大阪タイムマシン紀行」より)
2011-12-13 20:26:38小松左京の平清盛関係の発言、メモ。--『平清盛は、すでに三世紀半の歴史をもつ「内陸、盆地の都」を、一挙に「海の都」福原京にうつそうとした点、その「新時代」を予感した構想は注目に値する。』
2011-12-13 20:27:21小松左京の平清盛関係の発言、メモ。--『「ふんどし町」といわれる神戸の地形から見てもわかる通り、背後に山がせまって、「都」としては南北に十分なスペースがとれず、それが形式にうるさい平安貴族の批判点の一つになったらしいが、もし完成し、しかも、何世紀かつづいたとしたら、そこには、前に
2011-12-13 20:28:12雄大な開かれた海をのぞみ、山腹斜面に展開するユニークな「海都」が出現し、それは日本の歴史の性格をも大きく変えたかも知れない。』 --メタボリズムの建築家・菊竹清訓の「海上都市」のイメージを重ね合わせているのかも。→沖縄海洋博アクアポリスhttp://t.co/o7DbXlLa
2011-12-13 20:38:14小松左京、清盛の日宋貿易の構想と、足利義満について。『清盛のころ、宋は北方の金におされて南遷していたが、なお中国の正統政権であり、ヘリコプター貴族で領国のすくない平氏は、日宋正統貿易を通じて、支配のための「財源」をつかもうとしたのであろう。-この時は成功しなかったが、
2011-12-13 20:39:41このあと三世紀を経て、同じ構想を抱き、兵庫港とともに堺港を把握することによって成功したのが、足利三代将軍義満である。』 -- 新しもの好きな清盛や後白河院は、宋から「日本国王」という肩書きを使われたときも、憤慨しなかった。
2011-12-13 20:41:40(小松左京『大阪タイムマシン紀行』より)--『現在の神戸のポートアイランドをはじめとする「新市域構想」が、マルク債、スイス・フラン債に部分的に依拠しているのを見ると、「財」を海外に求める精神は、この地になお連綿と生きているような気がする。』
2011-12-13 20:44:37うわ!「宇宙人ピピ」があるとは思わなかった。youtube恐るべし。作:小松左京、平井和正 音楽:富田勲って、今から考えるとスゴイな。 http://t.co/rRCAuLjE
2011-12-14 10:51:23文藝別冊ムック『梅棹忠夫』http://t.co/m2TDYGRu には、小松左京の文章が収められていて、「人類と未来」という梅棹忠夫の構想は、学者には難しかったのかもしれない、わたしはそれをフィクションによって追究していった、と書いている。
2011-12-14 19:15:08それならば、梅棹忠夫の幻の著作「人類の未来」を再構成するときに、小松左京のその後の仕事を参照するというやり方も、あるはずである。すでに1967年、小松は『未来の思想』という本を書いている。二人は「人類の進化」「文明の進化」について、よく議論したという。
2011-12-14 19:17:32