暴力革命による国家転覆を目指した連合赤軍が、山奥のアジトで「総括」の名のもとに仲間12人をリンチ殺人した「山岳ベース事件」(1971-72年)の際、8名の遺体が埋められた高崎市某所を訪れた。 養鶏場の鶏を弔う慰霊碑の横に、彼らの慰霊碑が小さく佇んでいる。 pic.twitter.com/AH2VE9KUQi
2023-12-30 20:16:38「援助」のもとに暴力が肯定された山岳ベース事件
「茲(ここ) 連合赤軍八名之若者 皈(かえ)る 合掌」 「援助」の名のもとに殴られ、あるいは自らの顔を殴り鏡で見ることを強要され、アイスピックで心臓を刺され、首を締められ、縛られて凍える屋外に放置されて死に至り、あまつさえその死を「敗北死」とされた若者たち。 pic.twitter.com/p0LyYDN3ag
2023-12-30 20:20:12が、犠牲となった12人のほとんどが、同時に「総括」の加害者となり、あるいは山岳ベース事件に先立つ仲間への「処刑」(印旛沼事件)や警官襲撃、銃砲店への略奪といった犯罪に加担していた。 複雑な気持ちで手を合わせる。 pic.twitter.com/9fispaKZar
2023-12-30 20:22:47慰霊碑の供養をされている近傍のお寺。12人の位牌が安置されている。 墨書された12名の俗名が、彼らが50年前に生きていた若者だったことを生々しく伝えてくれる。 …あの時代に生まれていれば、わたしだったかも知れない。いや、今の時代だってそうでない保証があるか。 pic.twitter.com/hnXOSX73ye
2023-12-30 20:25:32「榛名ベース」が構えられていた榛名山山中の某所。 1971年12月から1月にかけて、国家権力を転覆するための軍事教練のなかで壮絶な「総括」が行われ、ここで8名が命を落とした。 今は跡形もなく、ただ美しい森に沢の音が響くだけだ。 pic.twitter.com/sbL4zmrSGm
2023-12-30 20:29:33連合赤軍は榛名ベースから同じ群馬県内の迦葉ベースに向かい、ここで3名(と胎児1名)を「総括」によって殺害し、さらに妙義ベースへと向かった。 切り立った岩山が目立つ妙義山某所。ここの洞窟で死んだ1名が、「総括」による最後の犠牲者となった。 pic.twitter.com/pmx5G1it1H
2023-12-30 20:34:17警察は妙義山中に連合赤軍が潜伏していることを察知。首謀者だった森恒夫と永田洋子はここで警官に対する「殲滅戦」の末あえなく逮捕され、森は拘留中に自殺、永田は死刑確定後の2011年に獄中死する。 その他の残党はヘリによる捜索を避けて深夜、凍傷に痛む足を引きずって岩山を登った。 pic.twitter.com/2HtU2PmSls
2023-12-30 20:37:56妙義山中からの逃避行の結果、あさま山荘事件へ
彼らの逃避行を辿った。 長野県佐久を目指した彼らは、和美峠を経て、新しく開発されたために地図になかった南軽井沢・レイクニュータウンに迷い込む。 ここでたまたま逃げ込んだ別荘の管理人を監禁して起こしたのが、あまりに有名な「あさま山荘事件」(1972年2月)だった。 pic.twitter.com/XjkCmRPIbv
2023-12-30 20:41:52事件現場となったあさま山荘の程近くには、事件で殉職された警官を慰霊する「治安の礎」がある。 長野県、軽井沢町、長野県警、警視庁によって建てられ、よく整備された荘厳な顕彰碑は、養鶏場の片隅にある小さな慰霊碑とあまりに対照的で、この事件が日本社会にもたらしたものを端的に物語るようだ。 pic.twitter.com/1X2jQR32zg
2023-12-30 20:45:38犠牲となられたのは警視庁の内田尚孝警視(当時47歳、死後警視長に特進)と、高見繁光警部(42歳、死後警視正に特進)。これに加え民間人1人が亡くなり、撃たれて事件後何十年も後遺症に苦しまれた警官が殉職されている。 無論、彼らにも家族がいた。 厳粛な気持ちで手を合わせる。 pic.twitter.com/p5TgvMzR1F
2023-12-30 20:51:28当時の警察庁長官・後藤田正晴の厳命によって「犯人を生け捕りにして裁判にかける」という方針が貫徹され、これもあって連合赤軍メンバーは仲間への「総括」を自供し、発掘された遺体の惨状は世間を震撼させた。 わが国における左翼運動の退潮と、合法的・平和的な民主主義の定着決定づけた事件だった pic.twitter.com/Saf7LoIUqh
2023-12-30 20:58:03連合赤軍の痕跡を辿った上信国境。首都圏向けのリゾート地に混じって、満蒙開拓から引き揚げてきた人々による再開拓地があちこちで見られた。 彼らもまた、戦後の歴史のなかで忘れ去られようとした存在だ。 歴史は死者こそが、忘れ去られた人々こそが語るべきものだ。そんなことを感じた旅だった。 pic.twitter.com/iobSq7ztVG
2023-12-30 21:36:33事件とその後
1972年1月生まれの僕は、母の胸に抱かれながら、テレビ画面を通してあさま山荘の攻防戦を観ていた。(乳飲み子だったので記憶はない。) twitter.com/SEI__jou/statu…
2023-12-31 09:46:16@SEI__jou あさま山荘事件で捕まえたのは5人だったので、まだ8人が銃を持って逃走していると警察は思っていた。彼らが既に殺されていたと知ったのは、捕まえた5人の自供のおかげだった。「警官の犠牲を無くすため射殺しろ」という声に従っていたら未解決になっていたかもしれない。生け捕り方針の大手柄だった
2023-12-31 07:35:45叔父が元部下だった関係で、事件の警察側指揮官だった故・佐々淳行氏に会ったことがある。 といっても中学生くらいの頃で、事件の名前くらいしか知らなくて、後に著書読んで「え、あのおっちゃんすげえな」って知ったんだけど。 いま思うと叔父が亡くなる前にもっと裏話聞いておくんだったな。 twitter.com/SEI__jou/statu…
2023-12-31 09:39:48@SEI__jou リーダーの森は1973年の元日に東京拘置所で首吊って死亡したんですよね。明日で51年。「水筒を持参していない」「指輪をはめている」「同志の総括中に私怨をぶつけたまたは手加減した」=共産主義者として未熟。よって真の共産主義者として生まれ変わるのを手伝うと称して暴行した。自省なき正義は怖い
2023-12-31 09:13:32山岳ベース事件 - Wikipedia ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1… 榛名ベース慰霊碑 maps.app.goo.gl/FYxVGrxPtKYJwY… 「阿字の子が…」人はどこから生まれ、どこに死んでいくのか ameblo.jp/myo-e1228/entr… twitter.com/sei__jou/statu…
2023-12-30 23:42:38