デジタル・デビル・ストーリーの原作者、西谷史先生ご自身が語られた当時あれこれや作品に関する呟きなどをまとめました その7(2024/01〜02)

RPG史に残る一大シリーズとなった「メガテン」。源流は80年代中盤に出版された一冊の小説にありました。その作者である西谷史先生がtwitterで呟いてくださった当時のあれこれをまとめてみました。「先生ご自身」のつぶやきだけを拾っているので、あえて会話形式にはしていません。気になるやりとりがあれば呟きの右肩にある青い鳥アイコンから飛んでくださいね。
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Aya Nishitani 西谷史 @ayanakajima3

明けまして、おめでとうございます。 時間と空間を超えて、 幸せの矢が、皆様のところに届きますように。 2024年1月1日 pic.twitter.com/ALZ3irGZ5k

2024-01-01 10:26:22
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Aya Nishitani 西谷史 @ayanakajima3

今日は、イザナミ様をお祀りしている外城田神社にお参りした。 参道の出口で、石灯篭の向こうに電柱が見えたとき、足が止まった。 小学生の頃、ここで、牛に追いかけられて、電柱に登ったことを思い出した。 pic.twitter.com/WKLxDpamQ0

2024-01-02 16:47:17
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Aya Nishitani 西谷史 @ayanakajima3

当時は、まだ、田圃を耕すために牛を飼ってる農家もあって、そういう牛には気性の洗いのもいた。ある日、学校の帰りに神社の前まで来たとき、 「坊、危ないぞ、そっちへ行った!」 男の人の叫び声とともに、牛が坂道を駆け下ってきた。 pic.twitter.com/1oYWhtNq7R

2024-01-02 16:48:28
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Aya Nishitani 西谷史 @ayanakajima3

逃げ場もないし、ランドセルを捨てて、無我夢中で電柱によじ登ったら、鼻息を荒げた牛が、すぐ側まで来た。 後から走ってきた農家の人が、鼻輪から垂れたローブをつかんで、「どうどう、どうとう」と牛をなだめてくれた。 pic.twitter.com/cyWy29LFcl

2024-01-02 16:49:22
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Aya Nishitani 西谷史 @ayanakajima3

古い石の道標が隣にあったから、電柱によじ登れたのだと思う。 その牛は、次の年にもういっぺん僕を追いかけようとしたから、よほど相性がわるかったのだろう。いま思い出すと、こわかったけど、懐かしい、貴重な体験だ。 pic.twitter.com/GuGFtLyPTJ

2024-01-02 16:50:22
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Aya Nishitani 西谷史 @ayanakajima3

気性が洗い× 気性が荒い● ですね。

2024-01-02 16:52:03
Aya Nishitani 西谷史 @ayanakajima3

@uKK2YDPtRGTAxsg そう。僕が子供のころは、農耕用の牛がまだ飼われていて、そういう牛は気性が荒くて、ロープが緩むと牛舎から脱走するのがいた。 一年に、一度か、二度、そういうことがあった。 そういうときは、村の空気が違うので、なんとなくわかった。

2024-01-02 17:03:34
Aya Nishitani 西谷史 @ayanakajima3

ほんまかいな? という声がありますが、僕が育ったのはかなり不便な地域で、私立の中学に入ったとき、担任の先生が僕の住所をみて、「失礼やけど、陸の孤島といわれてるとこやな。通学はたいへんやろ…」といいました。 いまは車道が整備されて、便利な地域です。

2024-01-02 17:15:42
Aya Nishitani 西谷史 @ayanakajima3

昨日、英語で牛に追いかけられた話を書いているとき、最初oxと書いて、cowにしました。 だれかが、そのcowは、きみに恋していたんじゃないか?と突っ込んでくれるんじゃないか、と思ったからです。 twitter.com/Volt0r_/status…

2024-01-03 10:42:33
Aya Nishitani 西谷史 @ayanakajima3

残念ながら、だれも突っ込んでくれませんでした。僕の書き方にユーモアがなかったからでしょうね。 あの時代の郷里の農村では、それぞれの家に、一頭の牛がいるだけだったし、牝牛の角を切る習慣はなかったように思います。 pic.twitter.com/HWD3G0dZN8

2024-01-03 10:45:44
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Aya Nishitani 西谷史 @ayanakajima3

母の遺品を整理していたら、出雲大社のお札が出てきた。 ちょっと、驚いた。大国主命を祀る出雲大社は、国津神の象徴である。 僕の郷里では、国津神とは正反対の存在である天津神を祀る神社しかない。 pic.twitter.com/fKmjw1ejRl

2024-01-04 20:52:31
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Aya Nishitani 西谷史 @ayanakajima3

どうして、出雲大社のお札が? いつのものだろう? よく見ると、出雲の電話番号を書いた紙が出てきた。局番から判断すると、40年近く前のお札らしいとわかったとき、それが僕と家内のためにもらってきたお札なのだと気付いた。 pic.twitter.com/7zsv299uSD

2024-01-04 20:54:24
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Aya Nishitani 西谷史 @ayanakajima3

出雲大社は日本最強の縁結びの神様だ。だから、僕と家内が結婚するとき、これをもらってきたらしいと気がついて、ちょっと感動した。でも… この話にはまだ続きがあるので、あらためて書きます。 pic.twitter.com/4hMaDRaNyL

2024-01-04 20:55:31
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Aya Nishitani 西谷史 @ayanakajima3

出雲大社にはかつて二つの宮司家があり、現在の大社の宮司である千家家の与えるお札が「出雲大社御玉串」で、一方の北島家が「出雲大神御玉串」を与えていた、と聞く。 だが、さまざまなことがあり、今日では、僕は「出雲大神御玉串」の札を他に見たことがない。

2024-01-04 22:00:16
Aya Nishitani 西谷史 @ayanakajima3

これは、歴史的な遺物なのかもしれない、とも思う。 この二種類のお札にどういう違いがあり、どういう事件があったにしろ、母がこのお札をもらったとき、望んだように、僕たちは結婚生活を送れたのだから、このお札はずっと大切にしたいと思う。

2024-01-04 22:01:41
Aya Nishitani 西谷史 @ayanakajima3

出雲大社の宮司家が二つの宗教法人にわかれたとき、一方は出雲大社の宮司家となり、一方は宮司ではなくなった、と考えられます。 宮司ではなくなったほうが、「出雲大社」を名乗ることはできないので、出雲大神のお札を授与した時期があった。と僕は聴いています。しかし(つづく) twitter.com/koshioBD6/stat…

2024-01-05 09:27:54
こしお @koshioBD6

そのお札ですが違法な訪問販売によるニセモノだと思うんですけど。。。ウチにも来てうっかり買ってしまい警察に通報したことあります。 izumotaisya-tokyobunshi.com/main3.htm pic.twitter.com/nkJzJ0YBqX twitter.com/ayanakajima3/s…

2024-01-05 08:50:47
Aya Nishitani 西谷史 @ayanakajima3

@Yamata_J_Orochi おお、yamataとアカウントに入ってるくらいだから、出雲の方でしょうか。出雲を入れるのは、神々の血脈では難しい面があったのです。引用で、ちょっと詳しく書かせていただきます。タケミナカタは、新DDSではとてもいいキャラクターにした記憶があります。

2024-01-05 11:43:26
Aya Nishitani 西谷史 @ayanakajima3

ありがとう。小説に取り入れるとき、出雲のどこが難しいかというと、大国主は国津神の主神なのですが、それを天穂日命という、天照大神の子供が祀るという形をとっているところなんです。 つまり、天孫系の血脈が、国津神の主神をお祀りすることになるところです。 twitter.com/Yamata_J_Oroch…

2024-01-05 11:47:03
プル妹アリシア・ザビ(Ζガンダム公式外伝AOZ)絶対応援(^_-)-☆ @Yamata_J_Orochi

@ayanakajima3 明治維新後の宗教弾圧に絡んだ話ですね 神々の血脈では、島根鳥取の出雲はあまり絡んだ話はなかったですが、長野の諏訪は倭の拠点の一つ ここも現実では宗教弾圧で歴代の宮司達が職を追われた様な

2024-01-05 11:39:38
Aya Nishitani 西谷史 @ayanakajima3

伊勢の人が、母に北島家の大国主命のお札をもらうように勧めたのは、北島家が、伊勢神宮の天照大神の息子天穂日命の子孫を名乗っていらっしゃるからかもしれない、と推測しているんです。もちろん、推測なんですが。

2024-01-05 11:53:01
Aya Nishitani 西谷史 @ayanakajima3

@PinkHorror9 土師氏から菅原氏になったからですね。そういえば、菅原道真公の歴史的な評価は、天穂日命と似た面があるようにも思います。 もし、天穂日命がいなかったら、天津神と国津神はそれほど簡単には融合できなかったかもしれない、とも思います。

2024-01-05 12:47:52
Aya Nishitani 西谷史 @ayanakajima3

明治維新以後、正月と同じように、祭りの日も、全部グレゴリオ暦にあわせてかわったのか?という問いですが、 その通りです。旧暦は、月の満ち欠け、太陽暦、日の干支の三つによって決まる、複雑なものだったので、ほとんど全部かわりました。収穫を祝う新嘗祭が、その典型です。 pic.twitter.com/37D7xL93Zs twitter.com/lecongvu1997/s…

2024-01-05 14:28:06
Lê Công Vũ @lecongvu1997

@ayanakajima3 Can I ask this question? When the Japanese stopped using the Chinese lunar calendar and started celebrating Gregorian new year, did you have to change the dates of your rituals and festivals to the Gregorian calendar too?

2024-01-05 12:59:48
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Aya Nishitani 西谷史 @ayanakajima3

旧暦11月の二番目の卯の日だったのが、新暦の11月23日に固定されました。 昨年の場合は、年を越して今年の1月4日になってしまうのかな…

2024-01-05 14:39:04
Aya Nishitani 西谷史 @ayanakajima3

@8CXOv5wGQLZeVWN 出雲大社についていえば、祭神の大己貴命は、だれのものでもないので、だれが祀ろうと自由です。 しかし、出雲大社は特定宗教法人のものですから、出雲大社という名称は、その許可がなければ使えないだろうと思います。

2024-01-05 17:37:26
Aya Nishitani 西谷史 @ayanakajima3

@ASrbjYOEJRmLEJx 伊勢近郊の生まれ、育ちなので、成人するまで出雲系の神々について深く考えたことはありませんでした。でも、出雲の神々の行動は、とても人間らしくて、好きです。

2024-01-05 19:52:17
Aya Nishitani 西谷史 @ayanakajima3

@cloverfish300 そうですね。太陰暦だと、どんどんずれていくので、それに太陽暦を加味して、旧暦はできていたので、一年が13カ月の年もあり、複雑なカレンダーでした。 太陽暦だけにすることで、シンプルになり、だれもが使いやすくなったのは事実ですね。

2024-01-06 10:07:08
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