- ryuseiasahina
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美しさというのは一般的には愚かさだと思うのですが、と訊いたつもりだけど、 答えてもらえなかったな、 そういうことを描くのに向かないメディアなのかしら。わかんない。
2023-11-27 20:47:17プールや風呂で水の飛沫を飛ばすように書道のはらいのかすれ具合は制御しづらいように感じるけど、 あるいは、ある種の踊りでゆっくり動くことが、そう動ききれないことを、 大きな声を出すことが出しきれないことを扱うように、 できるだけ意識することで無意識に触れようとするのは常套手段?
2023-11-27 20:50:35サラダ対決で海原雄山がトマトの鉢植えを持ってきて、もいで食べさせた時、 でも、海原はどんなトマトかや熟れ具合を選び、鉢植えであること、トマトであること、それをサラダ対決に持って来ることを選んでて、 そういうことは全然、自然じゃない、技術だと思うのだけど。
2023-11-29 06:56:24サラダ対決でトマトの鉢植えを持ってきて、もいで食べさせることに凄みをもし感じるとしたら、そこに自然とかのファンタジーを感じるからなんだけど、 でも、それだから嘘だとか悪いとかではなくて、 そのファンタジーを生めること、虚をつけたこと、チラリズム?、含め、技術な気がして。
2023-11-29 06:56:39俳優が自分自身を演技でどれくらい使うか、という話の流れで、この美味しんぼの例を出されて。 この話をする時、最近?、パフォーマンスアートのアーティストが自分のプライベートを消費される感覚があることについて、触れなきゃいけないはずで。
2023-11-29 06:56:57海原路線を真に受けたつもりになって、進めても、あるいは、どんなトマトか、どう育てられてきたものか、どんな語りを付与するかとか、(と実際にそれを食べた味)の問題になって、 山岡らが受けた衝撃とは違う、結局、ラベルの問題(最初からか?)になって。
2023-11-29 06:57:30俳優の権利問題?みたいので、俳優は物語に奉仕させられてる、 俳優個人にフォーカスをと言ってみても、 それは個々の俳優の私という物語に何かを従属させるだけだったり、(私を一つの私として語るのも乱暴では?) 「俳優個人にフォーカスを」という流れ、物語に何を従属させるだけでは、とか。
2023-11-29 06:58:33でも、パフォーマンスアートのアーティストの消費される感覚は、むしろその見た目(≒味?)だけで消費されることの嫌悪感?わかんない・・。 むしろ彼らの方が、いや、私たちの見た目でなく話を聞け、としている?
2023-11-29 06:58:50デュシャンの(?)泉について、それが美的にも鑑賞されうる、その造形をあらためて、まじまじと見られうるにしても、 それは、あえて、既製品のトイレをサインして公募展に出したからであって、 その、あえてを抜きに、単に、まじまじと見られましても、ってこと?
2023-11-29 06:59:08うまく言えないし、よくある話かもだけど、 意識を意識して、実を実に、虚を虚に描いて、 あなたが見えるのはここまでです、と切ってみせて、 無意識や自然があるかのように見せる、 その皮膜のチラリズムを生むことが技術じゃないか、とか。
2023-11-29 06:59:27ハイデガーの天空と大地、意味と素材の話を雑にぐるぐるしてるだけなのかしら? 素材を語りで意味におとしめらたり?、 異化抜きに素材を素材として単に味わわれても、とか? 素材を語りで意味におとしめても、まだ、語れるし、まだ、素材もある?
2023-11-29 07:06:37