此処は何処へ向かうのか

ウェブに関する個人的規模のペシミスティックな展望と、全体規模に対するオプティミスティックな展望。
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---- @Kaya3728

"ある生活水準に加えて、もう一つの条件が満たされなければならない。もし、ある人が首尾よくプロパガンダに染まるとするならば、彼は少なくとも最小限の教養を必要とする。プロパガンダは、人々が西欧文化の痕跡を持たない所..."... http://t.co/L2LSuo17

2011-12-18 05:10:35
---- @Kaya3728

共通項的認識が高校時代から変容してないなら貴方は90%

2011-12-18 05:14:17
---- @Kaya3728

その人の認識せかいはその人が二次的に紹介するコンテンツの1~2段階下にある。そして、常に上層は「存在すら知られてはいない」ものである。

2011-12-18 05:18:26
---- @Kaya3728

芸術の一つの役割はそういった「知られていない存在」を一般に普及させることになる。問題は、その意図と商業性は基本的に一致していないので、商業性を有した「図書館の神」によって得たもの、或いは、それらによって認知されているものはそこに属していないことである。

2011-12-18 05:20:25
---- @Kaya3728

潤滑油以外の伝達は何故意味を成さないのか?

2011-12-18 05:22:44
---- @Kaya3728

それほど世界間の壁は薄くはないから。

2011-12-18 05:23:17
---- @Kaya3728

潤滑油の条件は共通項的であること。即ち、同意以外の反応を引き起こすのは一般的用途としての会話では無い。人は、一般的用途としての会話において何か新しいことを、発見ではなく、教えられることは無い。詰まり、人は能動的に「知る」ことなど不可能。

2011-12-18 05:35:47
---- @Kaya3728

これは、ある程度の意味を持った本が時間と共に進化することからも分かる。既知以外のものを読むことは出来ない。ただし、読みながら産み出すことは可能。

2011-12-18 05:36:57
---- @Kaya3728

詰まり、記憶には、無意識的な思考に頼る以外の意味で価値はない。何かを生み出すのは常に外部生ではなく内的世界。読書は知ろうとする行為であるかぎり常に無意味だ。理解せねばならぬという意志の下に於いては、読んだものが「内部から」生まれてくるので意味が生まれる。

2011-12-18 05:40:12
---- @Kaya3728

狂歌的手法を用いて濃縮に濃縮を重ねたような文章を書いてみたい。日本語における神秘主義的レトリックはその方向にしか進み得ない様にも思う。勿論とっくに確立されているだろうけどね。ただし日本語の特徴自体が迎合的なので、矛盾することに成るだろうけど。

2011-12-18 05:50:33
---- @Kaya3728

塑像を作るように(中身が無いっていう自虐ではなく笑)論文を書くのと、ここで思考と同時進行しながら書くのではまるで思考のあり方が違う。僕がさっきから主張しているのもこういうことだ。思考形態は決して人類普遍的なものでは無い。ここでのこれは広がるけれど深まり難いようにも思う。

2011-12-18 05:54:05
---- @Kaya3728

仮に、自己意志に基づいて、自己規定としてのソーシャルネットワークを形成するなら、その規模は次第に小さくなっていくはずだ。そうでなければ、成長も深化も無いということになる。理論的な最終状態には自分以外の誰とも会話が出来無くなる。興味を持ってフォローして半年でリムれなきゃ成長してない

2011-12-18 05:59:22
---- @Kaya3728

捕まえて追いぬく。道場破り的なあり方だけれど、仮に成長するという行為が目的なら、そうでなければいけない。勿論極論で暴論。だけど、極地に限っては正しい。

2011-12-18 06:00:37
---- @Kaya3728

商業的要素と結びついている時点で純度は数段階下がる。だからそういう言説に「商業的価値」以外の価値は無い。仮に、そういう目的に生まれた情報にまだ頼っているのなら、それはそこでしか意味が無い。

2011-12-18 06:01:48
---- @Kaya3728

今の日本で最も価値があるのはやはり商業的価値観に基づくもの。だから、日本で共通項的な理論や認識と自分が被ってたらその分野は全て偽物。

2011-12-18 06:03:45
---- @Kaya3728

しかし、結局こうしていくと最終的には地縁的な、物理的な関係性だけが残る。真に理想的な意味では、イノベーションなど起こってはいない。ただ、そこに到達するための手段としては優れているのかもしれないし、一人の人間の規模ではなくて、全体のパラダイムで見れば必要。結局社会と変わらないな。

2011-12-18 06:37:07